生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月07日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
怒りの感情の裏側には、必ず優しい友好的な感情が存在しています。ですから体が震えるような怒りの感情の裏側には聖パウロのように愛ゆえの深い優しさが存在しています。人の身体は神の神殿だと言われているように怒りの反対には必ず友好的な感情が存在している事を信じると人生に希望が生まれてきます。どんな場合でも解決策はあるゆです。安心して生きていきたいです。自分の悩みを気楽に語り合える友達が大切ですが、これがまた案外難しい。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
数年前ですが、或る或学校の父母会を対象とした「生き甲斐の心理学」の勉強を開始しました。中学一年生のお父さんとお母さんから高校三年生及び卒業生徒の父母様が対象でしたが、どんな新しい方が参加してくださるか、とても楽しみでした。人生は本当に面白く、かつ、厳しいものですが、この勉強会では、これからどんな困難が押し寄せてこようとも逞しく明るく爽やかに生き抜いていく知恵を心理療法的な視点から学び合いたいと思っていました。人間の出会いは非常に神秘的で深い意味が、そこに潜在しているようで、人との出会いは私には神との出会いのような気がします。一期一会とはよく言ったものです。どの勉強会もそうですが人々の個々の生育史の軌跡はどれも同じものは一つもなく、それぞれが個性的で美しいものです。その美しさに気づかない人が多いのは残念です。これからも、自分の生育史、人類の歴史の中に神の深い愛情を見いだせるように楽しく勉強を進めていきたいと思います。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日々の生活の中で感じる不安感をばねに逞しくその不安感を利用して自分の理想を達成していく逞しい人と、逆にその不安感に支配されて挫折していく人が居ますが、この違いはどこから来るのでしょうか?また不安感を意識化出来た人はその反対側に平安感が近づいてきている、という仮説をご存じでしょうか?不安感と平安感は同じもので兄弟なのです。不安感が解決すると、その人にとっての本当の平安感が、すーっと現れます。本当の厭らしい不安感は、そのカオスの世界に漂う事例なのです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私達はストレスを感じる、としばしば口にしますが、その実体を知る人は少ないようです。自分が朝、目が覚めて夜、寝るまで、具体的に何がストレスなのか、時々明確にしないと身体症状が出る場合があります。その人の成育史で培われた理想(こうありたい、あらねばならない、という想いを生き甲斐の心理学では理想の領域と定義しています)と現実のギャップがストレスなので、このギャップはきちんと聴いていかないと他者にはわかりません。ストレスの実態をしるのに薬は不要。薬で、どんどん健康を害している方々が多すぎます。成育史で無意識につけた危険な思想を再点検し、今の悩みはどんな理想と現実のギャップから生まれているか、気楽に点検してみましょう。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月03日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人生を楽しくする薬なんてありません。しかし楽しく生きるコツはあるようです。難しい事を考える前に、どうしても実行しておかねばならない5つのポイントがあります。十分な睡眠、ほんわか気分、歌と踊り、遊び、自分の生き甲斐と目的の5つです。私の体験談を通して、テレビ「心のともしび」第4回目(1991年11月10日)で語りましたら意外と好評でした。この言葉は、どなたか忘れましたが、確か、有名な精神科医の先生だったような記憶があり、この言葉で私は救われています。33年前の話ですが、この素晴らしい言葉はホモサピエンスの大脳の組織を知り尽くした大先生の言葉だなあ、と改めて、この先生に感謝しています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分を大切にする、とはどんな事でしょうか?世界の比較宗教学を学ぶと共通した3つの項目に出会います。自分の魂を大事にする(死んだらどうなるのか、を含めた信仰の領域)、自分の成育史を大事にする(良い思い出も悪い思い出も大切に扱う解釈の方法を自分の成育史を通して学習していく)、自分の身体を大事にする(健全な健康を保持する)、この3点、とても重要な点のようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月01日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
毎日の喜怒哀楽はとても大切な感情で、この感情の変化を楽しみ、かつ、生き甲斐とする芸術家、音楽家、絵描きさん、作家もいるくらいです。感情の変化は意思と関係はありますが、身体が身辺の森羅万象に応じて対応する素晴らしい人間の機能です。この感情の推移を観察する余裕が、自分の生き甲斐とは何かを模索する上でも良い薬となります。10年も病棟に生活した人が窓の外の森の四季折々を和歌と俳句に託して詠む生活を生き甲斐とした事で、退院していかれました。このような奇跡に近い現象も人間には起きるものですが、それもこれも自分の生き甲斐とは何かを追求し、意識化した賜物です。こんな話を私の体験談を通して、テレビ、ラジオの「心のともしび」で語りましたら大きな反響があり、感動した記憶があります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間の自問自答で一番辛い質問がこの「生きる目的」かもしれません。80億の人間が一人一人この生きる目的が明確であれば果してどんな歴史が展開されていくでしょう?私の推測ですが、明確であれば今日の平和も文化も学問も、こんなに発展していないと思います。疑問だらけの人生ゆえに、人は悩み、苦しみ、何かを追求していくのでしょう。こんな話を昔、テレビで語りましたら、意外と大きな反響があり、人は案外、この課題で悩んでおられると知り、驚いたことがあります。なんの為に生きていくのか、、こればかりは、なかなか、スムーズにいかない人類の課題のようです。こればかりは、自分で探す必要があり、決意して差がいだすと身近に答えがゴロゴロころがっていますので、神経質にならないで、探すことを生き甲斐にしてみると、意思あるところに道あり、という名言に感動します。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私たちは好むと好まざるとに拘わらず歴史の流れ、その生活環境に流されていきます。会社の倒産、戦争等です。80億の人間の置かれた環境は80億通り存在していて、生き抜く為の努力をそれなりにしています。あるがままの現実を素直に受け入れていくと、自分の性格も、それなりに適応し逞しくなり生き抜く知恵も性格も現実適応しつつ形成されていきます。過去にとらわれていると現実適応障害を起こす事例も散見出来ます。この課題を意識しておくと、とても生きやすくなります。持統天皇の話になりますが、藤原不比等との出会いの晩年は少々悔しい想いもしたでしょうが歴史の大きな流れ、藤原氏の強大な権力には立ち向かえない現実もキチンと意識して生きていたようです。どんな環境でも明るく元気に逞しく生き抜いていきましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
五感と体感で納得したものは意識、無意識を問わず自分の中に取り込まれていきます。倫理道徳に関係なく、心から嬉しく、好ましく、納得出来たもの、心の奥深くに響いたものは、その人の人柄として形成されていきます。好きな先生の講義と分野の学問が大好きになるように、人は大きな影響を受けやすく出来ています。人はこのように単純なところがあり、それだけに「好きこそものの上手なり」という先人の諺を大事にしつつ自分の悔いのない人生を喜びとともに創造し、確立していきたいものです。持統天皇はあの時代、しばしば大きな危機を乗り越え、生き延びる事が出来たのは案外、民草の幸せを同時に祈る心もあり、共存共栄の思想もあり、良い天皇だったのではないかと思います。自分の権力闘争も激しいのですが国民の幸せを天皇として強く願う天皇で、自分の五感と体感を正直に行動していやようです。あの健康と逞しさは不正直からは生まれなかったと推察しています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分の五感と体感に何の脅威も感じさせない身心の環境で人は初めて信頼出来る相手に心を拓きます。不思議なもので大いなる反省はこんな環境の時に生まれます。安心して身心を任せられる愛の人に人は運命を託す事があります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分を脅かすもの、脅威を感じるものに対しては人間は身を固くしガードします。この人間の基本原理をなじる人がいたとしますと、その人は人間の本質を知らないと言えるでしょう。独断と偏見だろうが、ガードする生身の人間を愛と許しで暖かく見守る修行をしていくと人は何故か幸福の機会を掴むようです。ひたすらガードばかりしていると幸せは何故か、逃げていくようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理的適応は自分の成育史上、五感と体感のレベルで気分の良い場合に生まれます。思考と感情のレベルで、とても受け入れられる森羅万象ならば、人は心理的適応現象の中で生きていけます。しかし人間社会の中では、だからといって幸せになれるとは限りません。心理的適応だけを追求していると人生が破綻する可能性もあります。不適応の体験を経ることで人間の器も大きくなり人格の成長し自己肯定他者肯定、という共存共栄の思想を身につけ自他ともに幸福になる哲学を身につけていくのでしょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
本物の心理的不適応は、その人が五感と体感で受け入れたくないと思うもの(善悪に関係なく、その人の成育史上、受け入れ難く思う事)に遭遇した時、深層心理の世界で大きな緊張が生まれます。しかし教育、教え、経験があるので、ニコニコ笑いながら、緊張している事例が沢山あります。時間の問題で身体症状が出たり、爆発したりします。このような原理を意識化しておくと、セルフコントロールが上手になり、身体症状を出さなくても生きていくことも出来ます。この原理を意識化しないと抑えがたい感情に振り回され人生を棒に振る人もでてくるわけです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分に限り、こんな事はするはづがない、と。人はだれも、そう考えていますので、行動に踏み切った場合、すぐ忘れるか、意識化しないか、意識の上で逃避するか、とにかく自分がしたこととして認めない傾向があります。そのように人間は創られているようです。良心の呵責、罪の意識が強いと人間は案外ノイローゼになったり、身体症状が出る人もいるくらいです。持統天皇に限らず天皇は罪滅ぼしの為にお寺を建てたりしています。罪滅ぼしをする人間はやはり美しいなあ、と私は思います。生身の人間は互いに相手を激しく攻撃しあうことだけはやめたいものです。
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