第三話 韓流時代小説 夢の途中【秘苑の蝶】 前編
～イ・コンこと文陽君が世子に冊立される？～
地方の田舎町で両想いの恋人として、幸せな時間を過ごしていたコンと雪鈴（ソリョン）。だが、幸せは長く続かず、国王からの王命で、コンは急きょ、都に呼び戻されることになった。雪鈴も彼と共に生まれて初めて漢陽へ赴く。
国王から王宮に呼ばれたコンは、そこで世子に指名されたのであった。
そして、雪鈴はコンに起きた身の激変について知らぬまま、ついに二人して出掛けた海辺の小屋で初めて結ばれる。
しかし、嵐の一夜を二人きりで過ごし邸に戻った若い二人を過酷な運命が待ち受けていた。
コンを訪ねてきた国王が雪鈴を見初めたのだ！
王はコンから強引に雪鈴を奪おうとしてー。
嵐の王宮編、怒濤の展開、前編。
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はっきりと口にしてはおらぬが、それは即ち、長い生涯を共にしよう、つまり結婚の約束をしたのも同じではないのか。少なくとも、雪鈴はそのように二人の関係を理解していた。
なのに、コンは雪鈴に何一つ教えてくれなかった。
ー私はコンさまにとって、一体、何なの？
声を上げて思い切り泣きたかった。でも、ここは他ならぬコンの屋敷なのだ。雪鈴は身を寄せる処とてなく、いまだコンの家の居候にすぎない。〝客人〟と言い繕おうが、厄介者であるのは変わらない。
コンに世話になっている身で、みっともなく声を出して泣くのは申し訳ないというより、雪鈴自身の誇りが許さなかった。
もし心変わりをしたのだとしたら、何故、正直に打ち明けてくれないのだろう。辛いことに変わりはないけれど、雪鈴は心の離れた相手を縛り付けておくほど浅ましい人間ではない。
奥方の姪だとかいう令嬢との縁談、世子になること、どちらもコンだけでなく雪鈴にとっても一大事だというのに、何も教えられなかった。そのことが悔しいというより、ただひたすら哀しい。
けれどー。雪鈴にコンを止める資格はないのだ。雪鈴の性格からすれば、去ろうとする男に取り縋り、泣いて引き留めることは難しい。それでも、相手がコンならば、もしや、その一番したくないことをしてしまうかもしれない。みっともなく泣き喚いて、コンの足に取り縋り、
ー行かないで、私を捨てないで。
と、惨めたらしく懇願してしまうかもしれない。そう考える自分が怖ろしく、その意味では自分を根底から変えてしまった男が憎くさえあった。
あまりに嘆きに浸りきっていた彼女は、室の扉が開いた音すら気づかなかったようである。だから、すぐ側で深い声が聞こえたときは、思わずビクリと身を震わせた。
「雪鈴」
雪鈴は涙に濡れた瞳で恋しい男を見上げた。大好きな彼が手の届く場所にいる。でも、彼は近い中にこの国の世継ぎになる方、こんなに近くにいても、彼との距離は途方もなく離れてしまったー。
そう思うと、余計に涙が溢れてくる。ひっそりと泣く雪鈴を、コンは辛そうに見ていた。
「可哀想に、こんなに泣いて」
次の瞬間、強く抱きしめられる。
「 はっきりと口にしてはおらぬが、それは即ち、長い生涯を共にしよう、つまり結婚の約束をしたのも同じではないのか。少なくとも、雪鈴はそのように二人の関係を理解していた。
なのに、コンは雪鈴に何一つ教えてくれなかった。
ー私はコンさまにとって、一体、何なの？
声を上げて思い切り泣きたかった。でも、ここは他ならぬコンの屋敷なのだ。雪鈴は身を寄せる処とてなく、いまだコンの家の居候にすぎない。〝客人〟と言い繕おうが、厄介者であるのは変わらない。
コンに世話になっている身で、みっともなく声を出して泣くのは申し訳ないというより、雪鈴自身の誇りが許さなかった。
もし心変わりをしたのだとしたら、何故、正直に打ち明けてくれないのだろう。辛いことに変わりはないけれど、雪鈴は心の離れた相手を縛り付けておくほど浅ましい人間ではない。
奥方の姪だとかいう令嬢との縁談、世子になること、どちらもコンだけでなく雪鈴にとっても一大事だというのに、何も教えられなかった。そのことが悔しいというより、ただひたすら哀しい。
けれどー。雪鈴にコンを止める資格はないのだ。雪鈴の性格からすれば、去ろうとする男に取り縋り、泣いて引き留めることは難しい。それでも、相手がコンならば、もしや、その一番したくないことをしてしまうかもしれない。みっともなく泣き喚いて、コンの足に取り縋り、
ー行かないで、私を捨てないで。
と、惨めたらしく懇願してしまうかもしれない。そう考える自分が怖ろしく、その意味では自分を根底から変えてしまった男が憎くさえあった。
あまりに嘆きに浸りきっていた彼女は、室の扉が開いた音すら気づかなかったようである。だから、すぐ側で深い声が聞こえたときは、思わずビクリと身を震わせた。
「雪鈴」
雪鈴は涙に濡れた瞳で恋しい男を見上げた。大好きな彼が手の届く場所にいる。でも、彼は近い中にこの国の世継ぎになる方、こんなに近くにいても、彼との距離は途方もなく離れてしまったー。
そう思うと、余計に涙が溢れてくる。ひっそりと泣く雪鈴を、コンは辛そうに見ていた。
「可哀想に、こんなに泣いて」
次の瞬間、強く抱きしめられる。
「頼むから、泣かないでくれ。そなたが泣いたら、俺はどうしたら良いか判らない」
次いで大きな手のひらが髪を優しく愛しむかのように撫でてくれる。でも、今日はごまかされない。コンは何より重大なことをずっと秘密にしていたのだ。
雪鈴は嫌々をするように小さく首を振り、手を突っ張った。両手でコンの胸を押すと、コンは不承不承、雪鈴から離れた。彼の綺麗な顔に傷ついた表情が浮かんでいる。
おかしなものだ、大切なことを告げず傷つけられたのは雪鈴の方なのに、何故か自分が彼を虐めているような気持ちになってしまう。
コンが大きな吐息を吐き出した。
「でも、俺が雪鈴を泣かせているんだな」
彼は万策尽きたというように天井を仰ぎ、また溜息をついたかと思うと、わしわしと手で髪をかきむしった。今朝、雪鈴自身が綺麗に結い上げてあげたのだ。彼の髪が乱れるのを雪鈴はぼんやりと眺めていた。
コンはまた小さく息をつくと、頷いた。
「まずは一つ一つ、誤解を解いてゆこう」
彼の言葉を聞きながら、雪鈴は思う。
誤解？ どれが真実で、どれが嘘なのだろう？ もう誰を、何を信じて良いのか判らなくなってしまった。
雪鈴の胸中を見透かしたかのように、コンが彼女の眼を真っ直ぐに見つめて言う。
「これから俺が話すことに嘘偽りはないと誓う。信じてくれるか？」
とりあえず、信じるしかなさそうだ。雪鈴は無言で頷いた。コンは子どもにするように、また優しく雪鈴の頭を撫でた。
コンは小さな声で語り始めた。
「まず、義母上の話していた結婚話からだ」
雪鈴はまた小さく頷く。
コンも頷き、雪鈴の顔から視線を逸らさず続ける。
「そうだな、昨日、俺が参内しただろう？ あの日、国王殿下に離宮内の楼閣まで来るようにと言われた。何でも王族を招いての内輪の宴ということで、出掛けたんだ」
コンは最初は淡々と他人事のように、次第にそのときのことを思い出したのか、嫌そうに眉を寄せて語った。
赴いた楼閣には、何と国王その人どころか、王族の一人、尚宮内官さえいなかったという。そこにいたのは、年頃の美しい令嬢一人だった。その令嬢は今をときめく領議政の孫にして戸曹判書の三女であった。
コンは肩をすくめた。
「実のところ、彼女を見たときすぐ、殿下にしてやられたと思った。だが、相手を前にして逃げるのは、向こうの令嬢にも失礼だ。仕方なく必要最低限の会話だけはして早々に帰ってきたというわけさ」
コンが破顔した。
「この縁談は、きっぱりと断った」
彼の手がまた雪鈴の髪を撫でた。
「もっとも、先刻も俺は継母に令嬢とは結婚できないと、はっきりと言っていたはずだが」
雪鈴は羞恥に居たたまれない想いだ。けして盗み聞きをするつもりはなく、お茶を室の前まで運んできた時、たまたま奥方とコンのやり取りが耳に入ってきたというのが真相だ。
雪鈴にしても、会話のすべてを逐一聞いたわけではなく、早とちりしてしまった我が身が恥ずかしい。つまりはコンの縁談、他の女性との結婚話というだけで、雪鈴は気が動転してしまったというわけだ。まったく、穴があったら入りたいとは、このことだろう。
」
次いで大きな手のひらが髪を優しく愛しむかのように撫でてくれる。でも、今日はごまかされない。コンは何より重大なことをずっと秘密にしていたのだ。
雪鈴は嫌々をするように小さく首を振り、手を突っ張った。両手でコンの胸を押すと、コンは不承不承、雪鈴から離れた。彼の綺麗な顔に傷ついた表情が浮かんでいる。
おかしなものだ、大切なことを告げず傷つけられたのは雪鈴の方なのに、何故か自分が彼を虐めているような気持ちになってしまう。
コンが大きな吐息を吐き出した。
「でも、俺が雪鈴を泣かせているんだな」
彼は万策尽きたというように天井を仰ぎ、また溜息をついたかと思うと、わしわしと手で髪をかきむしった。今朝、雪鈴自身が綺麗に結い上げてあげたのだ。彼の髪が乱れるのを雪鈴はぼんやりと眺めていた。
コンはまた小さく息をつくと、頷いた。
「まずは一つ一つ、誤解を解いてゆこう」
彼の言葉を聞きながら、雪鈴は思う。
誤解？ どれが真実で、どれが嘘なのだろう？ もう誰を、何を信じて良いのか判らなくなってしまった。
雪鈴の胸中を見透かしたかのように、コンが彼女の眼を真っ直ぐに見つめて言う。
「これから俺が話すことに嘘偽りはないと誓う。信じてくれるか？」
とりあえず、信じるしかなさそうだ。雪鈴は無言で頷いた。コンは子どもにするように、また優しく雪鈴の頭を撫でた。
コンは小さな声で語り始めた。
「まず、義母上の話していた結婚話からだ」
雪鈴はまた小さく頷く。
コンも頷き、雪鈴の顔から視線を逸らさず続ける。
「そうだな、昨日、俺が参内しただろう？ あの日、国王殿下に離宮内の楼閣まで来るようにと言われた。何でも王族を招いての内輪の宴ということで、出掛けたんだ」
コンは最初は淡々と他人事のように、次第にそのときのことを思い出したのか、嫌そうに眉を寄せて語った。
赴いた楼閣には、何と国王その人どころか、王族の一人、尚宮内官さえいなかったという。そこにいたのは、年頃の美しい令嬢一人だった。その令嬢は今をときめく領議政の孫にして戸曹判書の三女であった。
コンは肩をすくめた。
「実のところ、彼女を見たときすぐ、殿下にしてやられたと思った。だが、相手を前にして逃げるのは、向こうの令嬢にも失礼だ。仕方なく必要最低限の会話だけはして早々に帰ってきたというわけさ」
コンが破顔した。
「この縁談は、きっぱりと断った」
彼の手がまた雪鈴の髪を撫でた。
「もっとも、先刻も俺は継母に令嬢とは結婚できないと、はっきりと言っていたはずだが」
雪鈴は羞恥に居たたまれない想いだ。けして盗み聞きをするつもりはなく、お茶を室の前まで運んできた時、たまたま奥方とコンのやり取りが耳に入ってきたというのが真相だ。
雪鈴にしても、会話のすべてを逐一聞いたわけではなく、早とちりしてしまった我が身が恥ずかしい。つまりはコンの縁談、他の女性との結婚話というだけで、雪鈴は気が動転してしまったというわけだ。まったく、穴があったら入りたいとは、このことだろう。