姫路⇒岡山
70kmの距離を新幹線でたった20分程度で移動
秀吉たちが生きた時代から考えると言葉にならない
探索2日目はレンタカーでの移動がメイン
あいにく岡山駅付近はずいぶん前から予約が埋まっていて、赤穂線に乗り替えてレンタカーを借りに隣町の瀬戸内市へ
大多羅駅
レンタカーを借りに通過した大多羅駅は、 空気階段の水川かたまりさんの生家がある最寄り駅
無人駅で特に何もなかった
おおだら、、!?ダイダラ、、、
だから、 よく昔話で登場する「ダイダラボッチ」の伝承があるところかと思い調べてみた
特に何もなかった
だから、このまま通過して終了
船坂峠
軍記物語『太平記』にも「山陽道第一の難処」と記されている峠 当時は、谷が深く、道が狭く滑り易かった様子
さらには梅雨の時期だったので、姫路城への帰還は暴風雨で道筋の河川は相次いで増水していたとか
この時、秀吉は氾濫した川近くの農民を雇い、人の鎖を作って、その肩をツタって兵たちに川を渡らせた逸話があるらしい
ルートたどるとおそらく「吉井川」が一番大きいのでこの川を指すのだと思う
山陽道新幹線が渡河する付近は大き過ぎるため、山陽自動車道あたりを渡ったと個人的には推察
ただ、後世、中には1日で2万人全員が姫路に到着した訳でなく、翌日以降も兵が姫路に到着もあったはずといった声もある
そもそも計算すると、 2万人を縦一列、4m 間隔で並ぶ条件で列を作ったら80kmの列ができる
つまり、秀吉が姫路にゴールした時点で最後尾の兵はまだスタートすらしていないことになる
三石宿
船坂峠に最も近く、 播磨国(兵庫)と備前国(岡山)の国境に位置する関所であり、街道筋にあったかつての宿場町
山あいにあり、見渡すと鉱山や採石場らしき跡が視界に入った 蝋石の採掘や日本随一の耐火煉瓦生産地だったらしく、戦前には60近くの鉱山があったとか
三石駅
1日平均乗車人数がこの10年200人も満たない無人駅
隣の上郡駅との駅間距離12.8kmは、JR西日本管内の在来線で2024年7月時点で最もに長い駅間距離だとか
とすると、この区間は中国大返しの時も今の時代も休憩ポイントが設置しにくい区間なのかもしれない
三石城
船坂峠へ向かう途中、偶然発見
1333年、南朝方に与した地頭の伊東宣祐が山陽道をふさぐ目的で築いた山城
室町時代には備前守護代の浦上氏が居城していたが、浦上氏の衰退に伴い、やがて廃城 中国大返しの際は機能を失っていたと思われるが、現在も大手曲輪の石垣をはじめ遺構が現存していた