ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

モンスター阻止

2024-05-05 08:47:15 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「本当?」4月27日
 書評欄に、日本総合研究所主席研究員藻谷浩介氏による『「テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想」橘玲著(文春新書)』についての書評が掲載されていました。その中に次のような記述がありました。
 『テクノ・リバタリアンとは、「自由を重視する功利主義者のうち、きわめて高い論理・数学的能力をもつ者」であり、その第一世代がイー論・マスクやピーター・ティールなど、第二世代がサム・アルトマンやヴィタリック・ブテリンなどだという。だが「論理・数学的能力」の高さは、多くの場合「共感力」の乏しさと共にあり、自由は平等と、功利主義は民主主義との矛盾をはらむ』です。
 名前が挙げられているのは、旧ツイッターのオーナー、ブロックチェーンの開発者、チャットGPTの開発者など、錚々たるメンバーです。彼らが、テクノ・リバタリアンであることは間違いないでしょう。では、「論理・数学的能力」の高さは、多くの場合「共感力」の乏しさと共にある」というのも間違いがない事実なのか、というのが私の抱いた疑問なのです。
 近年、我が国で行われてきた教育改革は、マスク氏に代表されるような人材を育成することを目指しているという方向性であることは、誰もが納得するでしょう。私はこうした方向性については懐疑的ですが、多くの国民、特に経済界などからは歓迎されています。多勢に無勢、私も諦めています。私の懸念は、感情的なレベルのもので説得力に欠けることは承知しているからです。
 ただ、「論理・数学的能力」と「共感力」の関係が、藻谷氏が指摘されたようなものであるならば、その点についてもっと議論される必要があると考えます。マスク氏が旧ツイッターを手に入れてから矢継ぎ早に打ち出した諸改革には、長年同社の発展に寄与してきた従業員や利用者として成長を支えてきたユーザーに対する思い、「共感力」が欠けていると思われるようなものが少なくありません。それらが、マスク氏個人の性格や資質によるものではなく、テクノ・リバタリアン共通の特性であるとするならば、社会は何らかの手立てを考える必要があると思われます。
 私が考えられるのは、学校教育です。学校教育においてテクノ・リバタリアン育成を目指すのであれば、それと並行して共感力を涵養するようなプログラムを用意する必要があるということです。他者との共同作業を意図的に今まで以上の設定すること、文学や芸術を通して人間理解を深める場を設けること、論理的に考えることと同程度体を動かし体感する体験を織り込むこと、社会的な弱者と接するボランティア体験を拡充することなどが考えられます。
 上記のような活動を、学校教育のどの段階で、どのようにカリキュラムに位置付けていくか、具体的には分かりませんが、早急に研究を始めるべきだと考えます。AIによる自動攻撃兵器の開発や自由に生命を操ることができる生命工学の発展が、人類の将来を不可逆的に変えてしまう時代はすぐそこに来ていると言われています。モンスターを生まないためにも、時間はないはずです。

 

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