昭和2年生まれの雑記帳

一市井人の見た昭和の記録。今は思いも寄らない奇異な現象などに重点をおきます。
       

こぼれ話⑫  英字の筆記体

2015-08-12 | 昭和初期

   こぼれ話⑫  英字の筆記体


「今の子は筆記体を知らない」との記事を『読売ファミリー(2012.6.6号)』紙で読んで驚いた。20歳の息子が筆記体を見て「草書で書いた古文書のようだ」と言ったという。平成14年からの「ゆとり教育」以来とのこと。円周率を「3.1」としか学ばなくなってしまった年代の話で、立腹しかけたが、筆記体は本場米国でもサイン以外には殆ど使われなくなっているとのことでまた驚いた。印刷技術の向上や、諸機器の登場が原因とのこと。

私たちの頃はさっとブロック体を学んですぐに筆記体に取り組んだと思う。4本の細い横線が引かれた練習帳を15度ほど机と傾斜して右側を上げて置くのが先ず印象に残った。Gペン*と呼ぶ平たいペンで、文字により、中1段だけに納めたり、あるいは上2段、あるいは全3段を使用したりと、中学生になったんだとの新鮮な感覚を覚えたことがよみがえって来た。
Gペンを使うためには小さなインク瓶を持参したものだ。ちなみに、その頃の(安物?の)万年筆はすらすらとインクが出なくて、授業の始めにインクを出そうと振ることが多いものだから、床はインクが飛んだシミで点々だらけ。中には大きく振る馬鹿者がいて、制服の背中に縦か斜めに点々が付いている友人が何名もいた。私もその1人だった。
 

 *もともと英字を書くのに使われたペンである。おもな特色は軟らかいことで、この軟らかさは文字に強弱をつけやすいものとなっている。迫力が出やすいため、漫画、特に劇画に利用されることになったとのこと。Gペンの「G」に関して、“Wikipedia”によると昔はAペンからZペンまで作られていて、良質なGペンだけが今も使われている」という説もあるが、それが真実かどうかは定かでないという。

余談になるが、商業学校入学時に、英訳の時間は先ず発音記号から入った記憶が強い。筆記体より先だったように思う。既稿で記したように英作文を学んだ担任は一生で最悪の教師だったが、英訳の先生の授業には感謝している。音程には弱い自分だが、工専での僅かばかりのドイツ語の時間に、英語より少し気取って読んだ処、奥様がドイツ人の先生に発音を誉められて、もう1度読まされたのは私1人だけだったということもある。音程には相当弱い私なのにである。

                              〔平成24年6月作成・27年8月修正〕




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