易を作った古代の聖人は何を考えたのだろうか。
限りなく高い天、限りなく広い大地、厳しい山々、暗い森林、激しい雷雨、広大な大自然を前にして、時に驚き、時に恐れ、時に感謝しながらその偉大さに無限の畏敬を感じていたのだろうか。春夏秋冬の変化の中に、ある法則を発見したのだろう。大自然の営みには創造主の目的と意図があり、人間が信頼し、守るべき規範があることも発見したことだろう。
繁茂する大木を前にして、天に向かって無限に伸びて行こうとするエネルギー、そのエネルギーは大地が供給する無限の蓄積であることも発見したことだろう。天に向かう力と大地を守る力、それが一体になって動物も植物も生かされている。それが人間の命の法則、人生の法則ではないか。天に向かおうとする力を陽としよう。地に向かおうとする力を陰としよう。そこから陽と陰の仕組みが出来たのではないだろうか。
考えてみると、我々は物事を二つに分けて考える習慣があるようだ。左右に分けるという考えもある。大きいと小さい、高いと低い、固いと柔らかい、富めると貧しい、明るいと暗い、積極的と消極的、強いと弱い、表と裏、動物的と植物的、良いと悪い、酸性とアルカリ性、プラスとマイナスといった具合だ。
二つに分けることによって、ある者がどちらに属するか、あるいはその中間にあると判断することが出来る。その二つに分けて考える習慣から易では陽と陰に分ける考えが生まれたのではないだろうか。陽は剛とも考え、陰は柔とも考える。古代の人は陽を、陰をで表した。たとえ文字のない時代でもとなら誰にでも解る。
世の中の有り様を陽と陰だけの二つで説明しようとしても、それはちょっと無理な話であるので、古代の聖人は陽の中でも陽の陽なるもの、陽の陰なるものなどと分析し、四つに分けてみた。しかし、それでも未だ足りないと八つに分類して考えて見た。表にしてみると、先ず世界の元になるものを「太極」と呼びます。陽と陰を「両儀」と呼びます。四つに分類した状態を「四象」と呼びます。そして八つに分類した状態を「八卦」と呼ぶのです。
「易の成り立ち」のところで、伏羲(ふっき)が八卦を発明したと説明したが、八卦とは世の中の有り様は八つの要素で成り立っていると説くものである。
すなわち陽が三つ重なった☰(乾)、陰が三つ重なった☷(坤)の間に☱(兌)、☲(離)、☳(震)、☴(巽)、☵(坎)、☶(艮)
これが八卦であるが、この八卦を充分理解しないで先に進むと何が何だか分からないということになります。そこで、次回から「八卦の解説」というテーマで説明していくことにします。
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