チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

天の浮舟

2024年05月31日 08時59分46秒 | 日記
むかーし昔もう50年くらい前の話
「日の本の国の皇尊が天の浮舟に乗って世界を治めていた。羽の字がある土地は浮舟の降りる場所であった」
というような記述で羽という文字が世界各国なおかつ現在も飛行場になっているのだという
その他にもカヌーに乗ってあちこち人類が移動し、それぞれの国の文化を分かち合っていた。世界は日本から始まった

しかも図入りで天の浮舟は今のドローンのようなものだった
新約聖書の東方の三賢者は日本からの三賢者であると
今の天皇陛下がその皇尊の血筋かどうかは詳しくかいていなかった

終日ぼんやりしていたらいきなりこんな古い記憶を思い出し、その本を探したが見つからず、コロナ騒動で多くの本を人に預けたのでその中にあるのかもしれないと、連絡を取ったが連絡つかず

図書室を作る一環としてチャ子ちゃん先生の8割がたの本を持って行ってくださったのだが、その後の計画はとん挫しているらしい

本は無事なのだろうかと思うが手渡したものはもうそれで終わりだ
読んだ本の記憶だけしか残っていない

そう思ってゆうちゅうぶを見ていたら「山陰神道」の80代目という方が、皇尊の話をしていて天の浮舟とはおっしゃらなかったが、世界を統べていたのは
日本の皇尊だとお話されていた

つまり日本は最も古い国で人類の大本であるーーと
日本国に生まれ、日本人として生きていることにもっと誇りを持とうよという趣旨のお話だった

きものの写真を撮ってはぴか一の藤井秀樹さん(故人)と撮影しているときよく「山蔭神道」の方がいらしていて、撮影の合間にお話しされていたが、その時はチャ子ちゃん先生面白おかしく聞いていただけで、ちっとも記憶に残っていない

やはり「読む」ということが大事なのだなあと思い知る
天の浮舟のってみたい


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チャコちゅうぶ

2024年05月29日 07時11分58秒 | 日記
毎週水曜日午後8時から20分間「チャコちゅうぶ」を行っている。今日は117回目だ。
題目は
「きものを識れば日本が見えて来る」
ほんとうにそうなのよ
きものをがいろんなところに連れていく、それをしっかり観察すると日本はおろか世界まで見えて来る

例えば
きものを美しく着ようと思う
どういう着方が美しいのかと探す
いろんな人の着姿を参考にする、映画や舞台テレビからも情報を取る、もちろん町で、集まりで、そして日本画や浮世絵で美的感覚を養う
更に美術品を見る、いい音楽を聴く、いい舞台を見る、そうして「美」を洗練させる

そうすると日本の伝統文化とか、日本人の美意識とかが自然に理解できるようになり、日本の文化の奥深さがわかってくるようになる

その鑑賞の成果がきもの選びやきものと帯の組み合わせ、きものの着方に現れてくる、そこで経済の流通を知る、金銭価値を考える。売り買いのタイミングを知る。人の対応や思いやり、言葉使いなどが自分の感情をどう動かすかなど、人との付き合いの道がわかる

きものを美しく気持ちよく着るということは健康でなくてはならない
健康とは何だろう、未病だよ、どこも悪くない
そのために食生活に気を付ける、日常の生活を規則正しくする
こうやって自分自身を利していくことになる

きものを只の衣服と思ってはいけない
民族衣装でもない
きものを通して自分自身の魂を磨く道しるべだと知るべき

今この国からきものが消えたら、伝統文化のすべても消える
最終的にきものの形になっているけど、そこまで作り上げる技術や感性が日本人の魂そのものだということ、それを伝えていく

本日20時からチャコちゅうぶ
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夢を持つ?

2024年05月28日 11時19分37秒 | 日記
よく「あなたの夢は?」または「夢」ヲ持ちましょうといわれる
正直なところ「夢」ってよくわからない
昔貧困で今は大成功、大富豪になった人のことを「夢を忘れずにその夢を達成したから」だという
昨日ぼんやり過ごしていたら、知人がやってきて
「ナカタニサンノ夢って何ですか・?」
「世界が平和になって優しい人がいっぱい増え穏やかに暮らせることかな」
「そのために今何をしていますか?」
「自然を尊ぶことをしていると思う」
「ほう」
更に
「個人的な夢は?」
「今言ったこと個人的でもあるのだけど」
「そうではなくて矢沢永吉って知ってるでしょう?」
「ええ」
「彼はね一日2000円で暮らしていた時代もあり、音楽家になる夢を忘れずに精進し挑戦し今や世界のロックシンガー、日本武道館最多講演記録を樹立中
云々ーー」
矢沢栄吉の例をだして具体的に何かないかと問う
「うーーん」

自分が興味のあることをただひたすら行ってきただけで、夢に向かって何がなんでもと努力したことのない自分を恥じる
「努力」という言葉はチャ子ちゃん先生の辞書にはない
「好き」に一途になるだけだ

その知人はいろんなひとの「夢」の成功事例を語った後
自分はかねて「不動産」の仕事をしたいとずっと思っていて、宅建にも合格し一昨日1億の案件を成功させたそうだ
「不動産を手放したい方がいたら紹介してください」
というのが目的だった
「購入しませんか?」
ではないところは見る目がある(笑)

でも今さらながら「夢」について考えてみる
そういう「案件」を教えてくれたのには感謝だ「私の夢って何だろう」

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決まり事

2024年05月27日 10時32分54秒 | 日記
久しぶりに姪の娘と食事
「今日は外食する気分じゃあないのよ」
「だったらおばちゃんの帰り道にあるホテルでかーるくどう?」
「そこまで言うんだったらね、付き合う」えらそう

彼女は外資系の会社に勤めていて婚期を逸している、しかし姉の薫陶よろしく「茶道」ではもう師範クラス、しかも真面目にお稽古に精出している。学生のころから青年部として語学が達者なので、海外にもよくいっていた

務めもきちんと熱心だが会社の話はあまり出ない
心の中では「茶道」が自分の生きる道の主流のようだ
40肩で手が後ろに回らないから帯が結べない、と言って「結んでください」と現れるのだが、肩が痛くてもお稽古を休まないという気概に心打たれた

そういう事情があるので、お礼のつもりで食事やおやつの時間を誘ってくれる

今日の話題は
「単衣を着ていったら」
「あらもう単衣?」と先輩に言われた、単衣だって暑くて気分が悪くなってる若い子いっぱいいたのよ。と訴える
「おばあちゃんはなんて言ってたの?」
「ご自分の解釈で体に気持ちいい装いでお稽古しましょう」
って姉は5月にはもう単衣で指導していたらしい
だけど古いお弟子さんたちが「厳しかったのよ」
そして
「比佐子おばちゃんがおばあちゃんのお葬式の時帯揚げを白にしていたでしょう?私は恰好いいと思ったけど、次の朝ママに苦情が来ていたのよ」
「なんて」
「先生のお妹さんなのに喪服に白い帯揚げをするなんて非常識、どうしてご注意なさらなかったの?」
「はははあれはね真っ黒クロはあまりにも悲しくて白にしたのよ」
人の決め事に縛られるのが最も苦手なチャ子ちゃん先生
「昔の写真を見るとお葬式にお帯締め帯揚げに白を使っている方も多いわよ」
「無難に生きるには決め事に忠実にしていた方が波風立たないね」
「波風立てながら美を追求しなさいよ」とはっぱをかける大叔母
苦笑いの姪孫(てっそん)


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ライシ大統領

2024年05月21日 09時03分35秒 | 日記
ひそかに尊敬していたイランの大統領が飛行機事故で亡くなった
イスラム教が「慈愛」の宗教であるということを身をもって示していた方だと思う
イスラム教といえば狂信的なアラーの神の信者と私たちは植え付けられているが、確かにそういう面もあるだろうが、イスラム教の人たちは優しい

事務所の近くにシテイ―ホテルがあり、其処に務めているイラン人と友達になった。繋いでくれたのは「きもの」

早朝にホテルの前を通ると彼が必ず掃除をしている
黒いズボンに真っ白いワイシャツ、きりっとした体つき、そして「おはよう」笑顔であいさつを交わす

食事にホテル内に入ったとき、彼はそのレストランの主任クラスだった
一度自分も着物を着てみたいという申し出があり
「喜んで」
と承諾、黒い肌に似合う黄八丈の着物を用意して着せた
「似合う」
ご自分でもうっとりとして鏡の前から動かない
都庁舎をバックに彼のスマホで写真を撮り、天に向かって深い祈りをしたあと、大満足で帰っていった

その後はホテルの前を歩いていると、中からすっ飛んできて挨拶してくれる
時々洋服を着ている私をみて
「あららー」
と言って笑う

ある時渋谷の雑踏の中でいきなり手を振って駆け寄ってきて、ご自分の家族を紹介してくれた、そして時間があったら一緒に「祈り」にいこうと誘ってくれた。好奇心の強いチャ子ちゃん先生、二つ返事でモスクへ

敬虔なイスラム教徒たちがとびっきりの笑顔で迎えてくれた
彼らが彼らの神を愛し、彼らの指導者を敬愛し、彼らの家族を大事にし、自分につながる人たちを温かく迎え入れる心を持っていることがわかった
ナザレのイエスをこよなく尊敬していることも

そこで知ったライシ大統領は慈愛あふれる指導者ということであった
ご冥福を祈ります

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どうする?

2024年05月18日 08時41分06秒 | 日記
愈々という感じ
昭和20年の大転換期に少しだけ触れているので
世の中の変革の波が押し寄せている「氣」がわかる
つらつら考えてみるに
いま日本は生まれ変わるいい時期を迎えたと感じる

貯金封鎖
新円の発行
財閥解体
農地改革
敵国だった国の文化こそが最高という教育に代わる
漢字の簡略化
教育制度の変革
男女共学
天皇陛下は神ではない
新宗教団体の設立
財産分与の改革
日教組の設立

数え上げたらきりのないほど、いろんなことがひっくり返った
しかし日本人は10年もするとそんなことすべて消化して経済大国になった
すごい底ちから
今はもっとはやく力強い日本人が量産されそう

さて
「今どこに向かう?」
といつの自分自身に問う必要があるのではないかと思う

毎日愉しいことをしてお金がじゃんじゃん稼げている。という方のセミナーが一時間で満員御礼となるという
稼げる仕組みがあるらしい
AIを駆使して自分の労働を少なくし「人」しかやれないことをする

方や手仕事の場は衰退している
こういういびつな世の中で「なにをするか」「どう生きてい行くか」毎日考えておく必要があるように思う
考える基本は
「足を地に着ける」「肚を据える」ということのようにおもうけどな


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2024年05月16日 10時00分46秒 | 日記
輪島郵便局から市中祐佳さんに当てたチャ子ちゃん先生の年賀状が戻ってきた
今頃
なんとも胸塞がる

私の年賀状は元旦の朝には届かず翌日に回されたものであろう

市中さんは字も流麗で美しい
「比佐子さんの文字は元気があっていい、一気に書いている気迫が伝わってくるんですよね」
と意味深の笑いを含んで話す顔がよみがえってきた

改めてつらつら自分の文字を眺めると、乱暴だ流麗とは程遠い
年賀状は宛名から本文まで毎年「墨」をすって書くことに決めている
そのために市中さんに硯入れを作っていただいた

生意気にも「端渓」の小ぶりのものを使っている。墨は奈良、とにかく入れ物がすごい、表は黒塗りで中が古代朱、この硯箱ができて墨はもう三本目だ
筆は友禅師が使う小筆、道具は超一流、書の実力は?ひどいものだが、心込めて書いている

改めて戻ってきた年賀状の自分の字を見て
「こりゃひでえなあ」

一応矢作春恵さんに「かな」の手ほどきを受けたのだが、個人レッスンでおしゃべりばかりしていて腕は一向に上がらなかった。先日お会いした時その話で大笑い、その大先生に手書きの年賀状を送っていて、身の程知らずとはこのことだと、自分を戒めている

戻ってきた年賀状には
「修理をお願いしたいので手持ちで伺います。今年こそはゆっくりお会いできますね」
と乱暴な字で書いてあるーーー





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きものを識れば日本が見えてくる 13

2024年05月15日 10時23分25秒 | 日記
先日山梨の150年続いている「アシザワ養蚕」にシルク伝道師たちをお連れした。
シルク伝道師は今三期生まで学び33人が登録されている
まだまだ少ない人数だが、日本の近代国家をつくった「蚕」の力を、チャ子ちゃん先生は次の世代に繋ぎたいと思って、この講座を作った

きものの仕事を本格的に始めたのは、昭和45年だがその頃どの地方に行っても、桑畑があり、子供たちは桑の実を隠し食って口の周りを赤く染めていた
上越線の高崎から十日町に行く途中の車窓は、山と桑畑しか見えなかった

そのころの日本は生糸の輸出国として世界に君臨していたのだ。明治大正昭和と続いた生糸生産量の王者だった
この45年あたりから生産量はだんだん落ちて、中国に王者の座を譲ることになる
その原因は「石油繊維」を身に着ける政策が徹底したからでもあった
養蚕農家が日に日に少なくなっていくのを、能天気なチャ子ちゃん先生はあまり気にもしなかった、現実にきものは飛ぶように売れていたし、正田美智子様の着物姿に若い娘たちは憧憬の思いを寄せ、何かときものを着る機会があったのだ。とくにきものの地染めの作業が間に合わず、白地の着物が大流行、そうすると地紋が浮き彫りになる素材に人々は群がった

丹後はさまざまの地紋の白生地を生産し隆盛を極めた
ちょうど家庭画報の着物ページを受け持っていたので、何回か編集長と丹後に赴き、家庭画報独自の「装趣会」という会を作って、そこで特別な地紋の生地の着物を販売したりもした

山陰本線の車窓も見渡す限り桑畑であった

そのころチャ子ちゃん先生は出来上がった反物にしか興味がなかった
しかし、桑畑がだんだん果樹園に変貌していくとき、はっと気が付いた
「養蚕業が養蚕業が危ない!」
タイミングよく農水省蚕関係の審議員になり、課長さんと養蚕農家や種の農家、桑畑の農家を歩き、時代に取り残されそうな様子に胸が痛んだ

国の政策は輸出より輸入に重きをを始めた

本日の「チャコちゅうぶ」このような話をしようと思います 20時から




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花の季節

2024年05月12日 06時44分16秒 | 日記
毎年おなじ場所で同じ花を見ても、感慨が違う
自分自身の心のありかで、同じものを見ても違ってくるのだと思う
心はいつも揺れている
同じ場所にいない
しかし魂は不動だ
心と魂が同じ位置にある時、人は落ち着いていられるのだと思う

アーユルベーダ―の勉強をしているとき「TM瞑想」を教わった
なぜ瞑想をするのか
それは心と魂を同一化するのが目的だと教わった
「座禅」もそうだ

何で魂が不動なのか
それは宇宙と一体になっているからだと
人は小宇宙で大宇宙の動きとともに生きていることが一番拘りのない生き方になると

わかったようなわからないような

それぞれの魂は常に一定だけど進化しているその進化の元は何かといえば「愛」なのだと

花を美しいと感じる心
緑をさわやかと思う心
光に感動する心
そして生きている動物たちの懸命さに(人も含め)感動するこころ

人の心の判断基準は「美」

お辞儀一つ、言葉一つ美しくなければ人の心に「愛」は生まれない

それぞれ異なる花の美しさを与えてくれた宇宙の仕組みに感謝しかない
野に咲く花、手入れされた花、それぞれ一様に「美」を尊ぶ日本人の心は高貴だ

道端にしゃがんで小さな花を摘むヨチヨチ歩きの子の姿に、見とれる朝

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スカッとする話?

2024年05月11日 14時58分36秒 | 日記
ユーチューブを見ていたら「スカッとする話」という項目が出てきた
何だろうと読み進めると
夫が浮気し隠し子ができて離婚その口惜しさの仕返しに成功してスカッとする
というたぐいの話だ
変におもしろくて幾つか読んだ

確かに自分は不幸になっただから仕返しをしてそれを成功させてスカッとする
ほんとうにスカッとするのだろうか

なんで裏切られたのかという自分自身の反省など全くない
やったらやり返す
そして何万人の人がフオローしている
こういう話に喝采を覚えるのだろうか?
不思議な風潮だなあと後味の悪さにワインを飲む(あんまりかんけいないね)

こういうたぐいのものは、人の考え方や、今の時代の一端を知るつてにもなる

やられてもすべてそれを受け入れスルーする
そういう時代がもう目のまえにある、そうするとみんな穏やかで平和だ

「精神的に余裕綽々な毎日だ」という長老がいた
「お金に困っているが心は優雅」という人もいる
「表向きは生活に困っているようだけどあの人の精神は悠々自適な生活」

そういう人はきちんと大地を踏みしめて、自分軸で過ごしている人たちだ
このような人が少しずつ増えているようにも思える
日本人ってこころの奥に何もかも認めて違いを分かり合う心の余裕がある民族ではないのかしら、と思う

そういえば幼少のころ豪邸に住む奥方に可愛がっていただいいて、よく遊んでもらった。その方の旦那様は外に何人もの女性がいて、新年になるとその女性たちが本宅の奥方に挨拶に参上、件のおばちゃまはそのお一人ずつに祝儀袋を渡していたのを垣間見たことがある

子供心に、もらう方よでもあったのだ

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