Thursday, April 11, 2024

シアトルの春 例えあなたに荷が過ぎると思われても決して手を離さず、上へ向けて手を伸ばしていただきたい。そこには私がおり、私の仲間がおります。絶対に挫折はさせません。

Even if you think you are carrying too much, I want you to never let go of my hand and reach upwards. There I am and my friends are there. I will never let you down.

果てしなき生命の旅  
    
 一九一三年十月二五日 土曜日

 今夜も、もしよろしければ、死後の世界に関する昨夜の通信の続きをお届けしようと思います。

 引き続き太陽系に関してですが、昨日の内容を吟味してみると、まだまだ死後の世界の複雑さの全てを述べ尽くしておりません。

と言うのも、太陽と各惑星を取り巻く界層が互いに重なり合っているだけでなく、それぞれの天体の動きによる位置の移動──ある時は接近しある時は遠ざかるという変化に応じて霊界の相互関係も変化している。

それ故、地球へ押し寄せる影響力は一秒たりとも同じではないと言っても過言ではありません。事実その通りなのです。

 また同じ地球上でもその影響の受け方、つまり強さは一様ではなく場所によって異なります。それに加えて、太陽系外の恒星からの放射性物質の流入も計算に入れなければならない。

こうした条件を全て考慮しなければならないのです。何しろそこでは霊的存在による活発な造化活動が営まれており、瞬時たりとも休むことがないことを銘記して下さい。

 以上が各種の惑星系を支配している霊的事情のあらましです。地上の天文学者の肉眼や天体望遠鏡に映じるのはその外面に過ぎません。ところが実は以上述べたことも宇宙全体を規模として考えた時は大海の一滴に過ぎない。船の舳先(へさき)に立っている人間が海のしぶきを浴びている光景を思い浮かべていただきたい。

細かいしぶきが霧状になって散り、太陽の光を受けてキラキラと輝きます。その様子を見て〝無数のしぶき〟と表現するとしたら、ではそのしぶきが戻って行く海そのものはどう表現すべきか。

キラキラ輝く満天の星も宇宙全体からすればその海のしぶき程度に過ぎません。それも目に見える表面の話です。しぶきを上げる海面の下には深い深い海底の世界が広がっている如く、宇宙も人間の目に映じる物的世界の奥に深い深い霊の世界が広がっているのです。

 もう少し話を進めてみましょう。そもそも〝宇宙〟という用語自体が、所詮表現できるはずのないものを表現するために便宜的に用いられているものです。

従って明確な意味は持ち合わせません。地上のある詩人が宇宙を一篇の詩で表現しようとして、中途で絶望して筆を折ったという話がありますが、それでよかったのです。もしも徹底的にやろうなどと意気込んでいたら、その詩は永遠に書き続けなければならなかったことでしょう。

 一体宇宙とは何か。どこに境界があるのか。無限なのか。もし無限だとすると中心が無いことになる。すると神の玉座はいずこにあるのか。神は全創造物の根源に位置していると言われるのだが。

いや、その前に一体創造物とは何を指すのか。目に見える宇宙のことなのか。それとも目に見えない世界も含むのか。

 実際問題として、こうした所詮理解できないことをいくら詮索してみたところで何の役にも立ちません。もっとも、判らないながらもこうした問題を時おり探ってみるのも、人間の限界を知る上であながち無益とも言えますまい。そう観念した上で吾々は、理解できる範囲のことを述べてみたいと思います。

 これまで述べて来た霊的界層にはそれぞれの程度に応じた霊魂が存在し、真理を体得するにつれて一界また一界と、低い界から高い界へ向けて進化して行く。そして、先に述べたように、そうやって向上して行くうちにいつかは、少なくとも二つ以上の惑星の霊界が重なり合った段階に到達する。

さらに向上すると今度は二つ以上の恒星の霊界が重なり合うほどの直径を持つ界層に至る。つまり太陽系の惑星はおろか、二つ以上の太陽系まで包含してしまうほどの広大な世界に至る。

そこにもその次元に相応しい崇高さと神聖さと霊力を具えた霊魂が存在し、その範囲に包含された全ての世界へ向けて、霊的・物的の区別なく、影響力を行使している。ご承知のとおり吾々はようやく惑星より恒星へ、そして恒星よりその恒星の仲間へと進化して来たところです。

その先にはまだまだ荘厳にして驚異的な世界が控えておりますが、この第十界の住民たる吾々にはその真相はほとんど判らないし、確実なことは何一つ判らないという有様です。

 が、これで吾々が昨夜の通信の中で〝神〟のことを、何とお呼びすべきか判らぬ未知にして不可知の存在のように申し上げた、その真意がおぼろげながらも理解していただけるのではないかと思います。

ですから、貴殿が創造主を賛美する時、正直言ってその創造主の聖秩(せいちつ)について何ら明確な観念はお有ちでない。〝万物の創造主のことである〟と簡単におっしゃるかも知れませんが、では〝万物〟とは一体何かということになります。

 さて少なくとも吾々の界層から観る限り次のことは確実に言えます。すなわち〝創造主〟という用語をもって貴殿が何を意味しようと、確固たる信念を持って創造主に祈願することは間違っていない。

その祈りの念はまず最低界に届き、祈りの動機と威力次第でそこでストップするものとそこを通過して次の界に至るものがある。中にはさらに上昇して高級神霊界へと至るものもある。

吾々の界のはるか上方には想像を超えた光と美のキリスト界が存在する。そこまで到達した祈りはキリストを通して宇宙神へと届けられる。地上へ誕生して人類に父なる神を説いたあの主イエス・キリストである。(この問題に関しては第二巻以降で詳しく説かれる。──訳者)

 ところで、以上述べたことは全て真実ではあるが、その真実も、語りかける吾々の側とそれを受ける貴殿の側の双方の能力の限界によって、その表現が極めて不適切となるのです。

例えば段階的に各界層を通過して上昇して行くと述べた場合、あたかも一地点から次の地点へ、さらに次の地点へと、平面上を進むのと同じ表現をしていることになります。ですが実際は吾々の念頭にある界層は〝地帯〟というよりは〝球体〟と表現した方がより正確です。

なぜなら、繰り返しますが、高い界層は低い界層の全てを包んでおり、その界に存在するということは低い界の全てに存在するということでもあるからです。

その意味で〝神は全てであり、全ての中に存在し、全てを通じて働く〟という表現、つまり神の遍在性を説くことはあながち間違ってはいないのです。

 どうやら吾々はこのテーマに無駄な努力を費やし過ぎている感じがします。地球的規模の知識と理解力を一つの小さなワイングラスに譬えれば、吾々はそれに天界に広がる広大なブドウ畑からとれたブドウ酒を注がんとしているようなもので、この辺でやめておきましょう。

一つだけお互いに知っておくべきことを付け加えておきますが、その天界のブドウ園の園主(宇宙神)も園丁(神々)も霊力と叡智において絶対的信頼のおける存在であるということです。

人生はその神々の世界へ向けて果てしない旅であり、吾々は目の前に用意された仕事に精を出し、完遂し、成就し、それから次の仕事へと進み、それが終わればすぐまた次の仕事が待っている。かくして、これでおしまいという段階は決して来ない。

向上すればするほど〝永遠〟あるいは〝終わりなき世界〟という言葉に秘められた意味の真実性を悟るようになります。しかし貴殿にそこまで要求するのは酷というものでしょう。失礼な言い分かも知れませんが。

 では再び来れることを希望しつつお別れします。ささやかとは言え天界の栄光の一端をこうして聞く耳を持つ者に語りかけることが出来るのは有難いことであり、楽しいことでもあります。どうか、死後に待ち受ける世界は決して黄昏に包まれた実体なき白日夢の世界ではないことを確信していただきたい。そしてそのことを聞く耳を持つ者に伝えていただきたい。

断じてそのような世界ではないのです。そこは奮闘と努力の世界です。善意と努力とが次々と報われ成就される世界です。父なる神へ向けて不屈の意志を持って互いに手を取り合って向上へと励む世界です。

その神の愛を吾々は魂で感じ取り鼓舞されてはおりますが、そのお姿を排することも出来ず、その玉座は余りに崇高なるが故に近づくことも出来ません。

 吾々は向上の道を必死に歩んでおります。後に続く者の手を取ってあげ、その者のスソをその後に続く者が握りしめて頑張っております。友よ、吾々も奮闘していることを忘れないでいただきたい。まさに奮闘なのです。貴殿と、そして貴殿のもとに集まる人々と同じです。

吾々が僅かでも先を行けば、つい遅れがちなる人も大勢おられることでしょう。どうかそういう方たちの手を貴殿がしっかりと握ってあげていただきたい──優しく握ってあげていただきたい。貴殿自身も同じ人間としての脆(もろ)さを抱えておられることを忘れてはなりません。

そして、例えあなたに荷が過ぎると思われても決して手を離さず、上へ向けて手を伸ばしていただきたい。そこには私がおり、私の仲間がおります。絶対に挫折はさせません。

ですから明るい視野を持ち、清らかな生活に徹することです。挫折するどころか、視野が燦然たる輝きを増すことでしょう。聖書にもあるではありませんか──心清き者は幸なり。神を見ればなり、と。(マタイ5・8)     ♰

                    

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