TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 481

2024年04月28日 | エッセイ
 その当時の私は「花筏」の何たるかを知らなかった。土門拳氏が大型カメラで撮った古刹の山門の扉の名作の影響を受け、35ミリカメラで古刹の山門ばかりを撮り歩いていた時期であった。その合間には古民家や動物、夕暮れ時の街並みの写真も撮っていたが、「花」とそれに関連する被写体には全く目を向けていなかった。その当時は自宅に暗室を持っており、全てモノクロの時代であった。たまにカラーフィルムを買い、街のDPE店にお願いし、サービスサイズだけではなく大きく伸ばすこともあった。而し、色の質は悪い上に料金は非常に高かった。サラリーマンだった私には大変な負担であった。その点白黒写真の場合は大巻きのフィルムを買い、暗室の赤橙を消して手探りで何本ものパトロネ(フィルムをカメラに装着するための缶)に詰めた。それを持って撮影に行けば、フィルム代を気にせず大量に写真が撮れた。そのあとは自分で現像と焼き付けや引延ばしをしていたので非常に安くついた。色のない写真では花の美しさを表現し辛かったため、花には目が向けられなかったのだと思う。

 井の頭公園の池に映る橋の影の撮影を終えて帰ろうとしているときに、「ハナイカダは何処ですか?」と60代半ばに見えるご婦人に聞かれた。「さぁ、知りません」と云うと、信じられないと云う顔をして、重そうな三脚を持ち直して急いで走り去った。私は、それが何処にあるかより、それが何かを知らなかったのである。

 ハナイカダ、花筏が何であるかを知ったのはそれから一年後の桜が散る時期になってからである。教えて下さったのは同じ写真クラブの先輩であった。散った桜の花びらが水面に浮かび、それらが連なって流れていく様が筏のように連なっていることから生まれた言葉であろう。その流れている様子を写すには極端に遅いシャッター速度で花びらが流れているように撮るのである。その為にはPLフィルターの他に何枚もの光をセーブするNDフィルターを重ねて極力露光量を抑えての撮影である。従ってしっかりした三脚が必需品である。
 花筏の撮影を実際に教えて頂いたのは新宿御苑であった。撮影に適した場所が数か所あり、その場所に適したカメラの向きまで教えて下さった。

 私がその写真クラブに入ったのはデジタルカメラ全盛になってから何年も過ぎてからである。それまでは、パソコンが「暗室」になることに満足し、自己流であらゆるジャンルのカラー写真を撮りまくっていた。写真クラブに入ってからは、その先輩に花筏だけではなくマクロレンズの楽しさも教えて頂いた。

 以下に掲載する花筏の写真は先輩に教った新宿御苑の花筏の撮影に適した場所と、自宅近くの公園の池で撮った写真である。これらは2016年4月18日付の「折々の写真&雑感」の#57に掲載したものと同じ写真である。今年は桜の開花が異常であるためか「花筏」に適する写真が撮れなかった。
















折々の写真&雑感 480

2024年04月21日 | エッセイ
 前回の朝の連ドラ「ブギウギ」が終わってしばらく経つ。だが、強く印象に残っているのは茨田りつ子を演じていた菊地凛子さんが出撃を待つ特攻兵の前で歌った舞台のシーンだ。茨田りつ子は、それを演じている菊地凛子さんとは違い非情な顔立ちと態度であった。それが特攻兵の前での歌唱が終ると舞台の袖で泣き崩れた。人間味を感じた。何と素晴らしいシーンの連続であったことか!これが今回の連ドラの全てであると思い、他のシーンや物語はどうでもよくなっていた。

 私は菊地凛子さんと云う素晴らしい女優さんを知らなかった。茨田りつ子として歌っているのはプロの歌手であると思っていた。家内から彼女は女優の菊地凛子さんだと教えられた。何と云う歌唱力と演技力か。このような素晴らしい女優さんがいるなら、テレビドラマも捨てたものでもないと考えたが、その素晴らしさを引き出せる演出家がいるかどうかが問題である。

 発声の訓練も演技の訓練もせずに、何かの縁か誰かの紹介でドラマに出演し、台詞のイントーネーションもいい加減な名ばかりの女優や男優を見ていると、ドラマそのものに興味を失い、テレビのスイッチを切ってしまう。

 今回の「ブギウギ」で、いつ菊池凛子さんが出てくるかと期待を込めて見続けていたが、出るシーンがないとがっかりした。

 菊池凛子さんは、音大で声学を正式に学んだ偉大な歌手の淡谷のり子さんを尊敬し、自分なりになんとかそれを表現したく、また話し方も自分なりに考えたとNHKの番組でおっしゃっていたが、自分が一番うまいのよ!と自慢するように歌っていた淡谷のり子さんより、茨田りつ子が歌う「別れのブルース」の方がずっと良かったと私は思っている。

 今回はやっと満開になった近くの公園の桜だけを集めた。写真を見るとお分かりのように花だけではなく葉も一緒に芽を出している。ご存じのようにオオシマザクラは花と同時に葉も芽を出してくるが、ソメイイヨシノは花が先に咲き、その後で葉が芽吹くのが普通である。念のため、この公園事務所に桜の樹種を電話で伺ったところ、全てソメイヨシノだそうである。今年の開花は異常に遅かったので、待ちきれなくなった葉が花と一緒に芽を出してしまったのであろう。













折々の写真&雑感 479

2024年04月14日 | エッセイ
 アメリカ詣での前に岸田首相が「自民党は変わらなければいけない、党本部も命がけで党再建に努力していきたい」と云っているのをニュースで観たが非常にむなしく感じた。「命」をかけてとか「命がけ」とか、やたらと「命」という言葉を使う人間に限って、私はそのような人は信用出来ない人と思っている。まるで詐欺師が今度こそうまくやるぞと云っているように聞こえるからである。

 地方の自民党員の話が出ていたが、地元の議員の当選だけを必死で考えているだけで、その議員が裏金(バックマージン)を貰っていたかどうかを見極めようともしていないようだった。自分の都合のいい人を国会に送り出せれば、それでいいと考えているのか?

 また岸田首相は収支報告をきちんとしなかった議員に対して多くの罰則規定を設けた。だが、一番罪の重い議員に対しても「離党勧告」だ。仮に自民党を離れても、このような質の悪い議員が国会にとどまっているのでは、我々庶民は国の将来を安心して彼らに任せられない。自民党を本気で変えるなら、裏金を一円でも受け取った議員全員を、例外なく「議員辞職」させるべきだと考える。岸田さんは、このような議員をどうして辞めさせ、国会から追放しないのか?私が思うに、このようにしたら議員がいなくなってしまうと懸念しているのではなかろうか?

 岸田首相がこのような政策を取り始めたら、公明党はネズミが沈没船から逃げ出すようにさっさと自民党から縁を切り、次に政権を取れそうな党にすり寄るだろう。公明党のこの能力だけは非常に優れている。

 二階さんが次の選挙には立候補しないと声明した。すると岸田さんは二階さんの罪を追求しないと云っていた。それで済むような問題ではないだろう。

 世の主婦は食品が10円か20円値上がりしただけで大騒ぎをする。自民党の議員が何百万円、中には何千万円もの大金を懐に入れて知らん顔をしている。そしてバレても、一番重い罪で「離党勧告」をされるだけで、議員としての地位は守られている。そして我々庶民とはかけ離れた高額の議員報酬を受け取り続ける。何かおかしくはないか?

 今回も掲載写真は上野動物園の動物たちである。コロナ禍を機に撮影地が限定してしまったことは承知している。以前のように撮影地を限定せずに、幅広い被写体を探し、新しい感覚で写真を撮りたいと願っていることは確かであるが、同じ撮影地でもっと掘り下げて撮ることを考えている事も確かである。
















折々の写真&雑感 478

2024年04月07日 | エッセイ
 金沢文庫(横浜市)に北條実時ゆかりの称名寺がある。年間を通して多くの魅力的な被写体が我々を喜ばしてくれる。その日は仲間たちと黄葉の真っ盛りのイチョウを撮りに行った。その帰りに皆と相談して外見は非常に雰囲気の良さそうなレストランに入った。前回は見過ごしたのか、新しく開店したのかは知らぬが、11月末の雨の降る寒い日であったので一刻も早く暖かい場所に入りたかった。我々が席に着くとすぐに女店長の丁重な挨拶を受けた。そして「私どもの料理には一切火を使いません」と云いながら、その理由を張り出した壁の方を示した。そしてエアコンもなかったことに気が付いた。唯一冷たい風を防げているだけだった。店主の説明を聞いた後で店を出てしまう客が多いのか「それで宜しゅうございますね」としつこいように念を押された。

 出てきた料理は菜っ葉ばかり。食べるに従って体がどんどん冷えてきた。最悪の店に入ってしまったと皆でぼやいたが既に遅かった。コースメニューの品が次々と出てきた。料理と云っても野菜サラダばかり。食べるほどに、前にも増して体が冷えてきた。壁に火を使わない料理の効能を書いたものが何枚も貼ってあったが、こう寒くては読む気もしなかった。

 駅に通じる広い道路の反対側のコーヒー店に入ってやっと救われた。「火を使わないレストランに入った」と云うとオーナーは腰を曲げて笑い転げた。寒いのをほんの5分我慢すれば、このコーヒーショップの軽食か、もう少し先にある味自慢のレストランがあったのだ。

 次に称名寺に行ったとき、「あの店だけは避けよう」と皆で誓い合ったが、その店は既に無かった。今から考えると「火を使わない料理」に拘り、店の暖房まで無くしているのは何かの宗教なのだろうか。そうとしか考えられなかった。オーナーをはじめ店員が同じ服装なのは肯けるが、年恰好やヘアースタイル、それに雰囲気まで同じだったように記憶している。

 先々週に神代植物公園に行った。あいにくと風が強く、のんびりと草花を撮るような日ではなかった。風が収まるまで温室での撮影をすればいいと考えて、その方向に歩きだしたが、途中牡丹園に寄ってみると桜が咲いていた。満開の状態であった。何と云う種類か伺ったが、受付のお嬢さんはその品種をご存じなかったようで、調べてから私に電話して下さった。早咲きの「オオシマザクラ」との事だった。
 温室を出て、さくら園に向かった。咲いていたのは小彼岸桜だけだった。暖冬だと云われていた今年だが、桜の開花は大幅に遅れている。


 オオシマザクラ




 ヒスイカズラ(原産はフィリッピンのルソン島、ミンドロ島)






 小彼岸桜

折々の写真&雑感 477

2024年03月31日 | エッセイ
 カワセミを撮りに行かなくなって久しい。撮りに行きたくても肝心のカワセミが居ないのではどうしようもない。近所の非常識なオバさんの苦情で練馬区の職員がカワセミの巣穴を板で蓋をしてしまったのだ。池の穴を塞がれてはカワセミたちは他に移動せざるを得なかった。「カワセミを撮りに来る人たちの話声がうるさい」と云うのがそのオバさんの主張だが、池と彼女の家とは相当な距離があり、大声を張り上げない限り普通の声が聞こえる筈がない、とその池にカワセミを撮りに行っている人が云っていた。撮影者たちが練馬区に抗議しても無駄だったらしい。従って、この池を棲家としているカワセミは私たちの撮影池には一切飛んで来なくなった。杉並区にもカワセミの生息する池は多くあるが、この区の職員はカワセミを保護はしても練馬区のような馬鹿な真似はしない。繁殖池を失ったカワセミはそれ以来どこへ行ってしまったのであろう。

 カワセミが飛んできたころ、ほぼ毎日のようにカワセミを撮りに来る仲のいいご夫婦がいらした。奥さんがまめまめしく魔法瓶からコーヒーをご主人のために注ぎ、私にもコーヒーをご馳走して下さった。「ごちそうさま、本当においしかった」と礼を云うと、嬉しそうに「私たちはコーヒー屋なの。コーヒーを焙煎しているの。まずいコーヒーは持ってこれないでしょ」と人のいい笑顔を見せてくれた。この奥さんのような人だけが、あの練馬区の池の近くに住んでいてくれたら、カワセミたちが別の池や川を探し廻ることもなかったし、我々もカワセミの撮影を続けていられたと非常に残念に思う。

 同じような話がまだある。花小金井の駅の南に素晴らしいトンネル状の桜並木があったのをご存じだろうか。一人の馬鹿な母親が、娘が帰ってくる時間には桜の枝が邪魔をして街灯の明りが届かない。だから枝を切れと市役所に申し入れたそうだ。練馬区同様の馬鹿な市の職員は見事な桜並木を台無しにしてしまった。

住民の苦情を何でも聞けばいいと云うものではない。たった一人の愚にもつかない苦情に依って他の多くの住人の楽しみを奪ってしまうことになることを考えないのか!

 先週に気象庁の桜の開花時期の発表を確かめに近くの公園に行ったが、硬そうな蕾があっただけだった。だが、別の花が咲いていた。それを掲載したい。
 桜だが、私は開花を待っているのではなく花が散るのを待っているのだ。開花から約一週間で満開になる。そして散り始める。頃合を見て「花筏」を撮りに行く。風のないときは池の鯉に餌をまき、彼らに助けてもらいながら花筏を撮っていた。だが、昨年に池の水を交換してからは、池が汚れるとの理由で鯉に餌を与えるのが禁止された。今年からは風を待つしか方法がないようだ。