溜まり場

随筆や写真付きで日記や趣味を書く。タイトルは、居酒屋で気楽にしゃべるような雰囲気のものになれば、考えました。

随筆「文、ぶん、ブン」の(四)

2017年02月07日 | 随筆

 “なごむ”の(4)

 そう思いながら柿本人麿作、あるいは人麿歌集の中にあるとする歌を詠んでいくと、巻十一の2370番は「戀死 戀死耶 玉桙 路行人 事告無」。極端に字数が少ない。中西進さんの『万葉集・全訳注原文付』による、この歌の口語訳はこう。「恋に苦しんで死ぬなら恋して死ねというのか。玉桙(たまほこ)の道行く人は誰もあの人の伝言をしてくれないよ」。この歌の詠み方は「恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙の路行く人の言も告げなく」。(「玉桙」は道の修飾句)。

歌集にではない人麿の歌で、巻一にある「鳴呼見之浦尒 船乗為良武 孋嬬等之 珠裳乃須十二 四寶三都良武香」(40番)は二十八字も費やす。(この歌の詠みは「嗚呼(あ)見(み)の浦に 船乗りすらむ 嬬孋(をとめ)らが 珠(たま)裳(も)の裾に 潮満つらむか」)

歌集にあるとする2372番も同じ短歌なのにわずか十一字の「是量 戀物 知者 遠可見 有物」。訳は「これほど恋に苦しむものだと知っていたら、遠くからこそ見るべきであったものを」。詠み方は「かくばかり恋ひむものそと知らませば遠くそ見べくあらましものを」。

後世の人たちがよくぞこんなにうまいこと詠んでくれた。素人は感謝するばかりだ。これらの歌は、人麿歌集にあるとして百四十九首を並べ、前半には「正述(ただにおもひを)心緒(のべたる)」(物の比喩を借りずに直接に心情を表現する形式の歌)との小見出しがついている。もう少し見てみる。

2399番「朱引 秦不経 雖寐 心異 我不念」。詠み方は「赤らひく 膚には触れず 寝(い)ぬるとも 心を異(け)しく わが思はなくに」。訳は「ほんのり赤い初々しい肌にはふれず寝ていようとも、私は異心をもっていないことよ」

2401番「戀死 ゝゝ哉 我妹 吾家門 過行」。

詠み方は「恋ひ死なば 恋ひも死ねとか 吾妹子が 吾家(わぎへ)の門(かど)を 過ぎて行くらむ」。訳は「恋に死ぬなら恋して苦しんで死ねとて、吾妹子は我が家の門を通り過ぎて行くのだろうか」。恋する女性があぁ行ってしまう。映像的だ。

恋に苦しめば、苦しむほどに“接着剤”なしに向かうのかな、と思ったりする。

      ◇

持統天皇・柿本人麿の時代からほぼ百年さかのぼったころ、推古天皇・聖徳太子の時代に、格調の高い書き言葉、そう現存する最古の成文法「一七条憲法」があった。

有名な「和を以って貴しとし・・・」の一条。

「一曰 以和(わをもって)為(とうとし)貴(とし) 無忤(さからうことなき)為宗(をむねとせよ) 人(ひと)皆(みな)有党(たむらあり) 亦(また)少達者(さとれるものすくなし) 是以(ここをもって) 、或(あるいは)不順(くんぷに)君父(したがわず) 乍違宇(またりんりに)隣里(たがう) 然(しかれども)上和下(うえやわらぎした)睦(むつびて) 諧於論事(ことをあげつらうにかなうときは) 則(じり)事理(おのずから)自通(つうず) 何事(なにごと)不成(かならざらむ)」

美しいリズムで書かれ、亦(また)とか或(あるいは)、然(しかれども)と接着剤はあれど、気にはならない。これを中国人が詠むとどうなるか。吉川幸次郎さんが読んでいるのが梅原猛さんの『聖徳太子・上』(小学館)に出ている。

 以和為貴(yi  he  wei  gui )、 無忤為宗(wu  wu  wei  zong)四シラブルの二句、次、人皆有党(ren   jie  you  dang)、亦少達者(yi  shao  da  zhe)も四シラブル二句、あとも五シラブルずつと整えられ、当時の中国のリズムに合致している。なるだけリズミカルな方が意味もよく伝達され、人を説得する力強い文章になる、と吉川さんは言っている。

 日本書紀に記される十七条憲法は「食に奢ることをやめ、財物の欲望を捨て、訴訟を公明に裁け」(五条)とか、「国司(くにのみこともち)、国造(くにのみやつこ)は百姓から税をむさぼってはならぬ・・・」(十二条)など官(役人)に国の健全な運営を説いて、内向きのようでもあるが、「三宝(仏、法、僧)を敬うよう。仏教はあらゆる生きものの最後のよりどころ、すべての国の究極のよりどころ。いずれの世、いずれの人でもこの法をあがめないことがあろうか。・・・」(二条)とか「君を天とすれば、臣は地である。天は上を覆い、地は万物を載せる。四季が正しく移り、万物を活動させる。・・・」と、わが国のかたちを示し、国外、即ち経済力、軍事力ともにすぐれたり、文化度が高かった隋や、高句麗を意識したようにもみえる。

 そして一条は、昭和の憲法で言えば前文に相当する部分であろう。すべては諍(いさか)いのない、静かな状態「和」に集約される。中国、朝鮮は古くは日本を倭国と言った。このワ(wa)の音は大陸のものだろう。当時、自分の国をやはり「和」を入れて「大和(やまと)」と言った。和語・訓読みは「やわらぐ」「なごむ」「なごやか」、調理の「あえる」、海の「なぎ」など。『大言海』は「やわらぐ」を、自動詞で「ヤハラカニナル」「シナヤカニナル」、他動詞で「ヤハラグヨウニナス」「和解ス」「平易ニナス」と言う。原発事故の地から逃げてきた先でいじめられた少年の気持ちは和らぐどころか、その真逆だ。刺激的な言葉で大統領が生まれ、その大統領が荒っぽい「大統領令」にサインすると人々の心は騒ぐ。海は和(な)ぐどころか大荒れなのである。                                       (おわり)

 


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