4月26日、自民党は衆参両議長に対して「安定的な皇位継承のための皇族数確保策」に関連した「有識者会議報告書」の2案を「必要」とした見解を提出した。
(1)「旧宮家の男系男子を養子縁組で皇籍に復帰させる。養子縁組後に生まれた男子は皇位継承資格を有する」(2)「皇族女子が結婚後も身分を保持」の二案だ。
このうち(1)は当然の方針であるものの、(2)は女系天皇に繋がりかねない懸念が残る。
有識者会議の報告書では、上記2案で皇族数を確保できない場合、(3)「旧皇族の男系男子を法整備により直接皇族とする」案も示されている。
自民党の見解では「〈1〉と〈2〉で確保できない場合の方策」として第三案を位置づけている。 嘗て新井白石が示し、将軍が認めたことにより、実際に後年の光格天皇へと繋がって皇統は維持された。したがって自民党のいうに何が適切、必要というだけではなく三案も併記するべきではないのか。
新井白石は、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機を想定し、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
将軍家宣は白石の建言を受けいれ、直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。 はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
そこで東山天皇の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。
自民党の見解がまとまったが、この意見書は不十分である。 皇統後継は、新井白石の歴史の教訓が活かされるべきであろう。臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。