明けましておめでとうございます門松

昨年は、一人で過ごしている時の不安、動悸が大分減り、それに伴い料理やお風呂、掃除などの生活のルーティンもまあまあこなせるようになり、割と大きな進歩を果たした年でした。

 

そんな話をセラピストに話すと、

「充分やん。ほかに何を求めてるん?」

と言われてしまう。

苦しさは減ってきても、日々の中に喜びはまだない。彩りがない。

求めるものが手に入らない苦しさを押し殺して普通の顔して生きている。

だからそう言われると、贅沢だ、もうその辺で満足せえ、と言われているようで涙が出てしまう。

 

確かに、不安と動悸が出てくると、死にたい感覚にまとわりつかれて、それがないだけでも心のクオリティオブライブは上がる。

脳のリソースが苦しさを感じることに奪われない分、丁寧な生活を送れる程度の気力も出てきた。

 

ただ、独りぼっちの寂しさは厳然としてあるし、不安もしょっちゅうよぎる。

それが増幅しなくなったということなんだろうな。

声をマイクで飛ばす音響効果みたいなもので、声=不安自体はあるということなんだろう。

 

メインのセラピストさんとは別に無償で年5回だけカウンセリングを受けられる制度を利用している。

そちらはごく普通の傾聴型カウンセリングで、自分には意味ないかなと思いつつ無償の範囲内でとりあえず通っている。

アンガーマネジメントとして、怒りが沸き起こったら数秒堪えるとか、その時の感覚、感情をメモるとか、なかなか続けられなかった。

こんなこと意味ないと思ってしまうし、単純に面倒くさい。

家に着いたら食べる以外は何もしたくないし。

 

でも、2ヶ月くらい前のセッションで、嬉しかったこととその時の感覚、感情をメモるという宿題を出された。

ネガティブな方をメモるよりもっと苦手なやつ。

鏡に向かって、可愛いね!大好きだよ!いつも頑張ってるね!っていうのもあったけど、気持ち悪くて無理だった。

でも、今回はなんか出来そう、少なくとも嫌じゃない、という感じだったんですよね。

面倒くさいというのが課題で、嬉しいこともそうそうなくまだ数回メモしただけで滞ってはいますが・・。

 

少なくともベクトルは良い方に変わっているのかもしれないと思う。