見もの・読みもの日記

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現地調査から見えるもの/中国農村の現在(田原史起)

2024-04-21 22:38:58 | 読んだもの(書籍)

〇田原史起『中国農村の現在:「14億分の10億」のリアル』(中公新書) 中央公論新社 2024.2

 著者の専門は農村社会学。20年にわたり、中国各地の農村に入り込んでフィールドワークを実践してきた経験をもとに本書は書かれている。

 中国の農民とは、どういう思考様式を有する人々なのか。はじめに著者は、歴史的経緯を振り返って言う。欧州では13世紀頃まで、日本は150年前まで封建制が存在していた。ところが中国は紀元前3世紀で「封建制」は終焉を迎え、皇帝が直接、民に向き合う「一君万民」的な政治体制が形成された。皇帝の意思を代行するのは官吏である(建前としては実力があれば=科挙に合格すれば、誰でも「官」になれる)。官僚が派遣される最末端単位は「県城」で、周辺の農村を統括した。農民は県より上の政府に直に接する必要はない。ここから「専制君主を戴きながらも、中国農民には思いのほか『自由』な一面が生まれた」というのは、とても共感できる。

 ある程度自由で、流動性が高い社会であることの反面として、最後に頼れる血縁が重視され、強い家族主義が生まれた。1990~2000年代に多くの農民工(出稼ぎ)が出現したのも、家庭内労働力を遊ばせず、家族全体で豊かになろうという「家族経済戦略」から説明がつくという。これも分かる。また、農民は豊かな都市住民に出会っても、彼我を引き比べようというメンタリティはなく、むしろ隣近所の農民どうしの格差・優劣を気にするという。これも分かる気がした。中国農民には、都市住民が自分と同じ「中国人」だという意識は希薄なんじゃないかなあ。

 ところで中国農村には、村幹部(村民委員会)という特異な集団が存在し、もしかすると国政よりは民主的(?)な選挙が行われている。この段で、なぜ中国は(国政レベルで)競争的な代議員選挙が根付かないかについて、著者が紹介している章炳麟の説が興味深かった。議会制はむしろ封建制や身分制と相性がよい。身分というものが中間集団として働き、「自分たちの(集団の)代表を議会に送り込みたい」と考えるからである。しかし中国には、少なくとも章炳麟の時代には、家族主義を超えるような中間集団は存在しなかった。一方、「世界最大の民主主義国」インドでは、「カースト」が政治的利益の分配における中間集団の役割を果たしてる、という著者の指摘も、たいへん腑に落ちた。

 そんなわけだが、本書に登場する農村基層幹部の人々(男性も女性もいる)は、逞しく、有能である。村民のことを知り尽くし、公共的な問題解決のため、知恵を絞り、全人格的な感覚を動員し、臨機応変に立ち回る。私は『大江大河』とか『県委大院』とか、中国ドラマで見て来た基層幹部のあれこれを思い出していた。中央政府は、少しずつ農村に対する財政支出を増やしているというけれど、開放以後の中国農村が「発展」を続けてきたのは、個々の家族の競争的な経済戦略と、「縁の下の力持ち」である基層幹部の努力の賜物なのだろう。

 気になるのは、習近平政権が「県城の都市化」すなわち、県城の農村部に居住してきた農民を、最終的には小都市である県城の市民として吸収していく政策を打ち出しているという情報である。実は、今、2022年制作の『警察栄誉』というドラマを見ているのだが、ここでも同じような社会状況が描かれていた。社会の再編成に向けて、当然、さまざまな軋轢が起きるだろうなあと思う。

 外国人による中国農村調査がなぜ「失敗」するか、「飲酒」や「宴席」の意味など、著者の実体験に即したコラムも面白い。コラムだけ立ち読みしてもいいんじゃないかと思う。


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