それでも、私は生きる。

9才~12才まで、母親から虐待・言葉の暴力を受ける。大人になり、発達障害を知り、私は発達障害だと気づく。。。

過去を話す恐怖

2014-08-27 08:43:58 | 自分と、向き合う勇気。
『虐待』、まるで夢から覚めたようだった。
『虐待』に詳しい医者がある、と、渋谷にある、『外苑神経科』へ 。
そこでも自分の過去をずっと閉じ込めていたので、待合室でも、恐怖と怒りで私の体は震えていた。

当時は『思い出さなきゃ良かった』と。
強く強く抑圧されていた感情だった。
体はガタガタ震え、誰を信じていいのか迷い、世界すべてが敵に見えて、今にも泣き叫びそうだった。

診察室に入り、震える声で『私、、
ぎゃ、ぎゃくたいされていました』と話す。
先生は家庭について、淡々と質問してくる。
その質問でさえも、恐怖だった。
何故なら、家庭環境の事は、『話してはいけない』という『暗黙の了解』だったから。
私は、破った。私は親から殺されるんじゃないか、この情報が親にばれたら生きていけない??

診察を終えた時にはグッタリ。
震えと発汗が止まらない。怖い、怖い。

暗闇に葬り去った過去を話す事は、私にとって、、、、。

ハンガーや洗濯物叩きで叩かれ、悲鳴をあげることは許されず、髪の毛を鷲掴みにされ、耳をちぎられそうになり、顔や体は母親の爪の引っ掻き傷だらけ、空腹で・・・。
父親は胸を触り、『お前はバカ』などと煽り、妹はしらんぷり。
骨折もした事あった。
私だけ家でお留守番という監獄も体験した。テレビのリモコンは隠されていたし、部屋のクーラーも壊れていた。3人で、車で涼しくクーラーを付けて、おばあちゃん宅へ行ってしまった。

『いいなあ、何で私は行けないのだろう』

中学生になると、おしゃれに目覚めたのだが、母親は私が着ていた洋服をハサミで切り刻んだ。写真も無惨に破かれ、趣味で毎日書いていた(描くことが唯一の逃げ場だった)画集も、ビリビリ目の前で破られた。

こんな過去を、私はとっくに『忘れた』と『思っていた』。

でも、『忘れてはいなかった』。
実際は『鍵がかかっていて、開かなかった』。


そこから、私は自分と向き合う道のりは始まった。
自分の過去を葬り去ったと思っていたのに・・・。怒りと悲しみで涙が溢れ、世界が皆敵にみえていた頃、どこか『このままじゃいけない』と、そう思っていた。


正論、は『事実に気づくチャンス』である。
私はもう、過去を閉じ込めたりしないと誓った。そして、向き合うと決めた。私の為であると信じて。