映画「Barbie(バービー)」ネタバレ感想~つまらない、日本人には理解出来ない「アメリカのポリコレ」
Netflixで映画「Barbie」を観ました。
公開当時はアメリカで大ヒットしていたのは知っていたし、オシャレで可愛らしい映像を映画館で観てみたいと思ってはいたんですが、日本内ではポリコレ味が強いとも言われていたので、悩んでいる内に公開が終わっていたんですよね。
「バーベンハイマー」の炎上自体は、私は気にしていませんでした。
「Oppenheimer(オッペンハイマー)」は観てみたいので、ファーストデーに観ようかなと思っています。
ちなみにOppenheimerという綴りなのに、なんで「オッペンヘイマー」と読まないのかな?と思ってアメリカ人の友達に聞いたら
「ドイツがルーツの名前だから。
向こうの名前はみheでもヘじゃなくハと読むけど、でもアメリカ人でもそれを知らなくて間違えて読む人はいるよ」
と言われたのですが、そんなこともあるんですね。
日本人の苗字でも、変わったものだとそれだけでルーツが分かるものですけど。
ちなみに私の苗字も日本の中では一般的ではないため、名刺交換の度に
「初めて見るお名前ですけど、出身はどちらですか?」
とよく聞かれます。
かように、日本国内でもルーツが様々あり、歴史やブームもそれぞれ。
私はバービー人形に対して、そこまで思い入れはありません。
隣の家の女の子と人形遊びをしていた記憶はあるのですが、それがリカちゃんだったか、バービーだったか、ジェニーちゃんだったかも覚えていません。
むしろその後シルバニアファミリーにハマった記憶しか無い…
そしてその後、シルバニアファミリーのパクリのような「メイプルタウン物語」が流行った記憶はあるんですが…
バービーは色んなセレブを模した人形を作ったりして、高級ラインがあるとか、話題になる度にニュース扱いされていたのは知っているけれど、それも大して興味がありませんでした。
障害者や多国籍バージョンのバービーがあるとか、そういうのは理解が出来ない…というか、現実と空想の世界を同一視するのって面倒くさいなって思っちゃうんですよね。
そのテンプレ思考で差別が無意識に蔓延るのは良くないと思うけど、白人金髪巨乳美女とか、清楚系とか、ゴージャス系とか、色々なキャラが日本のアニメでは混在していて当たり前だし、ステレオタイプとして馬鹿にされ過ぎていなければ良くない?って思うんです。
黒人でもアジア人でも、感情移入出来るおもちゃで好きに遊べば良い。
幼少期にはお人形遊びと同時にアニメもよく観ていて、その中の女の子たちは可愛くてエッチで、優しくて気が強くて、彼氏はさえない男か脳筋だけど根は優しい、みたいなのが多かった気がします。
そんな私には、映画「Barbie」の冒頭の時点で、全く共感出来ませんでした。
バービー登場により、それまでミルクのみ人形で遊んでいた幼児たちがお姉さんモデルのバービーに夢中になり、手持ちの赤ちゃん人形や付属の家具を叩き壊す…
ここのナレーションでは「子供のお世話をするのは、最初の内は楽しい。でもそれは最初だけ。お母さんに聞いてごらん」と入っていました。
言いたいことは分かる。
お人形で家族ごっこをして、誰がお父さん、お母さん、子供役をやるか、とか幼稚園児の頃にやっていたから。
でも私はそんなにそういうごっこ遊びに夢中になった記憶が無いんです。
小学生の時に友達の家で学校遊びをしていて「授業は一切なし。給食と遊びの時間しかない」という設定を作っていたら、それを友達の親がうちの母に笑い話として伝言していたのは覚えています。
男の子はキン肉マンとか北斗の拳ごっことかしていた、かな。
単純にキャラ設定を楽しんで遊ぶのが楽しくて、男女とか、理想の容姿とか、それに理想の関係性をテンプレ通りに刷り込まれるものだったという認識自体をしていませんでした。
と自分語りをし過ぎるのもアレなんですけど、そういう私にはこの映画Barbie内でスポットを浴びているテーマ自体に納得がいかないというか、シンプル過ぎて退屈でした。
もちろん衣装やマーゴット・ロビーは可愛い。
でも最初に幼女があかちゃん人形を憎々しい顔をして叩き壊すのも、バービーランドでは男は常に脇役扱いで不満を持っているのも、ピンとこない。
現実世界に行ってみたら、男だというだけでチヤホヤされ、女だというだけで冷やかしの対象になる、会社で偉いのは皆んな男。
これ、あまりにもテンプレすぎというか、今の時代では遅れすぎている設定じゃありません?
確かにまだアメリカでは女性大統領はいないし、日本の政治家は他国に比べて女性議員が少ないと言いますね。
おじいさんばかり、というのもどうかと思うけど、若いとか女だからというだけで支持者を集めて、期待外れな結果しか出せない人も沢山見てきているため、私は
「性別や年齢関係なく、その人個人の能力と環境で評価するのが理想的」
と思っています。
映画Barbieは、主人公の典型的バービー人形の持ち主だった人間の女性が育児や社会の環境に疲れ果て、老化したり死について考えるバービーを空想したことにより、バービーランドの主人公であるバービーが劣化し始めることから始まりました。
これは人間界との裂け目が原因だから、それを修復するために人間界にケンと2人で行く。
バービーは少女たちから「フェミニズムの基盤を作った悪」とレッテルを貼られていることにショックを受け、ケンは「男だから」というだけでチヤホヤされる世界に感動し、そしてケンがバービーランドを「男中心の社会」に作り変えようとしていく。
さあ、バービーは元のバービーランドを取り戻し、女性が大統領やパイロットや医者を務める女社会を取り戻すのか?
そもそも男女同権って何なんだ?
ケンだって、いつまでも自分がバービーの付属品扱いなことに不満を溜めている…
これをポップな画面やアメリカンジョークで表現しているのですが、正直不愉快になるアメリカンジョーク?が多過ぎて「めんどくさいなぁ」と思いましたね。
男も女も、能力がある人は活躍出来るし、能力が無ければ普通の社会人や家庭を持つこと自体が困難、というのは、どの国でも同じなのが今なんじゃないの?
確かに女性の社会進出、出世できる女性は少ないでしょう。
産休、育休に入り、時短勤務で働き、会社の経営状態が悪くても「社会のために子供を産んだ私ら女性を会社が優遇するべき」と思っている人の意見がSNSには書き込まれがちだし、その尻拭いで疲弊している独身や高齢者の不満も溢れていますから…
この映画はところどころパロディやオマージュがあったようで、そこが私には全てを理解出来ませんでした。
なるべく字幕でなく英語オリジナルを聞き取ろうと努力はしてみたんですが、ところどころ分からない部分もあるし、字幕では省かれていたセリフもちょっとは分かったけど、でもそれは「このセリフは何を対象として話しているか?」のディテールが変わりやすかったくらい。
ラスト、バービーは創業者のおばあさんと一緒に人間界に行き、そして力を貸してくれた人間の母娘たちから
「あなたを誇りに思うわ」
と言われながら婦人科に向かいます。
この婦人科の解釈、日本人の間では揺れているようですね。
「出産するのか」と思いこんでいる人を馬鹿にしているポストも見かけました。
私は最初、アレだけ応援されながら車を降りていたので、「バービーは就職するのかな?」と思ったのですが、これも「バービーは婦人科医として働こうとする」という解釈もあれば、「そもそも生殖機能を持たないバービーが、人間となったことを表している」という解釈もあるようです。
答えの見つけ方が分からないのですが、人間界に行く前の時点で
「私は典型的バービー人形だから、何の資格も無いし、何も出来ない」
とバービーが言っていたため、いきなり無資格で婦人科医になるために婦人科に行くとは思えませんでした。
ケンだって最初に「男だってだけで優遇される」と思いこんで仕事にありつこうとして、無資格だからダメって追い返されていましたし。
中盤で「バービーにはヴァギナが無い、ケンにもピナスが無い」というのが歌のように言われていたので(よく覚えていないけど、邦訳は単に生殖器が無いというニュアンスのことだけ書かれていたと思います)、人間になったバービーにはヴァギナが出来て、それを自由意志で病院に行けることになったのが成長の象徴だったのかもしれません。
人間親子が歌っていた歌で「好きに病院にも行く、山にも登る、泉の水も飲む」というのがありましたしね。
まぁ、女性が自由に病院とかに行けないって発想自体が私には意味が分からないから、ピンときません。
「アナと雪の女王2」もそうだったけど、「男も弱音を吐いて良いのよ」という価値観も、私にはイマイチ分からない部分があります。
理由を考えると「アメリカ人が思う男らしさと、日本人が思う男らしさは別物だから」ではないかと思えてきました。
言語交換アプリを見ていても、クウィア・アイを観ていても、「男らしさ」に日本人男性とは別のベクトルで縛られ、苦しんでいる男性はよく出てきます。
こちらからしたら、彼らの理想とする男性像は「昔の脳筋」にしか見えないんですけどねー。
我が家は教育上「男は文武両道」がモットーでした。
それが兄にはプレッシャーだったのではないか、とも思います。
ザ・九州男児な父ですが、縫い物は父の係だったし、兄は幼少期から剣道を習わされていたことを「姿勢や上下関係を学べて良かった」と今でも言っています。
女は自由だったため、兄からよく「姿勢が悪い」とか「部屋を片付けろ」とか、「コレは出来ないから代わりにやってあげる」という甘やかしを受けていましたが、それは私が女だった兼兄と年の離れた末っ子だったから。
「女でも勉強は最低限(全国平均以上)は出来ないといけない」という教育方針だったため、オタクとして漫画を読んだり描いたりしつつも、勉強もしていれば良く、しかも一般的ではない美術系に進むのも大きな反対はされず、結局こんな不安定な独身おばさんに成り下がってしまったわけですが…
とは言えそれは女だから、とは思っていません。
活躍している既婚子持ち女性も、そうなない人も、独身でも色んな人がいるって、今は知っているから。
肩書とかと本人の資質や頭脳は完全に別物ですからねぇ。
この年になると、「あ〜私の根本的な価値観って、家族の影響が強いんだな」とは思います。
コロナ禍から英語の勉強を始めたりしているけど、両親も兄も資格試験とか好きなタイプなんですよ。
かなり自由度高く育てられたのは、早くに両祖父母を亡くした転勤族の子だからってのもあるかな。
「男は理系に進め」が父の教育方針で、兄はその通りに育てられてしまったけど、本人曰く
「転職する時に困らなかったから、やっぱり理系に進んで良かった」と言っています。
ただ、アメリカのようなカウボーイ=男らしい、みたいな概念が日本にはありませんね。
日本人男性が求められていただろう男らしさは「武士道精神」だと思います。
これも我が家の方針だったので、家業によっては違うかもしれませんが…
「女は男より馬鹿」という大前提も、多少なりともあったかもしれないけど…それは私より上の世代である程度終わっていたんじゃないかな?
私が子どもの時点で「女の仕事はお茶くみとコピー取り、24歳までに結婚しないと嫁い遅れ」というのは古い!というドラマが多かったし。(そして少子化が加速したのかもしれません…)
公開当時はアメリカで大ヒットしていたのは知っていたし、オシャレで可愛らしい映像を映画館で観てみたいと思ってはいたんですが、日本内ではポリコレ味が強いとも言われていたので、悩んでいる内に公開が終わっていたんですよね。
◆配信中
— Netflix Japan | ネットフリックス (@NetflixJP) April 26, 2024
映画『バービー』(アメリカ)
マーゴット・ロビー、ライアン・ゴズリング 出演。
完璧な世界「バービーランド」から、人間の世界にやってきたひとりのバービー。
彼女たちにとって完璧とは程遠い人間の世界で知った驚きの〈世界の秘密〉とは? そして彼女が選んだ道とは…?#Barbie… pic.twitter.com/LLitK0Ba1p
「バーベンハイマー」の炎上自体は、私は気にしていませんでした。
「Oppenheimer(オッペンハイマー)」は観てみたいので、ファーストデーに観ようかなと思っています。
ちなみにOppenheimerという綴りなのに、なんで「オッペンヘイマー」と読まないのかな?と思ってアメリカ人の友達に聞いたら
「ドイツがルーツの名前だから。
向こうの名前はみheでもヘじゃなくハと読むけど、でもアメリカ人でもそれを知らなくて間違えて読む人はいるよ」
と言われたのですが、そんなこともあるんですね。
日本人の苗字でも、変わったものだとそれだけでルーツが分かるものですけど。
ちなみに私の苗字も日本の中では一般的ではないため、名刺交換の度に
「初めて見るお名前ですけど、出身はどちらですか?」
とよく聞かれます。
かように、日本国内でもルーツが様々あり、歴史やブームもそれぞれ。
私はバービー人形に対して、そこまで思い入れはありません。
隣の家の女の子と人形遊びをしていた記憶はあるのですが、それがリカちゃんだったか、バービーだったか、ジェニーちゃんだったかも覚えていません。
むしろその後シルバニアファミリーにハマった記憶しか無い…
そしてその後、シルバニアファミリーのパクリのような「メイプルタウン物語」が流行った記憶はあるんですが…
バービーは色んなセレブを模した人形を作ったりして、高級ラインがあるとか、話題になる度にニュース扱いされていたのは知っているけれど、それも大して興味がありませんでした。
障害者や多国籍バージョンのバービーがあるとか、そういうのは理解が出来ない…というか、現実と空想の世界を同一視するのって面倒くさいなって思っちゃうんですよね。
そのテンプレ思考で差別が無意識に蔓延るのは良くないと思うけど、白人金髪巨乳美女とか、清楚系とか、ゴージャス系とか、色々なキャラが日本のアニメでは混在していて当たり前だし、ステレオタイプとして馬鹿にされ過ぎていなければ良くない?って思うんです。
黒人でもアジア人でも、感情移入出来るおもちゃで好きに遊べば良い。
幼少期にはお人形遊びと同時にアニメもよく観ていて、その中の女の子たちは可愛くてエッチで、優しくて気が強くて、彼氏はさえない男か脳筋だけど根は優しい、みたいなのが多かった気がします。
そんな私には、映画「Barbie」の冒頭の時点で、全く共感出来ませんでした。
バービー登場により、それまでミルクのみ人形で遊んでいた幼児たちがお姉さんモデルのバービーに夢中になり、手持ちの赤ちゃん人形や付属の家具を叩き壊す…
ここのナレーションでは「子供のお世話をするのは、最初の内は楽しい。でもそれは最初だけ。お母さんに聞いてごらん」と入っていました。
言いたいことは分かる。
お人形で家族ごっこをして、誰がお父さん、お母さん、子供役をやるか、とか幼稚園児の頃にやっていたから。
でも私はそんなにそういうごっこ遊びに夢中になった記憶が無いんです。
小学生の時に友達の家で学校遊びをしていて「授業は一切なし。給食と遊びの時間しかない」という設定を作っていたら、それを友達の親がうちの母に笑い話として伝言していたのは覚えています。
男の子はキン肉マンとか北斗の拳ごっことかしていた、かな。
単純にキャラ設定を楽しんで遊ぶのが楽しくて、男女とか、理想の容姿とか、それに理想の関係性をテンプレ通りに刷り込まれるものだったという認識自体をしていませんでした。
と自分語りをし過ぎるのもアレなんですけど、そういう私にはこの映画Barbie内でスポットを浴びているテーマ自体に納得がいかないというか、シンプル過ぎて退屈でした。
もちろん衣装やマーゴット・ロビーは可愛い。
でも最初に幼女があかちゃん人形を憎々しい顔をして叩き壊すのも、バービーランドでは男は常に脇役扱いで不満を持っているのも、ピンとこない。
現実世界に行ってみたら、男だというだけでチヤホヤされ、女だというだけで冷やかしの対象になる、会社で偉いのは皆んな男。
これ、あまりにもテンプレすぎというか、今の時代では遅れすぎている設定じゃありません?
確かにまだアメリカでは女性大統領はいないし、日本の政治家は他国に比べて女性議員が少ないと言いますね。
おじいさんばかり、というのもどうかと思うけど、若いとか女だからというだけで支持者を集めて、期待外れな結果しか出せない人も沢山見てきているため、私は
「性別や年齢関係なく、その人個人の能力と環境で評価するのが理想的」
と思っています。
映画Barbieは、主人公の典型的バービー人形の持ち主だった人間の女性が育児や社会の環境に疲れ果て、老化したり死について考えるバービーを空想したことにより、バービーランドの主人公であるバービーが劣化し始めることから始まりました。
これは人間界との裂け目が原因だから、それを修復するために人間界にケンと2人で行く。
バービーは少女たちから「フェミニズムの基盤を作った悪」とレッテルを貼られていることにショックを受け、ケンは「男だから」というだけでチヤホヤされる世界に感動し、そしてケンがバービーランドを「男中心の社会」に作り変えようとしていく。
さあ、バービーは元のバービーランドを取り戻し、女性が大統領やパイロットや医者を務める女社会を取り戻すのか?
そもそも男女同権って何なんだ?
ケンだって、いつまでも自分がバービーの付属品扱いなことに不満を溜めている…
これをポップな画面やアメリカンジョークで表現しているのですが、正直不愉快になるアメリカンジョーク?が多過ぎて「めんどくさいなぁ」と思いましたね。
男も女も、能力がある人は活躍出来るし、能力が無ければ普通の社会人や家庭を持つこと自体が困難、というのは、どの国でも同じなのが今なんじゃないの?
確かに女性の社会進出、出世できる女性は少ないでしょう。
産休、育休に入り、時短勤務で働き、会社の経営状態が悪くても「社会のために子供を産んだ私ら女性を会社が優遇するべき」と思っている人の意見がSNSには書き込まれがちだし、その尻拭いで疲弊している独身や高齢者の不満も溢れていますから…
この映画はところどころパロディやオマージュがあったようで、そこが私には全てを理解出来ませんでした。
なるべく字幕でなく英語オリジナルを聞き取ろうと努力はしてみたんですが、ところどころ分からない部分もあるし、字幕では省かれていたセリフもちょっとは分かったけど、でもそれは「このセリフは何を対象として話しているか?」のディテールが変わりやすかったくらい。
ラスト、バービーは創業者のおばあさんと一緒に人間界に行き、そして力を貸してくれた人間の母娘たちから
「あなたを誇りに思うわ」
と言われながら婦人科に向かいます。
この婦人科の解釈、日本人の間では揺れているようですね。
「出産するのか」と思いこんでいる人を馬鹿にしているポストも見かけました。
私は最初、アレだけ応援されながら車を降りていたので、「バービーは就職するのかな?」と思ったのですが、これも「バービーは婦人科医として働こうとする」という解釈もあれば、「そもそも生殖機能を持たないバービーが、人間となったことを表している」という解釈もあるようです。
答えの見つけ方が分からないのですが、人間界に行く前の時点で
「私は典型的バービー人形だから、何の資格も無いし、何も出来ない」
とバービーが言っていたため、いきなり無資格で婦人科医になるために婦人科に行くとは思えませんでした。
ケンだって最初に「男だってだけで優遇される」と思いこんで仕事にありつこうとして、無資格だからダメって追い返されていましたし。
中盤で「バービーにはヴァギナが無い、ケンにもピナスが無い」というのが歌のように言われていたので(よく覚えていないけど、邦訳は単に生殖器が無いというニュアンスのことだけ書かれていたと思います)、人間になったバービーにはヴァギナが出来て、それを自由意志で病院に行けることになったのが成長の象徴だったのかもしれません。
人間親子が歌っていた歌で「好きに病院にも行く、山にも登る、泉の水も飲む」というのがありましたしね。
まぁ、女性が自由に病院とかに行けないって発想自体が私には意味が分からないから、ピンときません。
「アナと雪の女王2」もそうだったけど、「男も弱音を吐いて良いのよ」という価値観も、私にはイマイチ分からない部分があります。
理由を考えると「アメリカ人が思う男らしさと、日本人が思う男らしさは別物だから」ではないかと思えてきました。
言語交換アプリを見ていても、クウィア・アイを観ていても、「男らしさ」に日本人男性とは別のベクトルで縛られ、苦しんでいる男性はよく出てきます。
こちらからしたら、彼らの理想とする男性像は「昔の脳筋」にしか見えないんですけどねー。
我が家は教育上「男は文武両道」がモットーでした。
それが兄にはプレッシャーだったのではないか、とも思います。
ザ・九州男児な父ですが、縫い物は父の係だったし、兄は幼少期から剣道を習わされていたことを「姿勢や上下関係を学べて良かった」と今でも言っています。
女は自由だったため、兄からよく「姿勢が悪い」とか「部屋を片付けろ」とか、「コレは出来ないから代わりにやってあげる」という甘やかしを受けていましたが、それは私が女だった兼兄と年の離れた末っ子だったから。
「女でも勉強は最低限(全国平均以上)は出来ないといけない」という教育方針だったため、オタクとして漫画を読んだり描いたりしつつも、勉強もしていれば良く、しかも一般的ではない美術系に進むのも大きな反対はされず、結局こんな不安定な独身おばさんに成り下がってしまったわけですが…
とは言えそれは女だから、とは思っていません。
活躍している既婚子持ち女性も、そうなない人も、独身でも色んな人がいるって、今は知っているから。
肩書とかと本人の資質や頭脳は完全に別物ですからねぇ。
この年になると、「あ〜私の根本的な価値観って、家族の影響が強いんだな」とは思います。
コロナ禍から英語の勉強を始めたりしているけど、両親も兄も資格試験とか好きなタイプなんですよ。
かなり自由度高く育てられたのは、早くに両祖父母を亡くした転勤族の子だからってのもあるかな。
「男は理系に進め」が父の教育方針で、兄はその通りに育てられてしまったけど、本人曰く
「転職する時に困らなかったから、やっぱり理系に進んで良かった」と言っています。
ただ、アメリカのようなカウボーイ=男らしい、みたいな概念が日本にはありませんね。
日本人男性が求められていただろう男らしさは「武士道精神」だと思います。
これも我が家の方針だったので、家業によっては違うかもしれませんが…
「女は男より馬鹿」という大前提も、多少なりともあったかもしれないけど…それは私より上の世代である程度終わっていたんじゃないかな?
私が子どもの時点で「女の仕事はお茶くみとコピー取り、24歳までに結婚しないと嫁い遅れ」というのは古い!というドラマが多かったし。(そして少子化が加速したのかもしれません…)
とにかくもう、バービーが関わる人間母娘が最初はギスギスしていて、でも最後は一緒にバービーランドを救って意気投合するのとか、単純すぎる展開に「?」状態。
アメリカのドラマや映画って、勧善懲悪の過程があまり描かれないことが多いからね…
まぁ日本でも「最後はバービーとケンが恋愛して恋人になって欲しかった」と思う人達がいるようです。
でもバービーはそれを拒絶し、人間界に行くことにしました。
女だけが活躍するバービーランドはおかしい。
人間界では女性たちがまだまだ不平不満を溜めている。
そこを、自分には何も出来ないと思っていたバービーが変えるキッカケになろうと努力し始めるから、人間母娘は応援している…のでしょうか?
間に散りばめられている衣装や設定がよく分からないのもあり、本当に私にはこの映画のコンセプトがポリコレってことしか分かりませんでした。
うーん、ポリコレって言うと悪口みたいだけど…
私の理想とする男女同権とは違うかなぁって。
年齢とか性別とか関係なく、自分勝手にならない範囲で好きなことをするのって、日本ではずーーーーーーーーーーーっと前から目指してきていた世界、じゃないの?
家父長制度とかは確かにあるけど、紫式部みたいに結婚して子供もいて、仕事をして、更に小説も残している女性ってそれなりに日本だといるんですよね。
これ韓国の子に聞いたら、そんな昔から活躍していた女性の作品を学校で学ぶ機会は基本的にないそうです。
イギリスでもビーターラビットの作者は男性名で仕事していたり、J.K.ローリングも作者が女性だと隠そうとしていましたよね。
日本の漫画家でも最近は性別が分からないペンネームにする方がいますが、これは女性だけではありません。
「呪術廻戦」の芥見下々も、女性説が長らく出ていましたし。
世界中で男女同権について考える時代なのでしょうが、各国の歴史が違うため、一概に「全ての日本人はコレを観て、先進国の男女同権について学ぼう!」と私は思えませんでした。
「うっわ。アメリカってやっぱり新しい国だから、多民族が混在している分遅れてるな」と思う部分があります。
歴史が積み重なっていないから、過去の失敗や良かったことの事例が積み重なってないんですよね。
例えば、男女同権を訴えたり、奔放に過ごす女性、というのは、与謝野晶子とかの時代にもいたし、それより前の時代にもいて、ヨーロッパの影響を受けて良く変わった部分もあれば、変な固定概念を植え付けられた部分もあるのが日本。
天照大御神は女性だけど、キリスト教や仏教とかでは女はあくまでも母や支持者だし。
すごくこの映画を面白かったと思う人もいるでしょうから、あくあでも私には刺さらなかった、としか言えません。
マーゴット・ロビーは可愛くて、オシャレ。
最後にパンプスではなくサンダルを履いていたのは、もうバービー世界の踵の上がった足に戻るのを止めたということなのでしょう。
そもそも女は可愛い服、セクシーな服、ハイヒール、は強制じゃなければ好きに着ても止めても良いと思うけどね。
トランスジェンダーの人が「女になってこういう格好がしたい」とか「男になってこういう格好がしたい」と思うこと自体を、私は「性差のステレオタイプに囚われすぎ」と思っています。
自分の外見に合った、好きなものを身につければ良くない?
ただし、外見に合わないものを自己満足で着て、それが性別や年齢関係なく美的に似合っていないのであれば、それは自宅内でお楽しみください、とは思うんですけどね。
私はおじいさんがスカートを履こうが何でも良いけど、全体のコーディネートと足の美しさとかは性差関係なくあるから、ただ「着たい」以外に「似合う」を考えるのは、人前に出る以上最低限気を遣った方が楽。
「変なの〜」とか差別的に笑うのはダメだけど、「他人に見せるためじゃない、自分のために好きなものを着てるだけ」という場合は、なら人混みに出てどう見られるかも考えてる?も最低限気にするのがマナーと思う私は、古いのかなぁ。
だって女の子がニキビだらけの肌を露出したチューブトップや露出度高い服を着ていたら、
「皮膚科に行ったら?」
と思っちゃうんだけど。
結局この辺りの価値観は正解が無いので、映画Barbieも「コレが幸せ」を明確に提示出来なくて、何となく大団円風に終わらせたんじゃないかなという気がします。
あと、アジア人はとりあえず意地悪な役をやらせるムーブは終わりませんね〜。
それでジェンダーレスとか差別云々語るなよ…優しい黒人をたくさん起用するのが多様性ってテンプレ化し過ぎていない?
強い女、才能ある女ばかりじゃないし、それは男だってそうだけど、そんなの現実でもう分かってるよ。
やるならもっとちゃんと「固定概念を気持ちよく、他人を傷付けず、双方思いやりを持ちながら解していき、和解の道を選ぶ」という方向に導く作品が私は好きですね。
やたらヒロインが活躍するのとかも、もう見飽きた。
男女それぞれ体力差があり、生殖差がある。
でも肉体の差と頭脳は別物。
そこをうまく、どちらにも不平不満が出ない方向に持っていくのがこれからの課題だと思っています。
お人形遊びのせいで、固定観念が植え付けられていた子がアメリカ人に多かったなら仕方ないんでしょうけどね。
あと20年早くに公開されていたら、響いたかな?
いや〜その時点でSACTもあったしなぁ。
そう思うと、単に流行が巡っているだけで、新しい価値観は生まれていないんじゃないか?と思ってしまいます。
と文句ばかり言っても仕方ないから、良いレビューも目を通してみますが。
人それぞれ好みも違いますしね。
ただ、これが日本でウケなかったのは、日本人の方がアメリカ人よりも男尊女卑が厳しいからだ、とは私には思えませんでした。
むしろ逆です。
早くアメリカも、「男は男らしく」「女はセクシーに」という概念から抗いたい!と思うのを「新しい価値観」と捉えずに済むようになると良いですね。
アメリカのドラマや映画って、勧善懲悪の過程があまり描かれないことが多いからね…
まぁ日本でも「最後はバービーとケンが恋愛して恋人になって欲しかった」と思う人達がいるようです。
でもバービーはそれを拒絶し、人間界に行くことにしました。
女だけが活躍するバービーランドはおかしい。
人間界では女性たちがまだまだ不平不満を溜めている。
そこを、自分には何も出来ないと思っていたバービーが変えるキッカケになろうと努力し始めるから、人間母娘は応援している…のでしょうか?
間に散りばめられている衣装や設定がよく分からないのもあり、本当に私にはこの映画のコンセプトがポリコレってことしか分かりませんでした。
うーん、ポリコレって言うと悪口みたいだけど…
私の理想とする男女同権とは違うかなぁって。
年齢とか性別とか関係なく、自分勝手にならない範囲で好きなことをするのって、日本ではずーーーーーーーーーーーっと前から目指してきていた世界、じゃないの?
家父長制度とかは確かにあるけど、紫式部みたいに結婚して子供もいて、仕事をして、更に小説も残している女性ってそれなりに日本だといるんですよね。
これ韓国の子に聞いたら、そんな昔から活躍していた女性の作品を学校で学ぶ機会は基本的にないそうです。
イギリスでもビーターラビットの作者は男性名で仕事していたり、J.K.ローリングも作者が女性だと隠そうとしていましたよね。
日本の漫画家でも最近は性別が分からないペンネームにする方がいますが、これは女性だけではありません。
「呪術廻戦」の芥見下々も、女性説が長らく出ていましたし。
世界中で男女同権について考える時代なのでしょうが、各国の歴史が違うため、一概に「全ての日本人はコレを観て、先進国の男女同権について学ぼう!」と私は思えませんでした。
「うっわ。アメリカってやっぱり新しい国だから、多民族が混在している分遅れてるな」と思う部分があります。
歴史が積み重なっていないから、過去の失敗や良かったことの事例が積み重なってないんですよね。
例えば、男女同権を訴えたり、奔放に過ごす女性、というのは、与謝野晶子とかの時代にもいたし、それより前の時代にもいて、ヨーロッパの影響を受けて良く変わった部分もあれば、変な固定概念を植え付けられた部分もあるのが日本。
天照大御神は女性だけど、キリスト教や仏教とかでは女はあくまでも母や支持者だし。
すごくこの映画を面白かったと思う人もいるでしょうから、あくあでも私には刺さらなかった、としか言えません。
マーゴット・ロビーは可愛くて、オシャレ。
最後にパンプスではなくサンダルを履いていたのは、もうバービー世界の踵の上がった足に戻るのを止めたということなのでしょう。
そもそも女は可愛い服、セクシーな服、ハイヒール、は強制じゃなければ好きに着ても止めても良いと思うけどね。
トランスジェンダーの人が「女になってこういう格好がしたい」とか「男になってこういう格好がしたい」と思うこと自体を、私は「性差のステレオタイプに囚われすぎ」と思っています。
自分の外見に合った、好きなものを身につければ良くない?
ただし、外見に合わないものを自己満足で着て、それが性別や年齢関係なく美的に似合っていないのであれば、それは自宅内でお楽しみください、とは思うんですけどね。
私はおじいさんがスカートを履こうが何でも良いけど、全体のコーディネートと足の美しさとかは性差関係なくあるから、ただ「着たい」以外に「似合う」を考えるのは、人前に出る以上最低限気を遣った方が楽。
「変なの〜」とか差別的に笑うのはダメだけど、「他人に見せるためじゃない、自分のために好きなものを着てるだけ」という場合は、なら人混みに出てどう見られるかも考えてる?も最低限気にするのがマナーと思う私は、古いのかなぁ。
だって女の子がニキビだらけの肌を露出したチューブトップや露出度高い服を着ていたら、
「皮膚科に行ったら?」
と思っちゃうんだけど。
結局この辺りの価値観は正解が無いので、映画Barbieも「コレが幸せ」を明確に提示出来なくて、何となく大団円風に終わらせたんじゃないかなという気がします。
あと、アジア人はとりあえず意地悪な役をやらせるムーブは終わりませんね〜。
それでジェンダーレスとか差別云々語るなよ…優しい黒人をたくさん起用するのが多様性ってテンプレ化し過ぎていない?
強い女、才能ある女ばかりじゃないし、それは男だってそうだけど、そんなの現実でもう分かってるよ。
やるならもっとちゃんと「固定概念を気持ちよく、他人を傷付けず、双方思いやりを持ちながら解していき、和解の道を選ぶ」という方向に導く作品が私は好きですね。
やたらヒロインが活躍するのとかも、もう見飽きた。
男女それぞれ体力差があり、生殖差がある。
でも肉体の差と頭脳は別物。
そこをうまく、どちらにも不平不満が出ない方向に持っていくのがこれからの課題だと思っています。
お人形遊びのせいで、固定観念が植え付けられていた子がアメリカ人に多かったなら仕方ないんでしょうけどね。
あと20年早くに公開されていたら、響いたかな?
いや〜その時点でSACTもあったしなぁ。
そう思うと、単に流行が巡っているだけで、新しい価値観は生まれていないんじゃないか?と思ってしまいます。
と文句ばかり言っても仕方ないから、良いレビューも目を通してみますが。
人それぞれ好みも違いますしね。
ただ、これが日本でウケなかったのは、日本人の方がアメリカ人よりも男尊女卑が厳しいからだ、とは私には思えませんでした。
むしろ逆です。
早くアメリカも、「男は男らしく」「女はセクシーに」という概念から抗いたい!と思うのを「新しい価値観」と捉えずに済むようになると良いですね。
- 関連記事
-
- 映画「Barbie(バービー)」ネタバレ感想~つまらない、日本人には理解出来ない「アメリカのポリコレ」 2024/04/28
- 男の前で動物や赤ちゃんを「可愛い!」という女は、あざとい? 2024/03/18
- 上司が女性社員を「さん」じゃなく「君」呼びするのは古い? 2024/03/10
- 当たり障りない言葉、は嫌われる可能性大 2023/11/28
- 吉瀬美智子、横浜流星、八木勇征、美形だから許される、はルッキズム? 2023/10/14