作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85247/
以下、公式HPよりあらすじのコピペです。
=====ここから。
1858年、ボローニャのユダヤ人街で、教皇から派遣された兵士たちがモルターラ家に押し入る。枢機卿の命令で、何者かに洗礼を受けたとされる7歳になる息子エドガルドを連れ去りに来たのだ。
取り乱したエドガルドの両親は、息子を取り戻すためにあらゆる手を尽くす。世論と国際的なユダヤ人社会に支えられ、モルターラ夫妻の闘いは急速に政治的な局面を迎える。
しかし、教会とローマ教皇は、ますます揺らぎつつある権力を強化するために、エドガルドの返還に決して応じようとしなかった…。
=====ここまで。
19世紀にイタリアで起きた「エドガルド・モルターラ誘拐事件」をマルコ・ベロッキオが映画化。
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劇場で何度か予告編を見せられ、こういう“時代物”が好きなので、つい見に行ってしまいました。分かっていたけど、やっぱし宗教は、、、とゲンナリして帰路につきました。
◆どこから見ても“組織的犯罪”
カトリックを始めとする各種宗教のヤバさは、これまで何度も何度も映画で見て来たので、本作も、正直って驚きはないが、強烈な不快感と憤りを覚え、鑑賞後感はすこぶる悪い。
これ、どこから見てもれっきとした“拉致誘拐”である。何が、洗礼だよ。額に水掛けただけやんけ……と、信仰のない者は思う。
ある動作が、それがどんな些細なものであっても、ある宗教ではとてつもなく大きな意味を持つことがあるのは頭では理解できるが、幼い子供を、神の名の下に拉致誘拐までしちゃう根拠となるのは、控えめに言って“狂っている”。
今、篠田節子著『仮想儀礼』を読んでいるのだが、金目当てでインチキ新興宗教を興した2人の男が、どんどんヤバいカルト沼にハマって行く様がこれでもかと執拗かつ容赦なく描かれており、怖いというより気味が悪い。カトリックとインチキ新興宗教を同列に語るなと怒られそうだが、この映画を見る限り、逆に、どこが違うのか教えていただきたいくらいだ。
モルターラ家は、敬虔なユダヤ教家庭なのだが、7歳で拉致されて、カトリックの洗脳教育を受けたエドガルドは、結果的には、骨の髄までカトリック教徒となる。死の床にある実の母親に会いに行った中年エドガルドは、ユダヤ教徒として生きて来たその母親にカトリックの洗礼を授けようとする。母親自身も当然拒否し、家族にも阻止されるが、エドガルド自身は大真面目である。
◆不満とかスピルバーグとか、、、
成長したエドガルドは、時々、奇行を見せる。皆が首を垂れて教皇を迎えているときに、突然立ち上がって教皇に体当たり(てかタックルみたいに見えた)したり、教皇の亡骸が納められた棺を馬車から引きずり降ろして川に投げ込もうとしたり、、、。あれは、洗脳されたものの、迷いが時折現れるってことを描いているのかしらん?
教皇に体当たりしたことを咎められ、床に舌で十字架を3つ描け!なんて言われて、実践するエドガルドの姿は、何とも滑稽で気分が悪く、正視していられなかった。
全編を通じて、理不尽に翻弄されたエドガルド自身の内面描写が乏しく、彼が一連の出来事をどのように受け止め、何を考えていたのか、、、は本作ではほとんど描かれていない。それが垣間見えるのが、前述の奇行くらいなのだが、突飛な行動レベルにしか見えず、イマイチ制作者の意図が分からない。
ただ、パンフを読むと、実際のエドガルドは、教皇に忠誠を尽くしていたものの、内面では葛藤を抱えて苦悩していたらしく、長期間寝たきりになるほどの病気にも見舞われていた、、、のだそう。どうせなら、そういう描写ももう少し入れてくれた方が、映画としては、より奥行きが増したと思うんだけど。
この「エドガルド・モルターラ誘拐事件」については、スピルバーグが映画化に挑戦したものの断念した、、、ってのが本作の宣伝文句になっている。あのスピルバーグがっ!とか、箔付けになるのって日本だけじゃない? 知らんけど。
スピルバーグが断念した理由は、エドガルドを演じる子役を見付けられなかったかららしい。本作で幼いエドガルドを演じていた少年は2,000人の中から選ばれたんだとか。なかなかの演技巧者で驚いた。
スピルバーグが映画化したら、間違いなく英語で制作されていただろう。この物語を全編英語でやられた日にゃ興ざめも甚だしいので、内容に多少の文句があったにしても、イタリア語でベロッキオが監督してくれて大正解だったと思う。スピルバーグだったらもっと内容が良かったとも思えないしね。
それにしても、紛れもない拉致誘拐事件であるにもかかわらず、神の名の下ならば、犯罪が犯罪でなくなる謎原理。劇場に貼ってあったクリスチャン新聞を読んで、ますます憤りを覚えたので、参考までに貼っときます。
「洗礼を受けたこの子は、永遠にカトリック教徒なのだ」(盗人猛々しい)