京都クーデター計画」説
では、ここからは、独自の完全なる妄想なのであしからず
当初の考えでは、毛利攻めで信長が進軍している間に京都を「占拠」するつもりだった光秀
信長を討つことが目的ではなく、まずは京都でクーデターを起こし成功させることが目的だった
だが、賛同を呼びかけた「協力者」たちが次々と噛み合わず、結果、単独で動かざるを得なくなり、さらには本能寺で信長を討つ目的に変わることとなってしまった
「協力者」とは、主に羽柴秀吉、徳川家康、荒木村重、長宗我部元親、細川幽斎の計5名
この面子で連携して、中国地方へ進軍中の信長軍に対して、第3次信長包囲網をかけるつもりだった光秀
また、1573年、槇島城の戦いで信長が義昭にしたように、光秀もまた信長を生捕りにしてするつもりだった、かも