人の命はこうして消えていくのかもしれない。
3日3晩まるで食べ物を受け付けない。
右脇腹の痛みは日増しに耐え難く、寝返り打つにも青息吐息。
這うことすら難事業になってしまった。
無理やりでも食べて治す主義は破綻した。
朝、起きたら病院へ行く。
そう思ったら、なにやらサイレンが家の前で止まった。
階下にいくと救急隊の若者と目が合った。
「担架がありますが」
「いや、歩いて行ける」
救急車だけは勘弁してほしい。大騒動になる。
家人には頼み込んでいた。
案の定、ご近所が心配げに見守る。
こんな時でも、サービス精神が出る。
軽く手を上げて「申し訳ない」と会釈。
あと1週間の30日に75になる人生初の担架に乗せられ救急車搭乗だ。
「生年月日、お名前、今日は何日、どこが痛むか、どんな症状か、、、」
若い隊員から矢継早の質問。
大谷のナショナルズ戦だから、今日は何日かは覚えている。
すぐに体温計(38.6)、血圧計(147)。
頭の上(操縦席)では、しきりに搬送先を探している。
どうやら、糖尿病行きつけの大阪IK病院が受け入れてくれた。
持病も捨てたものではない。
外の景色は見えねど、大体はこの辺りを走ってると分かる。
サイレンがけたたましくなり、信号に引っ掛からない。
わずか20分ほどで到着。
担架に乗せられ突っ走る。
天井しか見えない、テレビのワンシーンだ。
「どうしたの?」
いつも顔見知りの看護師たちか、心配げに集まってきた。
CT、レントゲン、尿瓶で検尿、採血、血圧、体温とここでも矢継早の検査検査。
だが、比較的心の余裕があったのはここまでだった。
すぐに点滴が始まった。
しばらくすると顔馴染みのドクターがきた。
厳しい顔で言った。
「何でここまで我慢した。あと1日遅れてたら、死んでたよ」
取り分けおどろいたのはC蛋白反応症(CRP)の34.2の数値。
通常は0.3以下。
20を越えると即入院、30を越えると命の危険、なのだそうだ。
データを見てもピンとこない。
今まで縁のないCRP。
えっそうなの?
衝撃とか、ショックとか言うより、言葉が空を飛んでいる。
ドクター曰く腹水が数ヶ所。破裂寸前。破裂したら内臓がやられる。
らしかった。
とても手術出来ないので、違う病院を手配してくれた。
緊急手術は2台目の救急車に運び込まれるまで知らなかった。
看護師達が涙浮かべて「頑張ってね」と送り出してくれたからだ。
どうやら、大阪IK病院から南西の兵庫KR病院に決まったようだ。
窓の隙間から見える高速道路の風景がなんともスローに見えた。
《続く》
九死に一生を得る体験をされましたね。
助かって本当に良かったです。
生死さ迷う切迫した状況の中を事細かく覚えてられるとは、さすが「噂の情報局」です!
そのプロ意識に脱帽です!!
救急車にはご自身の足で乗られ、ご近所さんには手をあげて会釈、そして、搬送中の写メ。
なかなかできる事ではありません。
救急車に乗ってるこちウワ様は宇宙飛行士みたいです!
無事ご帰還できて良かったです。
I'm backですね。
今はDr.に全てお任せして、早く良くなって下さい。
to be continuedが気になります。
お大事に。
きっちり養生してください。
どうぞお大事にしてください。
九死に一生を得たのです。どうぞ、くれぐれもご無理無きようになさって下さい。
何とも、どえらい経験をしてしまいました。ご心配かけて恐縮です。こんなみっともない男がおる、というのも知って頂ければ、役に立つか?と。
有り難うございます。養生します。
ついに、よもやのアクシデントで大谷更新挫折しました。
2度ものコメント恐縮です。不健康優良児の自業自得でした。
恐縮です。いよいよ寿命かな?と思いましたが、死に損ないました。