それでも、私は生きる。

9才~12才まで、母親から虐待・言葉の暴力を受ける。大人になり、発達障害を知り、私は発達障害だと気づく。。。

過去・現在・未来

2014-10-24 19:34:45 | 自分と、向き合う勇気。
現在は、開放的で教養ある地域、信頼がおける関係、心の満足を得られている。

幼い頃、私は幼いなりの頭で考えた。

『いきるって、こんなにつらいの
かなしいの?』

聞ける大人もいなかった。

私は、親に言われた事、を頑なに守っていた。

例え、自分を苦しめるような事でも、『絶対守らなければ生きていかれない』と信じこんでいた。

幼い頃の影響は大きいが、
大人になり、こうやって回想する時がいづれはくるだろう。

私は、20才になる前に
『虐待だった事実』を知り、
『発達障害の可能性』を感じ、
同時に『未来のあらゆる可能性』を感じた。

『未来の可能性』、それは何かが開けるかもしれない、何かが分かるかもしれない、何かを始められるかもしれない・・・!
希望である。


ビクビク泣きじゃくっていた私も、今は、CMでふと感動して泣いてしまうくらい警戒心が緩められるようになった。
昔じゃ考えられない。

弱さを嘲笑う家だったんだから。



苦痛から逃れる為の離人症状について

2014-09-03 11:56:57 | 自分と、向き合う勇気。
離人症状とは、私の場合

・私を傷つける人が身近にいたり、関わったり、苦痛を感じる環境にいたりする事で、『自分をなくす』という『防御反応である手段』だった。

・危ない人や、暴言や、状況に対して、『苦しい』『無理』『こわい』『これは危ない』と感じる否定的機能が麻痺、鈍くなる。

・身近な人の『死』に対して、その他、自分に対して、態度を急激に変える人(親しんでいた感じから、冷淡になる人)にショックを受け、それらが引き金になり『離人感』を引き起こすことがわかった。

・離人感は、私にとっても、『マイ(自分)内面死』をあらわす事である。

・恐怖感が引き金になり、『自分が自分でないように感じること』で、『恐怖感を和らげていた』という事実があった。

そもそも、フツーの人達(ここでいうフツーの人達とは、親が適切な形で、子供に安全に衣食住を提供し、健全に育てられた人達のことをいう)は、
『恐怖を感じる』と、
『逃げる、避ける、離れる』といった行動をとることが普通であると思う。

しかし、私の場合は、幼い頃に『暴言・暴力から逃げられない状況にあった。≪親の言いなりにならなければ衣食住は提供されない過酷な状況である。言いなりとは、暴力・暴力を受ける事を伴わないと生きていけない状況≫』

成人以降も、
≪暴言・暴力・圧力を、かけるタイプの人達と付き合い、自らを逃げられない環境≫に、身を置くことで、過去を体現する事になった。

現在は、何故自分はそうする必要があったのかは、また整理して書く事にする。
以上。

昔はおしゃぶり、今はぬいぐるみ。

2014-09-02 09:19:48 | 一生学び、一生初心者。
幼い頃、私は、おしゃぶりがだーいすきだった。
口に常にあるのは、安心した。
でも、でもある日、いきなりとられた。 父親がごみ燃やしをしていて、母親に『あれは?』と聞いていたと思う。
『ないよ。すてたよ。』と言われ、すごくかんしゃくを起こしていた。
泣いて、暴れて、代わりになるものを見つけた。
毛布だった。暫くは、毛布を親指に巻き付けて、唇をスリスリし始めた。
それは、小学校くらいまで続いていたと思う。もしかしたら、中学年くらいまで続いていたんじゃないかなあ??

今は、大人になり、ぬいぐるみがないと眠れない。
ふわふわなぬいぐるみに、顔をスリスリするのが至福の一時だ。
だから、私にとって、ぬいぐるみは『いづれ捨てるもの』ではない。『一緒に過ごす仲間』である。
これでも、私は、大人です。
でも、好きなんだもの、しょうがないでしょ?

過去を話す恐怖

2014-08-27 08:43:58 | 自分と、向き合う勇気。
『虐待』、まるで夢から覚めたようだった。
『虐待』に詳しい医者がある、と、渋谷にある、『外苑神経科』へ 。
そこでも自分の過去をずっと閉じ込めていたので、待合室でも、恐怖と怒りで私の体は震えていた。

当時は『思い出さなきゃ良かった』と。
強く強く抑圧されていた感情だった。
体はガタガタ震え、誰を信じていいのか迷い、世界すべてが敵に見えて、今にも泣き叫びそうだった。

診察室に入り、震える声で『私、、
ぎゃ、ぎゃくたいされていました』と話す。
先生は家庭について、淡々と質問してくる。
その質問でさえも、恐怖だった。
何故なら、家庭環境の事は、『話してはいけない』という『暗黙の了解』だったから。
私は、破った。私は親から殺されるんじゃないか、この情報が親にばれたら生きていけない??

診察を終えた時にはグッタリ。
震えと発汗が止まらない。怖い、怖い。

暗闇に葬り去った過去を話す事は、私にとって、、、、。

ハンガーや洗濯物叩きで叩かれ、悲鳴をあげることは許されず、髪の毛を鷲掴みにされ、耳をちぎられそうになり、顔や体は母親の爪の引っ掻き傷だらけ、空腹で・・・。
父親は胸を触り、『お前はバカ』などと煽り、妹はしらんぷり。
骨折もした事あった。
私だけ家でお留守番という監獄も体験した。テレビのリモコンは隠されていたし、部屋のクーラーも壊れていた。3人で、車で涼しくクーラーを付けて、おばあちゃん宅へ行ってしまった。

『いいなあ、何で私は行けないのだろう』

中学生になると、おしゃれに目覚めたのだが、母親は私が着ていた洋服をハサミで切り刻んだ。写真も無惨に破かれ、趣味で毎日書いていた(描くことが唯一の逃げ場だった)画集も、ビリビリ目の前で破られた。

こんな過去を、私はとっくに『忘れた』と『思っていた』。

でも、『忘れてはいなかった』。
実際は『鍵がかかっていて、開かなかった』。


そこから、私は自分と向き合う道のりは始まった。
自分の過去を葬り去ったと思っていたのに・・・。怒りと悲しみで涙が溢れ、世界が皆敵にみえていた頃、どこか『このままじゃいけない』と、そう思っていた。


正論、は『事実に気づくチャンス』である。
私はもう、過去を閉じ込めたりしないと誓った。そして、向き合うと決めた。私の為であると信じて。


虐待を知ってから、ドン底。

2014-08-20 13:13:00 | 自分と、向き合う勇気。
虐待されたと気付いたとき、私はハッピーではなかった。

しつけ、と言い聞かされてきて、それも、『私が悪いからこうなった』ものだと、洗脳されてきたからだ。

その建前が崩れた瞬間、
私は『じゃあ、私は犠牲者だったの?、あれ?悪い子だからじゃなかったの?、じゃあ私はどうして我慢してきたんだろう、あれ?』
と思った。

パニックに陥り、精神安定剤を飲み、酒で空想の世界へ入り、毎晩泣き叫んだ。リストカットもどきもし(手首じゃなく、表だったから)、危うく、ヤ○○の愛人にでもなるところだった。
自滅的になり、憎んでいる親からお金を援助してもらわないといけない状態にまでなった。
当時は、受け入れる事ができなかった。。。

そりゃそうだ、何年も何年も暗闇に隠れた真実を押し込め、笑って耐えて、隠しながら生きてきたのだから。
『殴られたなあ、、あれは私が悪いから(^-^)しょうがなかったんだよ』と、本気で思っていて、『偽の幸せ家族』を演じていた。

が、それがひっくり返る日がこようとは。
『私は何のために生まれてきたのか。虐待?そんなハズ、、、。もう望みはないのか。』と、絶望的になった。