見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

虚構の遊楽世界/大吉原展(藝大美術館)

2024-04-19 23:17:48 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京藝術大学大学美術館 『大吉原展』(2024年3月26日~5月19日)

 「江戸吉原」の約250年にわたる文化・芸術を、海外からの里帰りを含む美術作品を通して検証し、仕掛けられた虚構の世界を紹介する展覧会。

 備忘のために書いておく。私がこの展覧会の開催を知ったのは年末年始くらいだったと思う。いまネットで検索すると、同館が2023年11月30日に公開したプレスリリースが残っている。おもしろそうだなと思う反面、ショッキングピンクのポスターとウェブサイト、「江戸アメイヂング」という軽いノリの副題には、やや不安を感じた。さらに2月1日付けのプレスリリースでは、花魁道中を見物できる「お大尽ナイト」というVIPチケットの発売が取り上げられている。これを知ったときは、かなり嫌な感じがした。遊郭文化の記憶が今も一種の観光資源になっていることは知っていたが、国立大学の博物館がそういう「消費」に加担する姿はあまり気持ちのいいものではなかった。

 同じように感じた人が多かったのかどうかは分からない。SNSで急速に批判の声が高まり、同館は、2月8日に「『大吉原展』の開催につきまして」という説明文書を公表して「本展では、決して繰り返してはならない女性差別の負の歴史をふまえて展示してまいります」と釈明した。公式サイトもいつの間にか書き換えられ、ショッキングピンクの展覧会ロゴは、お葬式みたいなグレーに修正された。当初はイケイケだった英語タイトル「Yoshiwara: The Glamorous Culture of Edo's Party Zone」が、何の工夫もない「Yoshiwara: Utamaro, Hiroshige, Hokusai」に変わっていたのには苦笑した。

 さて、見て来た内容であるが、展示品のほとんどは浮世絵である。大英博物館所蔵の勝川春潮『吉原仲の町図』や、米国ワズワース・アテネウム美術館所蔵の喜多川歌麿『吉原の花』(どちらも肉筆)を見ることができたのは眼福と言うべきだろうか。歌麿の『青楼十二時』シリーズは、国内外の美術館から集めて揃えたもので、ふだんあまり浮世絵を見ない私にも、歌麿美人画の魅力がよく分かった。最近、千葉市美術館で大量に見た鳥文斎栄之の作品が出ていたり、来年の大河ドラマが待ち遠しい蔦屋重三郎の出版物『吉原細見』が出ていたのも目を引いた。

 「吉原の近代」のセクションには、高橋由一の『花魁』(最近、修復されたそうだ)、明治~大正の写真絵葉書があり、鏑木清方の『一葉女史の墓』と『たけくらべの美登利』が出ていたのは嬉しかった。後半の展示を見ながらしみじみ思ったのだが、私は「大門の見返り柳」も「お歯黒どぶ」も、それから吉原の四季の風物「玉菊燈籠」も「俄」も『たけくらべ』で覚えたのである。

 3階の会場は、低い瓦屋根と格子窓のモックアップで吉原の街並みを再現したつもりらしかったが、人が多過ぎて、あまり雰囲気が出ていなかったように思う。「花見」「玉菊燈籠」「八朔」「俄」など吉原の四季を紹介する展示はおもしろかった。吉原遊郭のメインストリート・仲之町には、開花時期だけ、数千本(ほんとか?)の桜が植えられたという(参考:和楽Web, 2022/3/23)。辻村寿三郎らによる江戸風俗人形を配した妓楼の立体模型は、台東区立下町風俗資料館の所蔵だという。同館は、いま休館中なのだな。2025年3月にリニューアルオープンしたら行ってみよう。

 まあ面白いものもあったけれど、遊女の悲惨な境遇を示す「遊女かしく」のエピソード(歴博の展示で見た)などは、小さなパネルで紹介されているだけで、とってつけた感を免れなかった。いまさらだが、私が怒りを感じたのは、最初のプレスリリースで、大学美術館教授の古田亮氏が「近代になって鏑木清方が酒井抱一を慕い樋口一葉の『たけくらべ』を愛読したことに感じ取れる江戸情緒への憧憬は、吉原が育んだ世界と切り離すことができません」と語っていたことである。このひとは『たけくらべ』を読んでるのかなあ、あそこに描かれたものを「江戸情緒への憧憬」と言ってしまうのは、大変不満である。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 地獄極楽図の隠れた名品/ほ... | トップ | 現地調査から見えるもの/中... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

行ったもの(美術館・見仏)」カテゴリの最新記事