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コスモタイガー漂走記~旧紀州街道編①~中編

2024-04-09 | 旧紀州街道run/更新中

南下してすぐにYの字分岐。
左の道を行く。

というか、この辺りは資料によって異なっていて、阪堺電車(路面電車)の道をそのままとするものもある。

でも現地走ってみるとそれはしっくりこないんだよね。
今走ってる1本西の道が、万葉歌碑もあるし道のうねり具合からしても正解な気がする。

自分の感覚を信じてそのまま道なりに。
Yの字分岐から約200m。
少し道が左へカーブして行き止まりになる。

手元の地図と現地の状況からして、(すでに消失しているが)恐らくこのまま道は斜めに進み、この先の住吉警察署の敷地内を通り、路面電車の道へ合流するように感じるんだけどなぁ。

ってことで、左折してとりあえず電車道を南下することとしよう。
住吉警察署を過ぎてしばらく、「さんけい道石碑」なんてあったりするから、自分のカンもまんざらでもないな。

こっちはあっちこっちの旧街道走ってるからね~。
習うより慣れろというやつで、実戦感覚では結構イケてる気がする。

そして目の前に現れるのが、関西人なら恐らく誰でもお参りしているであろうメジャースポット、住吉大社だ。


さすがに季節外れなだけに、露店はないが、静かな参詣客も多い。
外国人にも人気スポットのようだ。


かつてはこの住吉大社の前、まさに紀州街道沿いに大阪湾が広がっており、ここから遣唐使も旅立っていったんだね。
駆け足で神社をめぐり、街道に戻り、トレーニングを続ける。

路面電車は左の専用軌道へとカーブし、しばしのお別れ。
と思ったらすぐに目に入るのが小さな木橋。

「おはらいばし」と称したらしく、傍らに紀州街道の案内板が寄り添っている。(冒頭写真)

ただひたすら南下する直線道。
迷うとこではない。
国479を渡る。

しばらくして右手に可愛らしい神社。
「霰松原神社」

ん?何と読むんだ?
「あられ」だとさ。
そして松原、という名が、この辺りが海岸線だったことを示しているよね。

そのままアーケード街に入った。
安立商店街ね。
恥ずかしいけど、真面目なトレーニング中です!!

そして商店街を抜けるとすぐに「大和橋」。


橋の上からの景色って、何気に好きだなぁ。
そしてここで大阪市に別れを告げ、こんにちは堺市、ということになった。

師走の穏やかな休日。
人の行き来も落ち着いている感じで、足も快調に進む。

大和橋渡り終えて約300m。
左手に寺院風の建物と祠がある。

「風間寺」。

詳しく知らないが、風間六右衛門という人がここで自刃したことに由来するそうな。

手を合わせてさらに足を進める。
堺市に入ってから、この道は「大道筋」という別称も付与されているらしく、所々に街道らしき風情を残しているのが嬉しいな。

またすぐに表れた立派なお屋敷。
榎並屋勘左衛門芝辻理右衛門屋敷跡。


堺といえばかつては鉄砲鍛冶ね。
織田信長が大量の火縄銃を入手できたのも、ここ堺を抑えていたから。
その鍛冶屋さんを営んでいた鍛冶屋さんのお宅ね。

その先、交番があって、阪堺電車と再会。
その線路を渡れば道幅は広くなる。
まさに大道筋にふさわしくなった。

何やら案内板があり、ちょっと寄り道。
左折してまもなく。

「山口家住宅」。

かつての庄屋さんのお宅で、堺市立町屋博物館として運営されている。

はい、トレーニング中!!
毎度のことながら内部の見学はスルー(笑)。
ま、似たような施設、あちこちで見てきてるからね。

すぐに引き返し、大道筋に戻る。
で、100mほど走ればまた案内板。
郷学所跡。


名前の通り学問所で、いくつかの寺子屋を集約し、幕府の援助により運営されていたとされるから、堺が裕福であるとともに、重要な地点であったことが窺い知れる。

またしばらくは阪堺電車とのお付合い。
大道筋は古くからの堺の街の南北の大幹線道路だったらしいからね。
今も片側3車線で歩道も広い。(まぁ、多少の拡張はあったと思われるが…)

しばらくすると左手に大きな某電話会社の大きなビル(堺ビル)があって、道路の反対側に見えるのが「ザビエル公園」。


言うまでもなく、あのフランシスコ・ザビエルに由来するものであろうことは明白だが。
帰宅後調べてみると、ここは元々豪商日比屋了慶という人の屋敷跡らしい。
そこにザビエルは招待されたという。

そう、招待されてしばし居候しただけ。
うーん、微妙だな、それなら「日比屋公園」のほうがしっくり来そうなもんだけど。
でもそれだと東京の有名な公園とかぶっちゃうから(でも「屋」が違うけど…)気になったのか?

そして大道筋もこの辺りでは某電話会社によって綺麗に手入れされており、それを示す看板が誇らしげに掲げてある。


さらに南下を続ければ、今度は東西の大幹線、大小路と交差。


そう、ついこの間走った気がする「西高野街道」のスタート地点なわけさ!!

もちろん今日はただの通過点。
南下を続ける。

阪堺電車の「御陵前」電停を過ぎるとすぐに同名の変更交差点があり、ようやくここで路面電車としばしのお別れとなる。
右斜め、薬局の脇から伸びるのが、いかにもそれらしい雰囲気を残す紀州街道。


そして左にカーブすれば、そこにあるのが「船待神社」


名前からして、この辺りまで海だったんだね。
そして神社前の紀州街道は、くねくねと独特のうねりを残していて、堺市の街中とは思えない静かさだ。


さあ、そしてここからしばらくはシャメする見どころもなさそうだが、1本道がくねくねと続き、足取りは警戒に進む。
時計はまだ13時半をまわったばかり。

師走のわりには暖かい日差しを感じつつ、南下を続けるコスモタイガーなのだ。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
地名の由来 (ウォーク更家)
2024-04-14 14:40:49
船待神社に霰松原神社、なるほど、この辺りまで海だったことが分かるんですね。

ザビエル公園は豪商の屋敷跡で、ここにザビエルが招待されたのでこの公園名になったなんて、歴史を感じさせる土地柄ですね。
地名 (コスモタイガー)
2024-04-19 17:02:11
更家様

コメントありがとうございます。
街道慣れ?して、地名で何となくかつてここが…とわかるようになってしまいました。
あと何年もしたら、タモリさんの先生役としてブラタモリにも出演できたりして…なんて、ね。
その前にブラタモリ自体、終わっちゃいましたけど( ;∀;)

ザビエル公園というから調べたのに、招待されてちょっとの間居候しただけ。
持ち主を差し置いて?居候の名前を冠するというのはちょっとビミョーな感じですね。(個人の見解です)

さぁ、早く続きを更新しなきゃ(;'∀')

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