セクシュアリティと政治と宗教

              - 絵画と宗教文書から(R15指定)

 

1.リリス

 

 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。

 そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、

 地を這うものすべてを支配させよう。」

 神は御自分にかたどって人を創造された。

 神にかたどって創造された。男とに創造された。

                            (創世記1:26-27)

 

 イタリアのフィレンツェ駅すぐ近くにその教会はある。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会。ルネサンス期の数々の名画が描かれる教会であるが、今回扱うのはウッチェルロの地味な壁画の肉眼では確認しにくい一部である。天地創造の動物の創造とアダムの創造を描くこのフレスコ画は外気にさらされた中庭を取り巻く壁に描かれたものなので、残念ながら劣化が激しい。背景の赤、植物の緑の色は残るが、登場人物の色彩は脱色してモノトーンに近い状態にある。この動物の創造の中に顔だけが描かれるのが今回の主人公リリス(ヘブライ語 לִילִית 、ラテン語Lamia)である[1]

 

パオロ・ウッチェルロ「動物の創造とアダムの創造」UCCELLO, Paolo, Creation of the Animals and Creation of Adam, 1432-36 Fresco, 244 x 478 cm Green Cloister, Santa Maria Novella, Florence

「エバの創造と原罪」Creation of Eve and Original Sin, 1432-36 Fresco, 244 x 478 cm Green Cloister, Santa Maria Novella, Florence

 

 旧約聖書の創世記の第1章は天地の創造と人間の創造を扱い、第2章は再びアダムの創造とアダムのあばら骨から女エバが造られる様を描く。(聖書学では祭司的文書とヤハウェ文書という異なる伝承が編集で合併されたと考える。[2])伝統的なユダヤ教、キリスト教では1章の女と2章のエバを同一視しするが、中世のあるユダヤ教文書は第1章の女はアダムの最初の妻リリスで、彼女はアダムと同様に土から創造されたので、アダムと平等の権利を求め、アダムの男性優位の性行為を拒否して、アダムの元から出ていき、紅海沿岸に住み着いたと考えた[3]。(実在したなら、人類史上最初に女性の権利を主張した人物と考えられる。)リリスはメソポタミアの伝承とも結びつき、妊婦や乳児(特に男児)を襲う悪鬼、魔女と考えられた。アダムが遊牧民の父系社会の象徴、リリスが農耕民の母系社会の(大地母神的)象徴とも言える。

 

 ウッチェルロの絵画では動物の中に顔だけが描かれるリリスの額にはその名(Lamia)がラテン語で記されている。

 

 

 また、その絵の真下に描かれるエバの創造と堕罪の場面ではリリスがアダムとエバを誘惑する蛇として登場している。

 

 

 更にこの教会の天井にはフィリッポ・リッピの絵画「アダム」があるが、アダムの隣にはリリスがいて、アダムはリリスから男児を守るように描かれている。

 

フィリッポ・リッピ「アダム」LIPPI, Filippino, Adam, 1487-1502 Fresco Strozzi Chapel, Santa Maria Novella, Florence

 

 聖書にリリスという言葉が登場するのは旧約聖書の預言書のイザヤ書の1節のみである。

「荒野の獣はジャッカルに出会い、山羊の魔神はその友を呼び、夜の魔女(リリス לִילִית )は、そこに休息を求め、休む所を見つける。」(イザヤ34:14)

 

 

 余談だが、アニメ「ヱヴァンゲリヲン」では第1使徒(怪物のような生命体)アダムによって、人類を脅かす数々の使徒が生み出されたのに対して、第2使徒リリスは動物や人類など、すべての生命の母とされる。使徒から人類を守るために主人公の少年、少女がヱヴァンゲリヲンと呼ばれるロボット(生命体?)に乗って戦う。彼らの基地の地下深くにはリリスの遺体(?)が保存されている。

 

 

 


[1] Virginia Tuttle, Lilith in Bosch's "Garden of Earthly Delights", Simiolus: Netherlands Quarterly for the History of Art, Vol. 15, No. 2, 1985, p. 125

[2] 野本真也、「創世記」、『新共同訳新約聖書注解I』、日本基督教団出版局、1996年、23-26頁。

[3] バーバラ・ウォーカー、「リリス」、『神話・伝承辞典』、大修館書店、1988年、440-441頁。「リリス」、『世界宗教大事典』、平凡社、1991年、2047頁。

 

4 旧約4  蛇の誘惑  Temptation of Serpent

 

 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」(創世記3:4-5

 

  And the serpent said to the woman, "You will never die, but God knows that as soon as you eat it your eyes will be opened and you will become like God, knowing good and evil." (Gen 3:4-5)

 

 あらゆる生き物の中で最も賢いのは蛇でした。蛇は女に言いました。

蛇「園のどの木の実も食べてはならないなどと神は言われたのかい?」

女「そんなことありません。どの果実を食べても良いのです。ただ、園の中央の木の実だけは食べてはいけない、触れてもいけない、死んではならないからと神さまは言われました。」

蛇「そんなことはない!絶対死なない!それを食べると、目が開いて、『神のように』なり、善悪を知ることがきっと神は妬ましいのさ。」

 

 その実を見ると、とてもおいしそうで、見栄えが良く、いかにも賢くなれそうだったので、女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べました。すると、二人の目が開けて、自分たちが裸であることがわかって恥ずかしくなり、慌ててイチジクの葉でまたを隠しました。

 その日の夕方、神が近くに来られたとき、アダムとエバは神から逃げて木陰に隠れました。

神は言われました。「どこにいるのか?」

 

 神は「善悪の知識の木」、通称「知恵の木」から食べることを厳しく禁じました。神はなぜこのんな試練の木をエデンの園に置いたのでしょうか?この木はどう生きるかの決断の分れ道だったのかもしれません。神の言葉を信じて生きるか、自分を「神のように」して生きることか。

 聖書の注解書などでは「知恵の木」をブドウやイチジクと考えるものもあります。また、ラテン語の「悪」(malus)と「リンゴ」(malum)の類似からか、しばしばリンゴに描かれる美術作品もあります。。


 


デューラー「アダムとエバ」DÜRER, Albrecht Adam and Eve 1507 Oil on panel, 209 x 81 cm Museo del Prado, Madrid


 

 

ラファエロ「アダムとエバ」RAFFAELLO Sanzio Adam and Eve 1509-11 Fresco, 120 x 105 cm Stanza della Segnatura, Palazzi Pontifici, Vatican

 

 

 

ファン・デル・フース「堕罪」GOES, Hugo van der The Fall 1467-68 Oil on oak, 33,8 x 23 cm Kunsthistorisches Museum, Vienna

 

 楽園の蛇は8世紀ぐらいまでは単に動物の蛇として描かれましたが、それ以降はドラゴンなどの怪物にも描かれるようになりました。12世紀末のパリの神学者ペトルス・コメストルが修道士のための教科書『ヒストリア・スコラスティカ』に「似たものは似たものに賛同するので、悪魔は女の顔を持つ蛇を使った」と書きました。その影響は絶大で、それ以来500年間、西洋美術では人間の顔を持つ蛇が描かれることになりました。

 

 デューラーは動物の蛇、ラファエロは上半身が人間の蛇、フースはサマランダー(火トカゲ)の体の蛇を描いています。


 余談ですが、ヨーロッパでは美術史専攻の学生は美術館がしばしば無料になります。何年も前のことですが、フースの絵があるウィーン美術史美術館は私にシーズンチケットをくれたので、何日も無料で美術館に行くことができました。

 

 

 

 

 

3 旧約3  エバの創造

 

主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。(創世記2:21-22

 

So the LORD God cast a deep sleep on the man; and, when he slept, He took one of his ribs and closed up the flesh at that spot. And the LORD God formed the rib that He had taken from the man into a woman. (Gen 2:21-22)

 

 神はエデンの園を造り、食べるに良いいろいろな果樹を生えさせ、園の中央に「命の木」と「善悪の知識の木」を生えさせました。そして、アダムをエデンの園に住まわせ、土を耕し、その管理を任されました。

 神は言われました。「アダム、すべての木の実は自由に取って食べてもよい。しかし、善悪の知識の木からだけは、決して食べてはならない。食べると必ず死ぬからだ。」

 アダムは答えました。「はい、神さま、あなたを信じて、あなたの言葉を守ります。」

 神はアダムが一人でいるのを見て、あらゆる生き物をアダムのところに連れて来られました。アダムは生き物に名前を付けましたが、彼にふさわしい助け手を見つけられませんでした。

 そこで、神はアダムを深い眠りに落とされ、アダムの「あばら骨」の一部を抜き取って、そのあばら骨から「女」を造られました。彼女と出会ったとき、アダムは歓喜の歌を歌いました。

「ついにこれこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。

 探し求めた助け手、女性(イシャー)だ。
  まさに男性(イシュ)の半身だ!」

 

 

 

創世記1章では男も女も「神のかたち」(Imago Dei)に創造され、平等な人格的存在であることが示されています。しかし、第2章では別の神話が展開されて女が男の「あばら骨」から造られたと書かれています。この女性の創造は象徴的です。もし、頭の骨からならば、女性は男性の支配者、足の骨からならば、男性の奴隷を意味したかもしれません。古代人は心臓に心があると思っていたので、心臓を覆うあばら骨からは心が分かり合える存在を意味したのかもしれません。
 

 

 
 

ミケランジェロ「エバの創造」1509-10年 フレスコ 170 x 260 cm システィナ礼拝堂 MICHELANGELO Buonarroti Creation of Eve 1509-10 Fresco, 170 x 260 cm Cappella Sistina, Vatican

 


 

 エバの創造の場面は、伝統的にアダムのわき腹からエバが出てくるように描かれました。そしてこの旧約の物語は新約のキリストが十字架で槍を刺されたことの予型と考えられました。槍で刺された傷から流されたキリストの血潮から教会が誕生したという解釈で、エバは教会を象徴します。この槍を刺した兵卒がロンギヌスで、この槍が「ロンギヌスの槍」と呼ばれます。余談ですが、この題材はアニメのエヴァンゲリオンなどでも用いられました。


 

 

エバの創造とキリストが槍で刺される場面、『貧者の聖書』(Biblia pauperum)1460-63年、オランダ。

 

 

 

 

 

旧約聖書

 

1 旧約1  天地創造

 

初めに、神は天地を創造された。(創世記1:1

 

In the begining God created heaven and earth. (Gen 1:1)

 

 初めに唯一の神がおられました。

「光あれ!」 神の言葉によって、暗闇の中に光が輝き、光と闇、昼と夜が分けられました。第1日です。

「大空あれ!」 神の言葉によって、空と海が分けられました。第2日です。

「大地あれ!」 神の言葉によって、海と陸地が分けられました。

「植物あれ!」 神の言葉によって、様々な草花と果樹が生えました。第3日です。

「輝くもの、空にあれ!」 神の言葉によって、昼に太陽、夜に月星が輝くようになりました。第4日です。

「生物、水中と大空にあれ!」 神の言葉によって、様々な水中の生き物、様々な空を飛ぶものが生れました。第5日です。

「生物と動物、大地にあれ!」 「神にかたどって人間あれ!」神の言葉によって、様々な生物、動物、そして最後に人間が創造されました。第6日です。

 完成したものはすべてとても良いものだったので、第7日には神は安息され、この世界を祝福されました。

 聖書は、無から有を造り出す神の創造に始まります。そこでは大地母神や神々から世界が生まれるのではなく、また自然自体の進化によって世界が生じるのでもありません。神の言葉によって世界は創造されるのです。ヘブライ語の「日」(ヨーム、יוֹם)という言葉は「時」という意味もあるので、必ずしも1日が24時間を意味したとは限りません。しかし、現在の1週間を7日とする暦はこの聖書の創造の記事に由来します。そして、ユダヤ教は第7日の土曜日を、キリスト教はキリストが復活した日曜日を礼拝(休日)にあてます。

 


 
 
ウィリアム・ブレイク「創造者」1794年 エッチングと水彩 23.3 x 16.8 cm 
大英博物館 ロンドン

 

 

 

ヒエロニムス・ボス「天地創造」1500年 油彩・板 220 x 195 cm

 

プラド美術館 マドリード
 

絵画では聖書の創造の神はしばしばたくましい老人として描かれます。ブレイクは太陽の中に座り、コンパスを手に持つ創造者を描いています。ボスは左上に小さい仙人のように創造者を描いています。


 

 

 

 


ミケランジェロ「太陽と月と植物の創造」1511年 フレスコ 280 x 570 cm
システィナ礼拝堂 ヴァチカン

 

ミケランジェロは、左半分は神の後姿で第3日の植物の創造を、右半分は右手で太陽を左手で月を創造する第4日目を描いています。

 

 

 

 

2 旧約2  人間の創造  Creation of Man

 

 神は御自分のかたちに人を創造された。神のかたちに創造された。男と女に創造された。(創世記1:27

 God created man in His image, in the image of God He created man; male and female He created them. (Gen 1:27)

 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(創世記2:7

 The LORD God formed Adam from the dust of the earth (adama). He blew into his nostrils the breath of life, and man became a living being. (Gen 2:7)

 

 神は言われました。「わたしたちにかたどって、わたしたちに似せて、人間を造ろう。そして、世界中の生き物を管理させよう。」神は御自分にかたどって、「神のかたち」に人間を創造されました。男と女に創造されました。神は言われました。「子供を生み、増やし、世界中に満ち、すべての生き物と世界を管理しなさい。そして、植物を食物としなさい。」

 主(ヤハウェ)である神は、土(アダマ)という有限なもので人間(アダム)を形づくりました。しかし、神が「命の息」を人間の鼻に吹き入れたとき、人間は初めて命ある者となりました。

 

「人間とは何か」、「人はどう生きるべきか」…これらは素朴ですが、人間の本質に関わる大きな問です。聖書は、人間が「神のかたち」(Imago Dei)に創造されたと語っています。これは人間が他の動物とは違う存在であること、人間だけが神を求めて神を礼拝する存在、神と人格的関係を持つ存在であることを意味します。神と親しい関係にあるとき、人間は本来的な命を味わうことができるのでしょう。

 

  
 

ミケランジェロ「アダムの創造」1508-1512 フレスコ 280 x 570 cm システィナ礼拝堂

神は右手の人差し指でアダムに命の息を吹き込もうとしています。神の左手側に抱えられているのは誕生前のエバとも考えられます。このミケランジェロの神とアダムが指と指を合わせる姿は、映画「ET」にも採用され、少年とETの友情の場面に用いられています。


 
  

ティントレット「動物の創造」TINTORETTO Creation of the Animals 1551-52 Oil on canvas, 151 x 258 cm Gallerie dell'Accademia, Venice

 

 

ウッチェルロ「動物の創造」部分UCCELLO, Paolo Creation of the Animals 1432-36 Fresco, Green Cloister, Santa Maria Novella, Florence


 リリス伝説:創世記1:27の男女の創造の後に、2章で再びアダムとエバの創造の記事が続きます。現代の聖書学ではそれは文書資料(JとP)の編集問題とされますが、昔のユダヤ教の一派はエバ以前にアダムの前妻リリスがいたと解釈しました。その解釈は異教の妊婦や赤子を襲う魔女伝説と合体して流布しました。この伝説に基づいて動物の創造の中にウッチェルロはリリスを描いています。

 

ἀλλ᾽ ἵνα φανερωθῇ τὰ ἔργα τοῦ θεοῦ ἐν αὐτῷ.

(John 9:3 BGT)

sed ut manifestetur opera Dei in illo

 (John 9:3 VULM)

but this happened so that the works of God might be displayed in him.

 (John 9:3 NIV)

sondern daß die Werke Gottes offenbar würden an ihm.

(John 9:3 L45)

「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」

 (ヨハネ9:3 口語訳)

 

 

交通事故から1年が経ちました。

1年前に日赤病院で生死をさ迷っていた私は

今名古屋のアパートにいます。

首の骨2本、背骨3本を骨折し、脊髄を損傷した私は、

全身がピクリとも動かず、呼吸も止まる寸前でした。

 

事故の翌日には人工呼吸器の使用について

医師に尋ねられ(脳死後の延命措置)、

4日後には一生車椅子の生活を覚悟するように言われました。

 

事故当日の夜は地獄のような痛みと苦しみを味わいました。

36時間、一睡もできずに、、、

睡眠薬を与えるとそのまま死んでしまうことを恐れた医師は

薬で眠ることを許してくれませんでした。

 

「イエスさま、助けてください、、、」

十字架にかかったイエスさまはともに痛みを担ってくださる、、、

「痛い、苦しい、、、」

インマヌエル、主、我らと共にいます。

「いつまで続くの、、、助けて、、、」

長い夜は続き、やがて朝になりました。

 

神さまの憐れみと、

多くの方々の祈りによって、

わたしは奇跡的な回復を遂げました。

 

多くの機械や管や点滴がはずされ、

手が動かなくて、人に食べさせてもらっていたわたしが、

自分で食事ができるようになりました。

 

歩けなかったわたしが歩けるようになりました。

トイレを自分でできるようになりました。

もう、大きな声は出せないと思いましたが、

歌が歌えるように、賛美できるようになりました。

 

後遺症は残りました。

手足に痛みと痺れがあります。

脊髄損傷から来るものです。

後遺傷害の7級だそうです。

54パーセントの労働能力の喪失に相当するものです。

 

教員としては

1時間立ち続けることができない、

黒板に書き続けることができない状況ですが、

 

今、与えられたこと、

できることをしていくつもりです。

そして、何らかのかたちでキリストの証人になりたいものです。

 

5月に美術史学会で『ビーブル・モラリゼ』について発表しました。

これは13世紀の挿絵付聖書で、

今の絵本や漫画に近い形態のものです。

名古屋大学のK先生がわたしの指導教授で、

いつも親切に指導してくださいます。

(中世キリスト教美術の世界的権威で、名大の副総長)。

5月の大英図書館での写本調査の費用も

ご自身の研究費から出してくださった。

(わたしは博士研究員なので、指導教授の研究費を使用可能)。

 

その発表を元に学会誌に論文投稿をようやくしました(11月末締切)。

掲載されるか、どうかはこれからの話です。

5月の発表を見た東京の大学の先生から、

日仏美術学会での発表を打診され、

現在のところ1月の学会発表を目指して準備しております。

 

相変わらず、収入はないので、

学会費は響きますが、節約生活でがんばります。

 

交通事故の原因となった相手の保険会社が提示した保険金額は、

弁護士によると通常の半額以下だったそうで、

そのために裁判をすることになりそうです。

 

誰も知らないところで、細々と生活している者ですが、

お祈りに覚えていただければ、幸いです。

 

1年間の感謝をこめて

            ハリー・シン

 

 

 

 

 

大英図書館 「ビーブル・モラリゼ」(Harley 1527写本 fol. 77r)

 

 

 随分ブログをサボってしまいました。

すいません。

今週の金曜日に初めて美術史学会で発表します。

交通事故で首と背骨を骨折してから、半年になりますが、

3回ほどのリハビリを続けています。

 

両手、両足はいまだに痺れ、

疲れてくると、痺れは痛みに変わります。

 

わたしの指導教授は世界的な中世西洋美術史の学者さんです。

その方のご好意で、今月、1週間ほどロンドンの大英図書館に

研究調査に行かせてもらいました。

 

以前のように思うような仕事はできなくなりましたが、

与えられた機会に感謝して

できるだけのことをしたいと願っています。

 

お祈りに覚えていただければ、幸いです。

 

 ハリー・シン






 大英図書館



 大英図書館の写本室

今週から使徒言行録を読み始めました。これはルカによる福音書を書いたギリシア人の医者ルカが書いた福音書の続編で、使徒たち(初代教会の中心的な弟子たち)の活躍と初代教会の発展を描いています。

キリストは復活の後、40日間にわたって弟子たちに自らが復活されたことを示して、天に昇り(昇天)、神から聖霊が与えられることを約束しました。それが実現するのが、昇天から10日後の五旬祭(ペンテコステ)の出来事でした。五旬祭は過越祭から50日目のユダヤ教の祭りで、モーセの律法付与や小麦の収穫を祝う祭りでした。

キリスト教にとっては聖霊が与えられ、その力によってキリストの十字架と復活、罪の赦しの福音を宣教してキリスト教会が誕生したので、この日をペンテコステ、聖霊降臨日として祝います。

 

「あなたがたの上に聖霊(τοῦ ἁγίου πνεύματος)が降ると、

あなたがたは力(δύναμιν)を受ける。

そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、

また、地の果てに至るまで、
わたしの証人(
μου μάρτυρες)となる。」(使徒1:8

 

Stephanus 1550年のテクストでは(μοι μάρτυρες)となっているので、「わたしにとっての証人」(mihi testes, witnesses unto meウルガータやDouay-Rheims訳などでも与格に訳しています。

 

 

キリストの証人とはどんな人でしょうか。

 

自分の話ではなく、

 

イエスは主であると告白していく人、、、

 

 

キリスト教美術ではキリストの昇天は様々に描かれます。

 

天使もの表現も様々ですが、顔だけの人間離れした天使の方が
上位の天使と考えられています。

 



  PERUGINO, Pietro The Ascension of Christ 1496-98 Oil on panel, 342 x 263 cm Musée Municipal des Beaux-Arts, Lyon




  REMBRANDT Harmenszoon van Rijn The Ascension of Christ 1636 Oil on canvas, 93 x 69 cm Alte Pinakothek, Munich

 

今年のイースターには特別な感慨がありました。

125日に僕は事故に遭い、生死をさまよいました。

首の骨と背骨を5本も骨折した結果、

全身はピクリとも動かず、

息も満足にできずにICUに担ぎこまれた僕は、

体中が痛む中、一晩中眠れない苦しい夜をすごしました。

 

「助けて、、、イエスさま、、、」

「イエスさま、、、」

 

インマヌエルのキリストは今も共にいてくださる、、、

十字架で苦しまれたイエスさまが一緒だ、、、

 

でも、あまりにも痛い、、、
苦しい、、、

 

(水も睡眠薬も禁止された危篤状態は続きました)

 

耐え切れず、見回りの看護婦さんに何度も時間を聞きました

 

「夜の1時です。」

「夜の2時です。」

「夜の3時です。」

「朝の4時です。」

「朝の5時です。」

 

なかなか、苦しい時間は終わりません、、、

 

その中で瞬きの詩人の水野源三さんの詩を思い出しました。

 

夜明けを待つ

 

歯が痛む夜

咳が出る夜

けいれんが起こる夜は

夜明けが待ち遠しい

あと五時間

あと四時間

あと三時間と

夜明けを待っている

主よと呼びながら

朝の光

雀の声を待つ

 

 

事故の翌日、
主治医は(死に備える)人工呼吸器に関する質問をしました。

事故の4日後、
主治医は一生車椅子の生活を覚悟するようにと告げました。

 

 

4ヵ月後、
手足のしびれ、首から腰にかけてのしびれ、
つぶれた足の指の痛みなど未だありますが、
僕はバスとモノレールを乗り継いで歩いて

教会のイースター礼拝に行きました。

 

 

マルコ16:1-5

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」

 

 

石は私たちが直面する冷たい現実かもしれません。

その現実の只中でキリストは復活されたのでした。

 

茨城春日丘教会のイースター礼拝後に

祝会(料理を持ち寄ったパーティ)がありました。

今では僕を知らない人のほうが多いでしょうが、

司会者に促されて、挨拶と事故からの回復の報告をしました。

(僕は1990年の神学生時代に夏期伝に来て以来、
 この教会と関係があります。)

 

前任牧師の娘さんからは
Mさん(妹)のお兄さんということは知っていても、

「シンちゃんでわかる人は少なくなったね」と言われました。





 エルサレムの園の墓のドアの言葉


 

 

箕面の実家の近所の通称「桜通り」を散歩しました。
明日は雨のようなので、
今日あたりが見納めなのかな、、、