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スカイツリーの絶好の撮影スポット・言問橋
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浅草やスカイツリーがある墨田区・台東区周辺には、
東京大空襲の痕跡を示す場所が多くあります。
このスカイツリーがよく見える橋、『言問橋(ことといばし)』
『言問橋』は、台東区の浅草の北側と墨田区向島をつなぐ橋です。
(↓写真は、言問橋から、浅草方面を背にして見えるスカイツリー)
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地獄となった言問橋
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言問橋は、1945年3月10日の東京大空襲で、
一夜にして数千~1万人の方が亡くなったと言われています。
浅草方面から、そしてその反対の向島方面、
それぞれの方向から大勢の人が、戦火を逃れる為にこの橋を使って対岸に渡ろうとした為、
橋の上で身動きがとれなくなってしまう。そしてそこに焼夷弾や火炎旋風が人々を襲い、
さらに橋の上から逃げる為に、川から飛び込み水死してしまった方も多くいたそうです。
↓橋の支柱には、その焼け跡がはっきり残っています。
↓ちなみに支柱の裏側はこんな感じ。
言問橋は大きな橋ですが、実際にこの橋に行くと、
とても1万人もの人数が居れるような広さではないことを実感するでしょう。
その悲惨な光景を想像するだけで、とても辛く悲しい思いになります。
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「言問橋(ことといばし)」の名前の由来、そして…
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『言問橋(ことといばし)』という名前の由来は、
平安時代の歌人・在原業平(ありわらのなりひら)が詠んだ
“名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと”
(意味:そのような名を持っているのならば、さあ聞いてみようか、都鳥よ、私が思う人は元気かどうかと)
という歌に因んだという説があります。つまり、都にいる恋人を想って読んだ歌であります。
また、昭和のフォークソングの『言問橋』(クラフト)も、
この橋がタイトルとなっていますが、この曲も恋について歌った曲です。
そもそも「橋」は、“離れた場所を繋ぐもの”、“別世界とを繋ぐ境目・
会いたい人の事を想い、物思いにふける対象となるのも理解できます。
「川」は何かを遮るもの。そして、その「川」を越える為の「橋」
「橋」や「川」「河」
『渡良瀬橋』/森高千里、『栄光の架け橋』/ゆず、『イムジン河』/フォーククルセイダーズ、『river』/AKB48…
『橋』が、いつの時代も、