ドラッケンミラー氏: ソフトランディングのことは忘れろ

引き続き、ジョージ・ソロス氏のクォンタム・ファンドを長年運用していたことで有名なスタンレー・ドラッケンミラー氏のインタビューである。

パウエル議長はインフレを打倒できるか

Fed(連邦準備制度)のパウエル議長が去年の終盤に利下げ予告をし、金利が下がってしまったためにインフレが再燃の気配を見せている。

パウエル議長が経済を失速させたくないためにインフレを打倒できないのではないかという意見は、ドラッケンミラー氏のものも含めかなり前から見られていた。

以下の記事で解説したように、マネタリーベースがむしろ増加していることも含め、やはりパウエル氏にはインフレを抑える気がないのだろうか。

ソフトランディングへの固執

ドラッケンミラー氏は次のように述べている。

パウエル議長のソフトランディングへの固執を心配している。

インフレ抑制のために利上げを行い始めてから議論されているのが、インフレが抑制されても経済成長は抑制されないような都合の良い状況(ソフトランディング)があるのかどうかである。

デイビッド・ローゼンバーグ氏によれば、それはある。ソフトランディングとは経済加速から景気後退のちょうど間にある移行期間のことであり、その間は先行指標である原油価格や住宅価格が下落しながらも、遅行指標であるGDPや失業率などは悪化しない。

だがその状態をそのまま続けると遅行指標であるGDPや失業率も悪化してくるので、結局景気後退になる。それは実際に今始まっている。

そもそもソフトランディングは必要ない

だが、ドラッケンミラー氏の論点はソフトランディングが可能かどうかではない。そもそもソフトランディングを目指すこと自体が不要だということである。

彼は次のように述べている。

わたしが好きな中央銀行家はポール・ボルカー氏だが、彼はソフトランディングについて心配などしなかった。

彼はためらいなく経済を酷い景気後退に落とし込み、18ヶ月の痛みによってその後20年の繁栄を獲得した。

ボルカー氏は1970年代の物価高騰を1980年代初めに終わらせたFedの議長として有名である。当時のことについてはボルカー氏自身が以下の記事で語っている。

確かにボルカー氏が容赦なく金利を上げたためにアメリカ経済は酷い景気後退に陥った。

だが、実は金融緩和と株価上昇を喜ぶ人々でさえも、ボルカー氏に大いに助けられている。何故ならば、ボルカー氏の1980年は長期的な金利の天井であり、以来何十年も金利が下がり続けてしかもインフレが起きていないのは、ボルカー氏がインフレ退治をやり切ったからである。

つまり、その後数十年のあいだアメリカがインフレなしに金利低下による株高を享受できたのは、ボルカー氏が低金利の間に大量生産されたゾンビ企業を高金利で一掃したからなのである。

もしボルカー氏がいなければ、少しでも緩和に戻す度にインフレ再燃を心配するような今の状況がまだ続いていただろう。ボルカー氏が居たから緩和政策を何十年も続けられた。だがその効果ももう切れたのである。

インフレ退治は政治的に困難か?

だが景気後退になると分かっていてインフレ退治をやることは政治的に難しいのではないかという声があるかもしれない。

しかしそれは事実ではない。何故ならば、ボルカー議長にインフレ退治を許したレーガン大統領は、次の大統領選で再選しているからである。

ドラッケンミラー氏は次のように説明している。

ボルカー氏が正しいことをした結果、1982年に経済が酷い状態になった後、1984年にレーガン大統領は49の州で勝利した。

レーガン氏はインフレを退治した功績で選挙に勝っているのである。

だから、ドラッケンミラー氏は現代に話を戻して次のように言う。

パウエル氏が(去年の終盤に)ハト派に転換した時、ガソリン価格は2ドルだった。それが2ドル80セントまで上がり、今では2ドル55セントだ。

パウエル氏の利下げ宣言で原油価格が上がったことが原因である。

同時に株価も上がったので資産家や投資家をパウエル氏は確かに助けたのだろう。ドラッケンミラー氏は次のように言う。

一方で、この期間はわたしの会社にとって何年もなかったほど最高の年初めとなっている。多くの裕福な人々にとってやりやすい状況だろう。

だが、多くの日本人が気付いていないことだが、株価が上がってもほとんどの日本人の生活には何の関係もない。

同じようにドラッケンミラー氏は次のように言う。

だが中間層にとってはそんなことよりもガソリンの値段の方が重要だ。物価は2019年よりも21%も高くなっている。だから政治的にも株価を押し上げて景気後退のないソフトランディングを目指すよりは、インフレを抑えた方が良い結果になるはずだ。

事実、レーガン氏はそのようにして大統領選挙に勝ったのである。

日銀の植田総裁は同じことが出来るだろうか。