年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

5年前の5月から令和が始まる

2024年05月02日 | 宅老のグチ
令和の年号が始まって5年となる。5年前は連休が長すぎて、リタイアを控えていて、バタバタしていた記憶がある。
 日本でのコロナ感染の始まりが2020年1月からなので、この時は祝賀の気持ちの連休だった。つまり翌年からコロナの自粛気分の3年でようやく5年目の今年が気分一新の春となる。桜の開花も気分に合わせて4月の開花で一新の4月となった。
 雨の30日にこの5年を寝ながら思い出す。知覧での叔父の慰霊祭に初めて参加する。1月より連休時とリタイア後の人員の確保に動いた。そこから九州に行くため航空機の手配となるが、犬の世話をどうするかという問題が出て、ペットホテルの検討をしたが、以前に飼っていたモルモットが旅行に行く時にホテルに預けたら、戻った時には激やせしていたことから、ホテル案は却下となり、九州は1泊となってしまった。
飛行機のチケットも鹿児島のとんぼ返りでなく、熊本経由で九州新幹線で鹿児島中央駅という日程で、地震で壊れた熊本城を路面電車内でみた。おおよその熊本の印象は水のきれいさで、水前寺公園を出た排水路でコイが泳いでいた。
 知覧で慰霊祭は動画で見るのと別の印象がある。閲覧回数を稼ぐシステムは、動画の編集で加工されている。実際の遺族の乗る送迎バスでの漏れ聞く遺族の参加者会話は70年以上の歳月と無言のむなしさのバス時間。
昼前に知覧の慰霊祭会場について、午後の慰霊祭迄を付近を散歩したり、5月連休の観光地となった特攻記念館を訪問していた人たちを眺めていた。70年以上の時間が経つと、もう歴史となりつつあることを実感する。
陸軍将校たちの戦後史  -「陸軍の反省」から「歴史修正主義」への変容-者名 角田 燎
 この本は最近出版された本で、靖国神社の宮司も陸上自衛隊幹部の経歴の人になり、陸修偕行社と4月より組織名も変わった。時代の変遷を知る。先の戦争を忘れつつあるが遺族は何年たっても遺族で時期によって、思いが変わるということが前記の本で知る。自分は叔父への戦後の対処の検証(なぜ叔父の記録がないのか)はまだ緒に就いたばかりと考える。今年は知覧には行けないが80年の来年は行きたいと思っている。そこで一応遺族の立場から離れる位を(叔父がなぜいかなければならなかったのか)調べ尽くしたい。
 他の陸軍特別操縦見習士官の1期生で他の1期生の士官より叔父は6ケ月の訓練期間がひと月短いのに、特攻の隊長となった叔父が軍隊で何があったのだろうか。今でも理解しがたい。
 知覧の慰霊祭は毎年5月3日の午後に開催される。

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