年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

戦後の10年と維新後の22年

2024年05月08日 | 宅老のグチ
自分が生まれて間もない時期はうっすらと記憶があるが変化の激しい時代だった。GHQの問題から、いろいろ戦後の過程の歴史を知るが本を読んでいて混乱もある。特に朝鮮戦争の始まりが、どちらかが仕掛けたかの論争があった。これがソ連の崩壊で北朝鮮がソ連と中国との了解のもとに侵攻した文献で今は論争が下火となっている。
 この時期の出来事は維新後の明治憲法が成立するまでと似ている感がある。今歌舞伎はコロナ後の対応で低迷期に入りつつある。観客の高齢化と世界に通じる物語が出来ていないと感じる。下記の本で
誰も「戦後」を覚えていない 昭和20年代後半篇 鴨下信一著
 戦争が終わって割と早く、歌舞伎が復活したという。しかし東京の劇場は空襲と米軍の接収で、上演できる劇場が一つしかなく、本格的に復活したのは東銀座の歌舞伎座の再建からという。この復活の力となったのがアメリカ人の歌舞伎通うの人だった。舞踊劇と弥次喜多の喜劇から始まった。昭和29年の春日八郎のお富さんがミリオンセラ-となったのは、唄を聞いていた庶民が歌舞伎の内容を知っていたからという。
 戦後の歌舞伎の復活にGHQの検閲があって
1 仇討、復讐のある作品は上映禁止  日本人の米軍に対する復讐心を恐れていた。
2 封建的な忠誠を美化する作品も上映禁止。
3 死・残酷・悪を美化するもの禁止
このことから戦前の人気作品がほとんど上演が出来なくなって、舞踊とか喜劇とで戦後は始まった。特に菅原文伝授手習鑑の寺子屋の段が上演禁止で、歌舞伎関係者はうろたえた。
戦前の解釈で寺子屋の段は『せまじき物は宮使え』というのが上官の理不尽な命令にも従うということを戦後に解釈の読み替えで上演にたどり着いたという。このことは明治の初めの歌舞伎の改革で実録物を求められ苦労した市川團十郎を思い出す。江戸時代の歌舞伎に馴染んだ東京の人が薩長の要求と合わせる苦労が見える。

 時代の変わり目は旧制度に馴染んだ観客と新時代に旧制度の不慣れの人達の文化戦争でもある。その戦争は時間が経つと、ほぼ確実に若者に負ける。ただ例外は宗教演劇しか残らない気がする。新宿のテント芝居で一時代を作った人が亡くなった。昭和の戦後の証言者が急速に消えている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 虎に翼での監獄法が出てきて思う | トップ | カップラ-メン指数-貧困食・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。