まず、3.11 東日本大震災慰霊供、3.14満月増益護摩供、無事に終了いたしました。
ご参加いただきました皆様に感謝申し上げます。
いきなりですが、世の教えの中に まずは自分が救われてから他者を救うべきとあれば、他者を救うことが 自ずと自分を救うことに繋がるというものもございます。
どちらかが正解なのでしょうか?
どちらにしても偏り過ぎると、バランスを欠きます。
自分が幸せでないと 他者を幸せに出来ない、
他者を幸せにすることで 自分も幸せを享受できる。
どちらも間違いではありません、その方にとっての正解は一つとは言えないからです。
ただし、神仏が共鳴しやすいのは、自らを省みず 他者を救おうとする
純粋な気持ちに神仏も感動されるのは確かです。
私が以前 「どうすれば M子が苦しむ病から救われるか?」 その解決方法の中に、
業障となっている疫の神をいかに排除するかというのがありました。
目に見える世界では、〇〇病という名の免疫疾患ですが、現在でもステロイド系の対処療法しか治療法はございません。 たまたま 霊媒役のM子の過去世であり守護者となったハナちゃんが、私にその見えない世界の状況を伝えてくれたからこそ そのような業障の関与が認識できたのです。
しかし、鬼業とまでなった業障を排除するのは容易ではありませんでした。
その時の対処は、日々コツコツとその業障を浄化し、最終的には守護者のご助言の下、経験のない護摩を焚いたりしながら 無欲 でその事だけに集中していたのが、
私の魂の成長的には幸いしたようです。
これが お仕事として 利益や売り上げや原価等と言っていたら、
神仏も応援する度合いがマックスとはいかないのかもしれません。
神仏が この者を助けたい と思えるような行為を心掛けると
本来の自分の力以上に神仏の御力が加わります。
損得だけで考えているうちは、本来の自分の魂が 欲しているのではないのかもしれません。本当に叶えたい事であれば 最初は損得抜きで始めるはずだからです。
子供の頃の夢とは そのようなものでしょう。
確かに 後先考えず 夢ばかり語っていても現実化はしないでしょう。
例えばYoutuberが儲かると聞けば すぐ試す行動力はあるが すぐ諦める・・・・
〇〇が良いと聞けば 上っ面だけやってみて やっぱり無理だと言う・・・
そのような方は多いのですが、その本音は、目的の手段がYoutuber
ではなく、儲かる仕事としてのYoutuberなのです。
儲けを目指すのが悪い事ではありませんが、結果的にどうしても 奥の浅い 長続きしない傾向となるようです。
神仏に こうして下さいと ただ願うよりも、
神仏自ら助けたいと思われるような 生き方 そして行動を目指すのは、
とても理に適っているように感じます。
以上、雑感でした。
さて、明日から春の彼岸の入りです。
季節の節目でもあります、神仏、ご先祖に手を合わせ、
日頃の感謝をお伝えいたしましょう。