幼少期の性被害とPTSD。その3。-心的外傷後成長- | 自分を育てる方法を考え動いてみた。

自分を育てる方法を考え動いてみた。

宗教二世・機能不全家庭で育ち、20才頃パニック障害、ひきこもり。精神障害2級×5年で認知行動療法(行動療法より)を受ける。回復してから11年経過。「成人してからの環境や性格は、自分で決める」


【注意】

タイトルのような実体験を含む内容です。

具合が悪くなりそうな方はここで引き返してください。



前回の続き。

その後、自分が思ったこと、考えたことを、文章にして垂れ流していく。


  1. PTSD、体のクセは残っている。

多分、驚愕反応、集中困難、感覚鈍麻などは、一生付き合っていくんじゃないかな。

なんだろ、もう30代で、被害時5.6才から約30年経ってるから。

私の脳にクセとして残っているというか、脳の一部が変形して固定化したレベルなんじゃないかな。

まあ注意欠陥とか、元々先天性の部分もあるかもだし、被害年齢が幼すぎてもはや判別も難しいだろうけど。


ただ、この脳のクセについてあまり困ってないのも事実。


しゃーないか。って域だし、いままでも30年程この状態で生きて来れたわけなので、まあ今後も同じように生きていくだろう、と。


変わった点としては、自分を責めなくなったこと。


なんで私は、集中困難(注意欠陥)で、足があざだらけになっても何も痛みを感じないんだろう〜と子供の頃から不思議に思っていた。


PTSDの症状として、感覚や感情の鈍麻ないし麻痺。集中困難。


私は、ずっとこれだったのかもしれないね。

子供の頃からドンクサイと言われてきたけども。




色々勉強すると、

ますます自分が愛おしく思えてくる。


私にとって心理学などの勉強は、私が子供の頃得ることができなかった「周囲の信頼できる大人」を増やす作業に似ているのかも。

「ダメなやつ」と自己否定していた自分を、「頑張って生きてきたんだなぁ」と愛おしさに変えていく作業。



体のクセが残ったとしても、


女性が以前より怖くない、親しい友人には自分の気持ちを言える、困った時は人に頼れる、休むことができる、対処法を知っている、

とかそういう改良面だけでも十分なように思う。




2.余裕のなさが子供に与える悪影響について


そういえば、私はヒステリックな中年女性が苦手だったな。私の母も、今は丸くなったけどヒステリックな人だった。

父(気分で怒鳴ったり大変不快なことをする)よりも、恐れていたくらい。

今、本当に、母は何もかも忘れてしまってるんだけどね。自分がしたこととか。

まあ、それもしゃーないな。


私は今でもヒステリックな女性が苦手で、私は出来るだけヒステリックになりたくないから、余裕多めで生活したいなと思っている。子供は1人。




.自分はよく頑張った!と改めて言うために年表を書いて、人生をおさらい。


なんだろうな。

私がとてつもなく弱いから、PTSDになったのではなくて、

同性からの性暴力(親しい友人が作れない)+機能不全家庭(親にも誰にも頼れない)のコンボだったわけで、更に熱狂的な宗教での「教え」と、私のトラウマによる症状である「実情」があまりにも遠く離れていたことで、

より自責の念が強まったわけで。


まあ、PTSD、複雑性PTSD、なって当然でしょ!と思うよね。


さらに、10代は救いの手もなく、元夫に搾取されて、絶望から死にかけたわけなんだから。

20代は、重い精神疾患との闘病でほぼほぼ終わったんだし。



年表を書こう。


1才 新築に引越し(母が、ローンや少ない生活費、3人育児、内職などで余裕がなくなりヒステリックになった気がする。父は気分で怒鳴る人)


4才〜 「うちは宗教家庭」ということで、親が園に配慮を求め、結果として保育園での疎外感


5.6才 性暴力、性被害に遭う(冷凍保存し、一時的に忘れる)


小学生 女性恐怖、対人恐怖、罪悪感に責め立てられる日々。父に、母から怒られ泣きながらご飯を食べるところや、風呂上がりの全裸の写真を笑いながら撮られる。日々、ブスだの体つきのことだのの暴言を受ける、気分で怒鳴られる

母は宗教のため、学校行事や一部のアニメ、祭りなど多くを禁止し、休日は宗教施設へ。ヒステリックかつ私に無関心。


中学生 性暴力についての記憶が戻る。兄が警察沙汰のトラブルを起こし続けて家の中が常に不穏、兄が別人のようになり壁などに穴を開ける、彼女を連れ込む、怪我を何度も。父が泣いて兄に土下座するところを見る(頼むから高校に行ってくれ)。私は宗教を理由とした親の束縛で、部活でのいじめに遭う。集会にたった一度行かずサボっただけで「おまえは俺の子じゃない」と言われる、私への関心は成績のみ。14-24才まで生理が3ヶ月〜半年に1度程度になる。


高校生  同じ宗教の元夫(私は高2、相手は2倍以上の年齢から洗脳に近い形で交際を求められ、神の名を持ち出してのコントロールをたびたび受ける。元夫のことを右腕のように接していた宗教指導者からは、精神異常者だと言われたり、神の呪いの預言というパワハラを受け、また途中元夫に浮気(というか、都合の良い女性への乗り換えをしようとして、振られて失敗)をされるも、こちらが非難する前に「死ぬよ」と脅迫され、何も言えなくなる。


19-21  結婚前の元夫に頻繁な自殺未遂で脅される、どうしても耐えられず別れを切り出すも「交際する時に、神の前で結婚を誓っただろう。神(わたし)を裏切ってもいいのか」と神の予言という形を取って脅迫される。熱心な宗教家庭育ちで、色々と抱えて生きてきた私は、神だけを頼りに生きていたため、結婚しかないと絶望する。結婚後は元夫の多重債務、無職、自殺をほのめかす脅しで疲弊しきる。広場・対人恐怖症になり、ほとんど外に出られない。私の分の健康保険と年金は滞納、携帯も解約。唯一私に慕う気持ちがあった祖母が亡くなる。結婚生活に耐えきれず、死を選ぶ。(心中未遂)

私は、たとえ地獄に行くとしても楽になりたいと思い、神に謝罪をしながら死のうとした。


22-27 心療内科で治療。臨床心理士によるカウンセリングを受ける。(行動療法よりの認知行動療法)


27- ようやく、「私」として生き始める。失敗も多く落ち込みまくり、そして励ましまくり。

ダブルワークをした後、正社員で働く、無宗教になる。色々やりたいことにチャレンジ。だんだん、自信がついて安定していった。


30過ぎ、夫と出会い結婚・出産。



よく頑張ったよね。

うん。

かなりハードモードじゃないのか?

これ。

客観的に見ても。



私の体験を読んだ人の、「重すぎて無理」という率直な感想も、たまに見かける。


体験を読むだけで重過ぎるなら、体験した20年は相当に重過ぎるよね、と思いつつ、

そんな中を生き抜いただけで誇りに思っていいよね、と自画自賛することにしてる(^^)




もちろん、私より大変だった人もたくさんいると思う。



それでも、かなり大変な部類に入るのでは。

なんとか、なんとか、自分を成長させて自立しようともがいてきた。

よく頑張ってきた、と労ってくれた人もいた。


まあ、ラッキーだったから頑張れただけ、なんだけど。

運がなければ、良い出会いがなければ、頑張ることも出来なかったよ。そこは私の力じゃないんだよね。



.辛いことばかりだったけど、それでもこの人生で良かった


まあ、生まれてから20年過ぎまでがアンラッキー過ぎたとも思うんだけどさ。

私も、特に大きな問題もない平凡な家庭で、心的外傷も受けずに、生きてみたかったなーって。

思うことはあったけど。


でも、そしたら、今の夫と結婚してなかったし、子供も産まれてなかった。

この可愛い我が子に会えなくなるなんて絶対嫌なので、この人生でよかったなと思ってる。一つでも事象が変わったら、バタフライエフェクトみたいに、今はないかもしれないじゃん。


(ちなみに独身時代も、やっぱりこの人生でよかった、と思っていた。この人生じゃなきゃ、病んだ後に出会った恩人とも呼べる人達に会うことはなかったから、というのが理由だった。人の優しさが身に染みた。やはり出会い、というのは、ウェート大きいな)




.自分と、苦しみながら生きている人に花丸を。生きているだけで勲章ものでしょ



なんとかね。生きてきたよ。自分に花丸をあげたい。


百聞は一見にしかず、というか、この苦しみは体験者にしか分からないものがあると思う。

複雑性PTSDなどになった人には、それぞれ、ものすごく苦しかったエピソードがあるのだと思う。みんな個別。同じものはない。


それでも、人権を踏み躙られ続けることによるPTSDの症状には共通点があるから。

やはり、分かり合える部分は、経験者同士なら持ってたりするよね。



今、苦しんでいる人達に、ラッキーが訪れますように。と心から願う。

ラッキーとは良い出会いのこと。お金があるならば、臨床心理士さんのカウンセリングを受けるのもいい。

時々、病院の保険診療の一環としてカウンセリングが受けられる病院もあるから探してみるといいと思う。



毒注意

あ。人生における苦しみは皆平等だ、とかアホなこと言う人は、ぜひ、被虐者の方の人生と代わってあげてください(^^)

と、思ったりもする。

虐待されたまま、絶望して死んだ人の無念、私は少しは分かるから。苦しみが平等なのならば、ぜひ代わってあげてね!




6.女性恐怖症になったって友達ができないわけじゃなかった



そういえば高校生の時が、小中と比べて友人関係が一番楽しかったなと思い出す。高1の時に仲良くなった子達と高3まで大体一緒に行動していて、今も仲が良い。高校生の時は、自分の気持ちを話せる間柄ではなかったし、卒業後は連絡もほとんどしなくなり、こちらから一度去ったけど。

それでも、従属的ではなく気楽な友人関係で、毎日アホな話ばかりに花を咲かせて楽しかったな。


私が病んだ後、たまたま当時のsnsを介して再度交流があり、私の対人恐怖症が少しマシになった後は、再会して遊んでくれたし、状態が良くなってからはみんなで旅行に行ったり。

私の女性恐怖症は、かなり、改善されたと思っている。現在も女友達に相談することは得意ではないけども。


今の夫との結婚が決まった時は、仲の良い2人が泣いて喜んでくれた。「幸せになってくれて嬉しい」と。

本当にありがたいなぁ、と思うよ。



思い返すと、高校の最初はやはり何故か加害女児に近い、目立つ女の子と仲良くなろうとしていて、でも反りが合わず、結局漂流後にたどり着いた子達だったな。どちらかというと大人しく真面目で、勉強するタイプの子達。でも笑いの神が降臨して、毎日ゲラゲラ笑っていた思い出(^^)


恐怖心はゼロにならなくても、何も本音では相談できなくても、とりあえず仲良くなることはできたわけだし、楽しい時間も過ごすことができた。

対人恐怖症を改善した後は、以前よりは「自分らしく」彼女たちと接することもできるようになった。


こういうポジティブな面も、書き残しておきたい。



7.今回、トラウマ記憶を扱うに当たって効果のあったリラックス方法



私はとにかく不安の強い人だったので、それを解消しようと努力してきたと言うのは以前も書いてきた。


参照



今回利用したのは…

・気持ちが特に落ち着かない夜に、香りのあるホットアイマスクを使った


・のんびりお風呂

・首や耳つぼマッサージ

・手遊び歌(手を動かしながら歌う)

・パズルゲーム


掃除や料理で気持ちが落ち着く人がうらやましい!


五感を使って気持ちを落ち着かせるのはとても良いものらしい(^^)





8.転んでもタダでは起きない。逆境体験にも意味があったと思いたい



上記の内容を書いた後、たまたま、

「心的外傷後成長(PTG)」という言葉を見かけた。


https://www.wako.ac.jp/_static/uploads/contents/managed_html_file.name.88742d40bd04c5b3.3038382d3130332de4bd93e9a893502de382a2e3839fe382a22de69c80e7b582572e706466/088-103-体験P-アミア-最終W.pdf

これを読んだ


おー私にめっちゃ当てはまってるやん、と思ったりした。


成長したと、自分でも思ってる。あくまで、ラッキーによって成長する機会があった、というだけではあるけど。



私の体験が、誰かの役に立つかどうかは分からない。

でも、時々、ブログの読者さんなどから感謝の言葉をいただけることがある。勇気をもらえたとか、回復に大きな影響があった、とか。それは、本当に嬉しい。

私は特に誰か個人に向けて書いてないけども、そう思ってくれる人がいる。

嬉しいな、と素直に思う。



また支援側の人達にも、何か今後のために、資料的に役立ててもらえたら嬉しいなぁ、なんて思っている。なかなかここまでぶっちゃけてるブログも少ないでしょ(笑)


ぶっちゃけフェチの私だからこそ、出来ることかもしれない。ぶっちゃけフェチになったのは、まあきっかけは2ちゃんに書いた文章がまとめられたせい(約10年前)だけど、今も継続ぶっちゃけなのは、多分自分に自信があるからだ(^^)



私の人生にどんな意味があるか?なんていうのは、わからない。いつ死ぬかも分からないし、死後のことも分からない。なんでこんな色々ある人生を送っているのかも分からない。


まあ、ただ今は、生きててよかった、とは思ってるかなぁ。



今苦しんでいて、「生きててよかった」と思える人が、1人でも増えるといいなぁ、とも思ってるよ。

だってそうでしょう。


本当に、本当に苦しいんだよね。苦しい時期っていうのは。その只中を、今生きている人がいる。


生きていること、それだけでもすごい。本当に、誇ってほしい。





そして、どうか良き出会いを


医療者、心理士、治療、知識、社会で知り合う人々、自分を認められる体験など


そんなものに出会えますように。





辛い人に手を差し伸べる、そんな良き出会いを提供する人が、増えますように。



私もそんな1人になりたい、と思ってるよ。