絵を描こう 旅に出よう

いつもわくわくしていたい

ひさしぶりのおしゃべりディナー

2024年05月06日 06時30分50秒 | 日記

私にはセレブな世界の住人の友人が一人いる。

月20万円の家賃を払って駅前のマンションに住んでいたときに知り合った方だ。

彼女は71歳。でも50代と言っても無理がない。小学校から私立の名門お嬢様学校育ち。スタイル抜群、美しくて頭が良くて、長く海外に暮らし英語はペラペラ、息子さんは青年実業家、母もその会社で通訳などのお仕事している。

そんな世界の方となぜ友だちになったのか、いまだに不思議だけど・・私が5年前にそのマンションを引っ越してからも、W町に行くたびにお会いしてる。

きのうはお家に招かれて、チィナーを作ってごちそうしてくださった。アヒポキとロコモコ。美味しかったよ!

彼女は今の美しさを保つために、美容院やエステや整体やらに、私の1ヶ月分の生活費くらい使ってる。そのへんは頭切り替えて、少しは貯金を始めたほうがいいと思う、と言ってみたけど、美容に使うお金はやめられないそうです。やはり彼女の美貌にはお金がかかってます。

彼の女の言うには、もし将来働けなくなったら、今の暮らしを維持できない、と最近気づき、新たな副業を模索している、とのこと。

彼女なんて私と違って、経済的には一生安心なんだろうと思っていたけど、人はいったんまだ見ぬ将来を心配し始めると、みんな不安になる。

でも、彼女にも立派な息子と娘がいるのですから、何かあったら必ず助けてくれることでしょうから、心配しなくていいと思うんだけど。

何なら英語教室でも開いたらどうかなー

へんな副業への誘いにのって大金を使わせられないように気をつけてね!

 

 

さて、

彼女のお家はいつ行ってもスッキリ片付いてピカピカ。見習いたい。モノ、捨てたい。

きょうは、長かったGWの最終日、部屋を片付けよう!じわじわ増殖するモノたち。負けるな、エントロピーに。

あと、昨日お借りしたこの本を読もう。

 

 


洋服のこと。もう安物は着たくないんだけど

2024年05月03日 05時59分19秒 | 日記

5月3日(金 憲法記念日)朝

 

4連休は、晴れて暑いそうだ。高速道路は昨日から渋滞が始まっていた。他人ごととして聴く渋滞ニュースでも、お疲れさま、と思う。お金払ってるのに動かないクルマ、トイレに行きたくなっても行き着けないPA。辛いんだよね。

 

さて私はのんびりどこへもいかず4日間予定なし。

 

昨日娘が大量に服を捨てた。来年の海外移住に向けてものを減らしてるのだ。こっそり袋を開けてみると、まだまだきれいなものがいろいろ。つい、H& Mのプリーツのパンツを拾い出そうかと思ったけど、やめる。ポリシーなく、人の捨てたものをもったいないからと言って着るのはやめよう。あ、それも一つのポリシーか。着るものにはお金をかけない、という。

着るものにはほんとーにこだわりなく、お金をかけないで過ごしてきた。経験から、高価=長く着れる、とはいかないと知ったし。節約生活で第一に削れるのは衣服。でも私って安物買いの銭失いだなーと思うこともよくある。すぐに毛玉だらけになったセーターを捨てるときとか、すぐに型崩れして飽きて捨てるときとか、に。

基本的には働き者なので、ジーンズと丈の長いシャツやトレーナーなどが落ち着く。お腹がかくれるおばさんスタイルが便利だったけど、最近痩せてお腹ぽっこりもなくなったので、少しウエストをベルトでキュッとしてスカートはいてみようかな。自転車乗りにくいからやめよう。

いつもほれぼれと見とれる友人のAさん72歳は、もとモデル経験もあるほどスタイルのいい方で、私とは違うわ、と思ってたけど、ちょっと見習ってみようか。いや無理だ。過ごしてきた世界が違う。

安物を5枚買うのを我慢してちゃんとしたものを1つ買おうではありませんか!とも思うけど。

でもな、

あと十年もすれば人生終わるんだもの、もういいか。

洋服のこと考えてる暇は私にはないのだ!

でもな、

せめてこの人生の最後の10年くらい、自分に安物ではない服を着せてあげてもいいんじゃない?

いやー、

服のために財布から一万円札を何枚か出すって考えられなーい。

心底、ビンボー症候群。そもそもブランド品で身を包む、ということを、心の何処かで軽蔑してるフシがある。

だめだこりゃ。

たぶんきょうも、あの安物の並んだワードロープから、ペラペラのシャツ着るね。せめてアイロンかけよう。

婆さん臭い色の服はやめること。きれいな色の服を着る。これは大事。

伸びた姿勢と笑顔、好奇心を失わない瞳、どんな高い洋服より、おしゃれなんだよ。

 

娘の捨てた大量の洋服見ながら、しばし考えた私でした。

しばし考えたことをこうして記録すると、考えたことを忘れてしまわなくてすむ。また同じことをぐるぐる考えなくて済む。

どうでもいい話題につきあわされた読者の皆様には感謝とお詫びを申し上げます!

良い一日を!


新しい孫の写真見ながらつらつら考えたこと

2024年05月01日 07時09分11秒 | 日記

昨日もずっと雨。またゴロゴロ。

 

アプリの「ミテネ」

いまや赤ちゃんの写真を祖父母たちに見せるための最強のツール。

息子夫婦もさっそくそこから大量の写真や動画を送ってくる。毎日楽しみに観てる。生後わずか8日なのに顔がどんどん変わってくる様子がかわいい。誰に似たのかなー。

この子の両親は東京と福岡出身、その両親は神戸(私)と北海道(元夫)が出身で、さらにその上は金沢(私の母)も混ざってるし、四国出の曽祖父(夫のお祖父さん)もいる。

こうやって遺伝子はどんどんつたわりながら混ざってゆく。おもしろいねーいったい何人の人の遺伝子が、この孫に受け継がれているのだろう。

私は運動がとても苦手だ。子どもたちにはなんとか運動神経を伸ばしてほしいと、早くからバレエやサッカーを習わせた。役に立ったかな。彼らはほどほどに、バスケをしたりバレーボールをしたり、ブレイクダンスをしたり、体を動かすことを楽しんだよね。真ん中の娘だけはヴァイオリン以外はあまり体を動かすは趣味はないけど。

しかしである。今回の孫のママは、もと陸場競技の選手である。赤ちゃんに伝わってますように。

私は「運動神経がにぶい」と誰かにわれて以来、すごく劣等感があった。脚線美とはほどとおいメリハリのない脚の形も劣等感だった。パンプスが似合わない。

今となると大したことではないのに、学校に通う時期は運動ができるってすごくかっこよかった。足首がキュッとしまった美しい脚さえあれば、少々顔が平凡でも補って余りがあった。どんな靴も、どんなミニスカートも似合う。

コンプレッワクスはまだまだあったけど、なんとか高学歴イケメン青年(ただしこれまた劣等感の強い人だった)と結婚もできて、美男美女の子どもたちにも恵まれた。(面食いって、子どもがかわいい、というメリットがありますが、自分の幸せ度にはあまりは関係はありません)

面食いは、余分な苦労をする可能性は大です。夫(妻)がモテルからね。

 

孫よ、君の両親は美男美女。君もイケメンになりそうだね。でも男は顔じゃないよ。大事なのは中身だよ。たくましく、優しい子に育っておくれ。

 


発熱のおかげでゴロゴロしてた一日

2024年04月29日 19時42分01秒 | 日記

一昨日、あれ?喉が痛いぞ、と思ってたら、昨日から発熱。8℃台。きのうは孫シッターの日で、午前中はそごうの屋上へ連れて行ったりしたけど、具合悪く、孫と昼寝。起きたときに熱が出てた。ご飯食べさせて、お風呂にいれるのはいやだったけどママは帰ってこないので仕方なく入れて、寝かすところまでやる。風邪を移すといけないと思ったけど、仕方ない。

孫シッターも元気ならばこそだ。

夜は頭痛がしてきたので、カコナールを飲む。頭痛は収まったけど熱は引かず、きょうは一日寝ていた。久しぶり。幸い祝日で仕事はなし。休まなくて済んだ。

実は明日もあさっても有休取ってる。息子の赤ちゃんを見に行こうかなと思って休むことにしてたんだー

せっかくの休み、孫シッターしてたらなにも休まらないけど、熱のお陰で休める。

かと言って娘はおかゆを作ってくれるでもなく、自分で作る。(この場だけでは少し愚痴る)熱のときはおかゆと梅干しが一番いい。

頭痛がなければ熱があっても苦しくはない。ウトウトしながらオーディブルで「らせん」を聴く。ホラーだと思ってたから全然ホラーじゃなかったので驚く。映画のせいで貞子はホラーになっちゃったんだね。

遺伝子さえ残っていれば死んだ人を復活させることができる、というお話だったけど、まぁちょっと無理があるよね。

睾丸性女性化症、という言葉については、以前、保育園でタマタマとおちんちんがとても小さな男の子がいたけど、あの子はそうだったんだろうか。あの子もおっぱいが膨らんでくるのだろうか。保育園の先生たちの間ではあまりその話はしなかったけど、親御さんの悩みは深かったろう。名前は男でも女でも通用する名前だった。

そんなことを思い出しながら、ベッドで過ごした1日でした。


鈴木光司「楽園」、カラスと灯台

2024年04月27日 03時38分57秒 | 日記

きのうは、ずっと、オーディブルで、鈴木光司「楽園」を聴いていた。

孫を幼稚園に迎えに行く日で、少し早くつきすぎたので、近くの小さな公園のベンチで、ノンアルコールビールとおせんべいを食べながら聴いた。

ベンチを立ったすきに、カラスがやってきて、「なにしてるんだい」と言った(ように思った)。

ついこないだまで咲いていた桜はすっかり葉桜となっている。

雨はふらないが空は灰色。

 

スケッチブックを持ってこなかったので、地面に小石で絵を描く。あと1か月あまり、絵本は出来上がるのか?時間はこうしてたくさんあるのにアイデアが浮かばない。

灯台とかもめ

灯台とカラス

産まれた赤ちゃん

赤ちゃんの名前に使われた「律」という文字。

 

耳で小説を聴きながら、絵本の筋を考えるってどうなの、と思いつつ。頭は2つの間を行ったり来たり。

 

こうして耳で乱読された「楽園」。

一万年の時を超えて、男女の記憶は再会を果たす。

恋人になる人に出会ったときに感じる「なんか懐しい」という感じってあるよね。

生まれ変わり、というよりも、

記憶の継承。

霊魂の不滅はそういうことなんだと、田坂広志さんの「死は存在するか」という本で読んだときに、とても納得した。

 

足元のたんぽぽは、綿毛になったものと黄色の花を咲かせてるものが混ざっている。花が咲くといったん地面に倒れた茎は、綿毛になるとき、ぐんぐん茎を長く空に向かって伸ばして、風で種を飛ばす。不思議な仕組みだ!生物が子孫を残そうとする営みは激しい。そのためだけに生きてるくらい。、

結局人間もおんなじかな~

私はもう肉体の子どもは産めないけど、魂の子どもは産める。

絵本、がんばろう。

いま、朝の4時半で、窓の外でカラスが鳴いてる。カラスと灯台、にしてみようかな。

 

晩春の朝、外は明るくなってるけど、曇り空。

 

昨日から娘が関西の仕事で出かけていて、日曜まで孫預かり。一人の朝は貴重な時間だ。

 

「カラスと灯台」

遠い島の、岬のはしっこ

白い灯台が立っていた

島の周りにはたくさんの岩がかくれていて、船がぶつからないように、灯台は大切な目印だった。

その灯台にはカラスが住んでいた。

つばめやかもめやらの渡り鳥が立ち寄って、カラスに旅の話をしていった。カラスは旅がしたくなった。ある日、渡りのかもめにたのんだ。一緒に連れて行ってほしいって。かもめは言った「カラスは海を渡れないと思うよ」

 

つづきはまた!ていうかカラスが島にいる?

書き直しはあとで。

また窓の外でカラスが鳴いてる。

 

 


娘と喧嘩

2024年04月25日 07時57分16秒 | 日記

昨日の夜、夕食の支度のことで母娘喧嘩。

私は保育園に仕事に行く月火水はできるだけ行く前に夕食の支度をして行く。ご飯はタイマーで6時に炊けるようにしていく。同居を始めたころは、仕事の日は娘が夕食を作っていたのだが、なんだか物足りない日が多くて、野菜料理が食べたいし、孫にも食べさせなきゃと思って、作ってから仕事に行くようになってる。

でも、今月から仕事がはやく始まるようになり、この3日は出先から直接仕事に行く日が続いて、支度をできなかった。

きのう、夜8時前に帰宅したら、ご飯しかなかった。冷蔵庫の目刺しをやいて、ぱぱっとお味噌汁を作って、冷蔵庫からお漬物と納豆をだして食べた。

それで、「あなた達はめざしの他になに食べたの?」ってきいた。そしたら、「大根なますやトマトや残り物のきのうの味噌汁食べたよ!きょうはいそがしかったんだから!作らなかったこと責めるみたいな嫌味言わないで!」って娘。

仕事から帰って、ご飯と小さな目刺ししかないって、作っていかなかった私が悪いわけかしら?

「きょうは何も作れなかった」とラインくらいくれてもいいよね。そのつもりで帰ってくるから。

やれやれ、どうやらこの2年、娘を甘やかしすぎたなー

ご飯作ってから仕事に行くってことが当たり前になってしまって、感謝の気持ないな。主婦はどっちだ!

朝起きて、洗濯をして、孫に朝ご飯を食べさせて、今月からははお弁当まで作ってる。いやいややってるわけではないけど、やはりあまりにも当たり前に思われると、考えてしまうね。

 

早く一人暮らししたいものです。


孫No.2 誕生

2024年04月23日 10時29分18秒 | 日記

4月23日、朝7時5分、二人目の孫、誕生。福岡にて。

息子(もう34歳?)の第一子。男子。

福岡の、お嫁ちゃんの実家近くの病院で産まれた。予定日の前日。3226g。看護師として働いていたお嫁ちゃんは、切迫早産になりそうになったりしたけど、無事お腹の中で大きくなってから出てきてくれた。ありがとう!

名前は何になるのかなー

 

娘の子どもと息子の子ども。

みんな娘の子どものほうが近く感じると言うけど、そうかもしれない。

お嫁ちゃんのお母さまはすでに息子さんちに男女二人の孫がいるので孫経験はあるけど、娘の子はきっとまた格段に可愛いことでしょう。

いまは息子は沖縄勤務だけど、いつか東京に帰ってくると思うので、そのときはたくさん会いに行こう。

男の子かー

私は女の子二人、男の子一人を育てたけど、男の子ってなんか一枚の壁があったような気がずっとしていたなーなんでかなー同居のお姑さんに預けてばかりいたからかなー

 

これからがたいへん。

共働き子育て、頑張ってください!

 

★★★★★★★★★

きょうはこれから、横浜高島屋で、不思議の国のアリス展を観てきます!


中華街親睦会。はったい粉の思い出。

2024年04月21日 06時10分08秒 | 日記

なんだか疲れて2日間更新できなかった。

年取ると体力落ちてくるということを実感として感じたことはなかったのに、電車で遠出して夜帰ってきたときに、あー、疲れたなーって思うようになった。「よる年波」っていうんだねー(しみじみ)

 

一昨日の金曜日は、古い友達SさんとKさんと、中華街でランチして、ベローチェでおしゃべりして、山下公園のベンチでおしゃべりして・・・よく笑うお二人は昔から顔見ると笑っていた。こちらもつられて笑ってしまうので、3人集まるとほんとに明るいおばちゃんたち、となる。

Sさんはシニアのファッションショーのサークルに入っていて、先生に素敵なドレスを作ってもらってモデルになってショーをする(ドレスは買い取りなのでお金がかかる)。その仲間のОさんの写真を見せてもらってびっくり。なんと93歳。どう見ても70歳くらいにしか見えない。

ということで、私もそんなおばあちゃんになろうって、写真をラインに送ってもらったりした。

何と言っても姿勢だね!

背中曲がるともう年寄り。

 

その日は夕方5時から7時まで保育園の仕事も入っていて、おまけにアシスト自転車の電池切れ。「なんだ坂こんな坂」と歌って帰り、帰宅したら子守も入っていて、疲れたわー

出も若者でも疲れるよね。

よる年波、なーんて、言わないこと!

絶好調!と言うこと!

 

今朝の夢。

昔、懇意にしていた喫茶店のマスターにばったり会う。彼はわたしのことがわからない。なぜなら私がとても若返ってるから。

ははは、そんな幸せな夢みちゃう私って、おもしろい。

 

ひすいこたろうさんからの提案。朝の日課のひとつに、鏡の前でコップいっぱいのお水を飲む。そのときに、お水に言う。「若返らせてくれてありがとう」って。

ときどきやってみてる(笑)

 

★★★★★★

では昨日のこと。

一日子守(笑)

バスに乗って天王町のイオンへ。とくに買い物はない。テラスでケンタッキーを食べて帰る。

孫は、はじめ「チキンきらい」「たべない」といったので私が食べてしまったら、「チキンたべる」と言う。ちょっとムッとしたけどもう1つ買ってきた。あの「たべない」は、「いまはたべない、あとでたべる」という意味だったらしい。

食べる、食べない、にはいまだに忘れられない思い出がある。おじいちゃんに作ってもらったはったい粉のおやつ。もっと食べるかときかれ、食べる、と言って作ってもらったら、やっぱりもう入らなくて、もういらないと言ったら、「いらないならもっと食べると言うな!」と怒られた。なんでこんなこと覚えてるのかなーおじいちゃんにしてもらった楽しいこともあったはずなのにー

はったい粉のだんご(?)、あれ以来食べてないなー。はったい粉って何だ!

調べる。

「はったい粉は、オオムギの玄穀を焙煎した上で挽いた粉。ハダカムギを原料とするものもある。麦焦がし、煎り麦、香煎、おちらし粉とも呼ばれる。大豆から作られる「きな粉」と混同されやすいが、色は灰褐色である。夏の季語」

腸にも美容にも良いらしいよ。

 

また思い出話になっちまったぞ・・・

 

ということで、食べないと言ったり食べると言ったりする孫を叱らないことにする。

 

近くの公園でありの観察。えびせんの破片を投げたら、サッとつかんで、巣の方へ運んでいき、少し迷って、自分の巣穴を見つけて入っていった。広い公園、なんで巣の場所へ帰れるのか。こんな小さな頭で。(アリに脳みそあるの?)不思議なことだなー、帰巣本能って。食料が手に入って嬉しいのだろうか、そんなことを感じる心はないんだろうか・・・

 

イオンからまたバスで孫を連れて帰り、昼寝をさせ、肉じゃがとお味噌汁を作り、夕食を食べさせ、お風呂に入れて、寝かす。

1日を子守に費やした土曜日。

健康に感謝だ!病気になって孫の面倒も見れない祖母になるよりずっとずっと幸せ。

 

 


ショーン・タンの鉛筆画を模写

2024年04月18日 07時05分00秒 | 日記

きのうはイレギュラーに仕事がお休みだったので、思い立って、多摩ニュータウンのふる里へ。懐かしい町。今住んでいるところと比べると圧倒的に緑が多い。街路樹の豊かさには、心がホッとする。公園もたくさんあるし。それに電信柱と電線がない!

ヨーロッパにはありえない、この空を覆う電線は、日本の街の景観を汚くさせている。道路に立ち並ぶ電柱の邪魔なこと。日本の無電柱化は遅々として進まず、かえって何万本も電柱は増え続けてるそうだ。

一度できあがったものを、舗装され尽くした町の地下に埋めるのは大変なことだと思うけど、頑張ってほしい。ニュータウンのスッキリとした空を見ながらつくづく思った。

 

★★★★★★

絵の先生のところへ行って、鉛筆画の描き方を習う。ショーン・タンの「エリック」を模写してみる。

楽しいけど、これがなかなか家では集中できない。

擦筆でこすって暗いトーンを作るというのは私にとっては目からウロコ。鉛筆デッサンというのはこすってはいけないと思いこんでいたから。

モチベーションを上げて帰ってきたので、次の絵本のコンクールにむけて1か月、がんばろう、なにか素敵な詩を探そう。物語は作れない。

と、今は思ってるけど

朝のウォーキングも続かなかったし(恥)

ブログも一週間すら毎日更新できなかったし(恥)

 

ま、いいか!

頑張らなくていいよ!もう十分がんばってきました。


久しぶりに運転 車を巡る思い出

2024年04月17日 00時30分57秒 | 日記

きょうは娘にたのまれて家具を運ぶためにレンタカーを借りた。

1年ぶりの運転、はじめはどきどき。

でも走っているうちに昔通り。

非力な人間が重い荷物や人を運べ、夜中でも早朝でもどこにでも行ける。雨でも風でも平気。

座ってハンドルやシフトレバーを操作するだけ。

車は自由と力の象徴のように思える。カーロスを感じた。

 

4年前、愛車を手放して、大分に移住し、そのときは大家さんの車を借りて乗っていたが、横浜に来てから車の無い生活になっていた。2年、3回くらいはレンタカー借りたかな。最後に運転してから1年がたつ。

73歳はもうそろそろ免許返納を考える歳だけど、まだしばらくは乗りたいなーと思った。

でもいったん事故などの不安を抱くと、もういらないやと思ったりする。不便だけど平穏。人に害を与える心配もない。お金もかからない。

 

このブログにも書いたことがあるけど、

二十年前に、長女が交通事故で亡くなった。

あのときの運転手のHさん(名前はいまも覚えてる)は今頃どうしているだろう。亡くなったときには土下座して謝って泣いていた。いまは全く音沙汰はないが、ときどきは死なせた少女のことを思い出すのだろうか。事故は娘にも責任はあった。急に車線の変更をして後ろから来た車にはねられたんだから。でも夜中、その車はライトをつけていなかった。夜中の甲州街道、みんな高速道路並みのスピードで走る。バイクに乗っていた娘はバックミラーでは無灯火の車が来てることを気づかなかったのだろう。娘の頭はその車の右のサイドミラーにぶつかったらしく帽子の毛糸がくっついていたらしい。その車には巨大な犬が2頭乗っていた。

病院で3週間意識のないまま寝ていて、その間に顔の傷が奇麗に治った。でも脳のダメージはやがて彼女を死に至らせた。

私たち両親はなぜかあまりその運転手の男性を憎まなかった。

運命だと思った。

娘が死ぬまでの5年間、わたしたちは娘の生き方の激しさに翻弄されていたので、死という結末が、なぜか、ああ、やっぱりそうだったのか、という受容の気持ちで受け取った。もちろん悲しくなかったのではないし、いまも悲しいし毎日思い出すんだけど、理不尽さからくる怒りよりも、天のやり方に、そして娘に、感謝を感じるときもある。もう一度新しい体でやりなおしに生まれてくると信じることで悲しみをやり過ごせた。

 

実は私は、多摩市の野猿街道で、自転車の大学生をはねたことがある。それは明らかに相手の責任で、ブレーキの効かない自転車で急な坂道からすごい速度で飛び出してきたんだから。こちらは信号のすぐあとで、スピードが出てなかったのは幸いだった。大学生のころび方も上手くて、すみませんといいながらスタスタ歩いてきた。。パトカーと救急車を呼んで病院へ運ばれたけど、骨折もなく軽症。頭も打ってなかった。柔道の受け身が得意だと言っていたっけ。ほんとうにラッキー!

とにかく呪文のように「ありがとう」を唱え続けていた私だった。

警察ではこちらの責任もいちおう問われるということで左前方不注意、となったけど、あれはお巡りさんでもさけられませんでしたよ!

保険会社の交渉でこちらの過失は20%となった。

私の小さな車はかなり壊れて弁償してもらった。彼は個人賠償保険に入っていたらしい。

トラックにでもぶつかっていたら彼は死んでたかもしれない。小さい車でよかった~と言っていたな。もしかしたら私は彼を救ったのかもしれない。

全く迷惑な話だけど、それもなにか私へのメッセージだったのだろう、とは思う。天使か何かがわたしを守ってくれた。

忘れられない思い出。

 

車にまつわる思い出はたくさんある。札幌まで一人で運転して行ったこともあるし、鳥取砂丘へも行った。御前崎、潮岬、野島岬、観音崎・・・たくさんの灯台を巡った。

 

もう終わりにした方がいいのか、もう少し楽しんだほうがいいのか、迷っている。