青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

『八月の御所グラウンド』万城目学

2024-04-04 08:00:40 | 日記
女子全国高校駅伝――都大路に代走として走る方向音痴な女子高生「十二月の都大路上下ル」と、借金のカタに、真夏の御所グラウンドで草野球大会・たまひで杯に連日参加する羽目になった失恋大学生。「八月の御所グラウンド」の二柱編収録。第170回直木賞受賞作。
万城目学らしい現実と幻想が入り混じる優しい青春小説だ。

大会前日に急遽欠場することになった先輩の代わりにエントリーされることになった坂東。
三人の補欠の中には彼女よりもタイムの速い者もいる。実力的に自分が都大路を走ることになるとは思っていなかった坂東は戸惑いを隠しきれない。試走もしていないコースを方向音痴の自分が走り切れるのか。
そこはコーチも考えていて、まっすぐ進んで、一回だけ右に曲がる、迷いたくても迷えない区間を任されることになった。5区、つまりはタスキリレーのアンカーを託されたのだ。
雪の降る都大路を坂東は走る。隣の赤ユニホームの選手のペースに飲まれそうになっていた坂東は、赤ユニホームよりも沿道の観客が気になり始めた。
観客たちのうしろの歩道を、坂東たちと同じスピードで着いてくる7、8人の着物の男たちの集団がいるのだ。ちょんまげを結い、刀をひっさげ、「誠」の旗を掲げた彼らは――。「十二月の都大路上下ル」

「あなたには、火がないから」という謎の言葉とともにフラれてしまった大学生の朽木。
彼女との夏休み旅行もフイになり、八月の敗者となった彼は、友人多聞から借金のカタにたまひで杯という草野球大会に参加させられることになった。
たまひで。それは多聞の研究室のボスである三福教授が、若い頃に励ましを受けた芸妓の名だ。
かつてのたまひでがママとして勤めるラウンジ『たまひで』には、三福教授のような、たまひでに励まされて大成した元青年たちが後輩や、社員や、取引先や、教え子を連れて通っている。まるで文化の継承のようだ。たまひで杯の優勝チームのオーナーは、ママからほっぺにキスを貰えるのだという。ママは推定70歳オーバーである。
大会当日、御所グラウンドに集まったのはいかにも寄せ集めと言った顔ぶれだった。
しかも途中から怪我や体調不良で人数が足りなくなった。そこで、朽木たちは見物に来ていた留学生の烈女シャオさんに参加の要請をしてみるのだが――。「八月の御所グラウンド」

「十二月の都大路上下ル」は新選組、「八月の御所グラウンド」は沢村栄治。
新選組も沢村栄治も京都生まれの京都育ちではなく、人生の一時を京都で過ごした人たちだ。でもその一瞬が彼らの青春だった。非業の死を遂げた若者たちが、現在青春真っただ中の女子高校生や男子大学生らとスポーツに興じる。彼らの間にあからさまにエモーショナルなやりとりなどないのに、一心にスポーツに打ち込む姿に心を打たれる。
新選組はちょんまげと女子高生の並走というおかしみもあるのだけど、沢村栄治は彼の人生を思うと苦しくなってしまう。
沢村栄治といえば、野球のルールを知らない私ですらその名を知っているくらいの伝説のスター選手だけど、彼の人生はまったく知らなかった。
物語が進み、謎の助っ人えーちゃんが沢村栄治である可能性が濃厚になってくるにつれて、沢村栄治から野球も命も奪った戦争の影が濃くなる。
沢村栄治が20歳の時に日中戦争の拡大により徴兵され、二年間の戦場生活を余儀なくされたこと。軍の手榴弾投げ大会で、通常は30メートル投げたら上等のところ、90メートル以上も投げたこと。戦場でも何度も投げ込み、肩を壊したこと。23歳でプロ野球復帰を果たしたが、元の投球は出来なくなっていたこと。復帰翌年には二度目の招集によってフィリピンに派兵され、1944年に三度目の召集を受け、京都の伏見連隊に入営し、12月2日にフィリピンに向かう途中、米軍の魚雷を受け、戦死したこと。亡くなった時、まだ27歳だったこと。
えーちゃんが連れてきた遠藤君は、1943年に京都で一ヵ月だけ学生として過ごし、学徒出陣し、半年後に戦死していた。
「遠藤三四二(みよし)」について調べたシャオさんは、自分たちの大学で、第二次世界大戦中に軍の召集を受け戦死した学生たちのデータに行きついた。
入学してたった数ヶ月を大学生として過ごして、戦地で散った命たち。そんな生き方を強いられた数多の若者たちが、確かに存在したのだ。
そういえば、たまひで杯は地獄の暑さのお盆に開催されるので、毎回出場者の数が足りるのか懸念されるのだけど、毎回なぜか必ず人数が揃うというのだ。
今回は留学生のシャオさんが、たまたま(?)ベンチに居たえーちゃんに声をかけ、更にえーちゃんが遠藤君と山下君の二青年を連れて来てくれた。過去のたまひで杯の助っ人たちも既にこの世にはいない、もっと生きていたかった若者たちだったのだろうか?
多聞は一度、三福教授に『たまひで』に連れて行ってもらった時に、酔っぱらった教授が、ママのお兄さんと野球をやったことがあると言っていたのを聞いていた。ママは自分には腹違いの兄がいるが20以上も離れていて、19で戦死しているから教授と野球をできるはずはないと答えていたのだが・・・。ママの本名は、山下誠子。一度も結婚したことは無いらしい・・・。

失恋して自堕落になっていた朽木と要領良く世渡りしてきた多聞。二人の心にえーちゃん達の人生が沁み込んでいく。
大文字焼きの夜。「なあ、朽木。俺たち、ちゃんと生きてるか?」という多聞の言葉が胸に刺さる。
その時、朽木にとって元恋人から告げられた「あなたには、火がないから」という別れの言葉は、もはや彼女のものではなくなっていた。闇夜の向こうから投げられた見えない球とともに、心の中に炎が一個、着火したように感じられた。

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2 コメント

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Unknown (saopen)
2024-04-04 08:57:50
万城目さん、やっと直木賞獲れましたね。
鴨川ホルモーやしゅららぼんが大好きなので、嬉しいです✨
現実とファンタジーの有り得ない不完全融合ですが、心を連れ去ってくれる爽快感がいいですよね!

万城目作品は必ず読むつもりですが、本作は未読です。青い花さんの見事な要約と解説で、早く読みたくなりました😊

青い花さんら常勤でお仕事始められたとか。
おうちのこと、もふもふたちのお世話、お庭、読書とお忙しいですが、ブログもボチボチ続けてくださいね。
Unknown (mahomiki)
2024-04-04 19:38:25
さおぺんさん

万城目学さんは、既に作家として盤石な地位を築いていますから、今更みたいな受賞でしたね。兎も角おめでとうございました✴
万城目作品は、失われた者達への哀切を内包しつつも、感動の押し売りをしないところに好感が持てます。なので、この作品の帯に書かれている感涙という言葉は、個人的にちょっと違和感があったりします。
しみじみと温かい作品でした。

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