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京都 随心院に家人と行ってきました。
今年はどこで梅を見ようかと話していて 家人が グーグルマップで 梅の名所を見つけてきてくれました。
山科から少し南に下ったところにあります。地下鉄だと東西線小野駅の近くだそう。
仁海僧正が一条天皇の勅許で建てられた寺院だそうです。仁海僧正は勅命で請雨の法を9回行ったそう。
1229年後堀川天皇から 門跡の宣旨を賜り 隨心院門跡と称されているそうです。
承久の乱で焼けてしまったそうですが 1599年に 五摂家のうちの九条家と二条家の寄進で本堂が再建され それ以降 両家から門跡が入山なさるようになったそうです。
この小野とよばれる場所が 小野妹子 小野篁 小野小町などを輩出した小野氏の本拠地で 小町の邸宅のあった場所にお寺があるそうです。
(前に小野妹子は和邇氏の一族でここが本拠地と 滋賀県の道の駅に妹子の郷というところがありましたが)
お寺の裏に 小町が 数多くの恋文を埋めた文塚もありました。
写真などもない時代 手紙は大切な思い出の品だったのでしょうね。光る君も 出家を前にたくさんの恋文を焼かせています。
小野小町歌碑
花の色は ですね
左が庫裡 その奥が薬医門庫裡から上がります。
小野小町像
歌人として数々の歌を残し 六歌仙にも選ばれ 宮中の歌合わせにも参加しているのに 生涯が不明だらけです。平安初期には 更衣は殿舎を共有し ~町と呼んでいたことから 仁明天皇の更衣説があります。
庫裡から見た大玄関と表書院
大玄関の脇の廊下に籠が吊られていました。
大玄関の内側
右は貴人しかのれない板輿
なにげに菊の御紋の長持
表書院 見事なふすまがありましたが 撮影禁止。
狩野派による四愛図 四季花鳥図
見事な畳廊下
花の間
極彩色梅匂小町絵図
苔むすお庭が良くお手入れされているなと思いました。
本殿
中は撮影禁止ですが 鎌倉時代の如意輪観世音菩薩坐像 立膝に腕をのせて ゆったり体重をのせている優雅な仏像でした。
池に鯉がいたと家人談。
奥書院
こちらも江戸時代初期に建てられたもの。
奥書院に狩野派の賢聖障子絵 舞楽図がありました。
小町堂
とても見ごたえのある寺院でした。建物好きではない家人もよかったと言っていました。
花の間は期間限定イベントだそうです。
境内にある小野梅園
まだだいぶん早かったかな。
お抹茶と生菓子で600円。お安い。
花の間餅 食べるのが惜しいくらいかわいらしかったです。
こちらのおみくじは紙のお花がついているので 結んであるのがとても華やかでした。
小町文塚を探しにお寺の裏へ
仁海僧正供養塔
小町文塚
小町が貴公子たちの手紙を埋めた場所なのだそう。
侍女の墓
駐車場の梅が一番よく咲いていました。
読んでくださりありがとうございました。