例年60%越え。高成婚率の秘訣は?!恵比寿の結婚相談所 夫婦セラピストが語る

例年60%越え。高成婚率の秘訣は?!恵比寿の結婚相談所 夫婦セラピストが語る

東京・恵比寿で結婚相談所を開き婚活セラピーを行っている湯田佐恵子&博和です。驚異の成婚率の理由は、自分の中に結婚できる状態を作っていくこと。一度体験にいらしてみてくださいね!

       (NHKホームページから撮影)

 

来年の今頃、未来のあなたがこう思う日が来るかもしれません。
「愛を怖がらないで、最初の一歩を踏み出してよかった」と。

この聖夜、少しだけ立ち止まって、自分の心に問いかけてみてください。愛することは、期待ではなく選択です。そしてその選択は、あなた自身の幸せへとつながっていきます。

どうか未来のあなたが、心から微笑めるような「愛の一歩」を、今夜踏み出しませんか?

 

「べらぼう」が教えてくれそうな人を愛しく想う気もち

新しい年を迎えるにあたり、NHKの大河ドラマが「光る君へ」から「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺」へとバトンタッチするのは、興味深いタイミングです。蔦屋重三郎、江戸時代の出版業界でメディア王にのし上がった男の物語が、いよいよ語られようとしています。

蔦重といえば、絢爛たる遊郭の華やかさや、庶民が息づいていた江戸の活気が思い浮かびます。しかし、脚本は『大奥』『Jin〜 仁』の森下佳子、このドラマが本当に期待されるのは、彼の成功物語だけではありません。むしろ、遊女や花魁たちの複雑な生き方、そして庶民の中に息づいていた濃厚な人を愛惜しく想う気もちにあります。

現代人にとって、「愛」はどこか希薄になりがちです。愛を語るとき、軽いロマンチックな恋愛や色恋にフォーカスしがちで、その根底にある尊さを感じることが少なくなっています。「べらぼう」は、この失われつつある「誰かを愛しいと想う自然な気もち」を私たちにもう一度呼び起こしてくれるのではないでしょうか。

 

江戸時代の愛

江戸の人々にとって、愛とは「人と人との繋がり」そのものだったと言えます。遊女や花魁は、ただ美しい存在として消費されるだけではなく、その背後には彼女たちの物語があり、色恋を超えた愛を信じたり、裏切られたり、葛藤の中で懸命に生きる姿がありました。逆説的ですが、「苦界に生きる」彼女たちの生き方には、現代人が失いつつある「純粋な愛」が息づいていたように思えるのです。

蔦重という男が主人公である以上、彼が築き上げた出版文化や商才も物語の柱となるでしょう。しかし、それ以上に重要なのは、彼が愛した人々や、彼を愛した人々との物語です。江戸という時代の人々の息遣いの中で、私たちが見つけられるのは、形に残らない日常に息づく小さな優しさや情熱ではないでしょうか。

 

 

愛することを恐れないために

「愛を怖がらないで」と言われても、現代人にとってそれは簡単なことではありません。効率や便利さを追求する日々の中で、愛することの複雑さや、時に伴う痛みを避けたくなるのは当然のことです。しかし、江戸の人々のように、生々しい感情や濃厚な関係性を受け入れることで、私たちはもっと豊かに生きられるのではないでしょうか。

「べらぼう」が描く物語を通して、私たちもまた、「愛とは何か」という問いに立ち返ることができる気がします。それは、蔦重や花魁たちが生きた江戸時代の物語に触れるだけでなく、自分自身の日常にどのように愛を取り入れていけるかを考えるチャンスにもなります。

 

 

未来の自分に贈る「人を愛しく想う気もち」

新年の大河ドラマを楽しみにしながら、自分自身にも「愛することの一歩」を贈ってみてはいかがでしょうか?それは、誰かとの深い関係を築くことかもしれませんし、自分自身をもっと大切にすることかもしれません。

江戸の庶民が紡いだ愛の物語の中には、きっと現代の私たちが忘れてしまった「心の豊かさ」や「愛の奥行き」が隠されています。そのヒントを見つけるためにも、蔦重たちの物語をじっくり味わいながら、日々の中で少しずつ愛を実践してみませんか。

 

未来のあなたが、豊かさと愛に包まれる一年になりますように。メリークリスマス!

 

 

えにあひろ

 

 

 

 

『光る君へ』最終回

『光る君へ』最終回において、まひろは道長を看取る役目を与えられます。正妻倫子はまひろの告白から、二人の運命の出会いを悟り、夫の最期をまひろに託すのでした。「この世はなにも変わっていない。俺は一体なにをやってきたのであろうか」と嘆く道長を、まひろは諭します。「戦のない泰平の世を守られました。見事なご治政でありました。」「『源氏の物語』は、あなた様なしでは生まれませんでした。」と。まひろと道長の関係は、まさに平安時代のソウルメイト、そして究極のツインレイとして描かれています。この二人の絆は、単なる恋愛を超えた深い結びつきであり、その真髄は現代の私たちにも多くの示唆を与えてくれます。

 

 

道長はパトロン、まひろは?

道長がまひろに与えた経済的支援は、彼の愛情を超えた深い思いに根ざしていました。彼は官職という「匿名」の形でまひろとその家族を支え、パトロンとして彼女を傍から守りつづけたのです。この無償の愛が、下級貴族生まれのまひろの人生にとってどれほど大きな意味を持ったかは言うまでもありません。しかし、道長にとってもまひろはただの理想の愛の対象にとどまらず、政治家としての使命を成し遂げるためのインスパイアー的存在であり、彼の人生の永遠の導き手でした。二人の関係がどれほど深かったかは、この深い相互作用によって物語られています。(私は「美女と野獣」の、ベルと王子の関係性を想起しました)

 

 

妾の地位を拒んだまひろ

そして、ふたりが結婚という形で結ばれなかった事実が持つ意味にも注目すべきです。結婚という形式的な枠組みが必ずしも「愛」を証明するものではないという、強烈なメッセージを伝えているからです。道長が倫子を正妻に迎え、まひろとの関係が公に認められることはありませんでしたが、それは悲恋ではありません。妾として迎えたい道長を拒んだのはまひろでした。むしろ、この物語は「愛とは何か?」という問い(現代人の多くが失ってしまった)を、深く考えさせてくれます。結婚という制度に縛られることなく、男女が互いに成熟し、共に「生きる意味」を与え合う関係こそが真の力を持つのだということを、この物語は私たちに教えてくれるのです。道長は時の最高権力者となり、まひろは後の世に千年にもわたって愛される「源氏物語」の作者として永遠の命と名を残します。互いに支え合い、成長し合いながら、まさにソウルメイトと言える関係を築きました。

 

 

色恋を超えた「愛」

さらに、まひろと道長の関係は、色恋を超えた「愛」の可能性を示唆しています。この関係は、単なる感情的な依存や肉体的な欲求を超えた、深い精神的・哲学的な絆に支えられています。結婚という枠組みに囚われることなく、互いに無償の愛を与えあい、共に成長しつづけることができるという希望を、まひろと道長は私たちに伝えています。彼らの愛は、肉体的な欲求を超え、相手の存在を深く尊重し、共に進化しつづけることで、普遍的で深遠なものとなったのです。

 

 

「愛」の本質

この物語が教えてくれる「愛」の本質は、単なるロマンチックな感情ではありません。愛とは、他者を尊重し、理解しあうこと、さらには相手の人生に深く関与しあうことにあります。コロナ禍前に私たち夫婦が行ったワークショップで、「愛というものが本当にあるなら、一度は体験してみたい」と語った婚活中の参加者たちの言葉が、まさにこの物語のメッセージと重なります。愛を求める理由として「体験してみたい」と思うのは、まさにまひろと道長の関係に見られる無償の愛と成長しあう愛の形に、共通しているからではないでしょうか。

 

 

「愛とは何か」を考えることが力に

そして、この物語が現代の私たちに問いかけるのは、恋愛や結婚の本当の意味です。色恋の一過性を超えて、「愛とは何か」を深く考え、互いに生きる意味と情熱とを見出しあうこと。まひろと道長のように、私たちもまた、相手と共に成長しつづけることができるのではないかという希望を感じさせてくれます。この物語は1000年の時を超え、時空を超えて、私たちに強く響く愛の形を示しているのです。

 

 

追伸 「倚りかからず」の精神

ちなみに作者の大石静さんのエニアタイプは?皆さんは何番だと思います?私の研究では、タイプ7だと鑑定しています。意志の強いまひろ像は大石さん自身の夢であり、パトロン道長との道ならぬ道行きは大石さんの、あるいは多くの女性の、見果てぬ願望なのだと思いました。そして直接の影響云々は不明ですが、偶然だとは思いますが、詩人茨木のり子の詩の世界を連想しました。「わたしが一番きれいだったとき」(実際、女盛りのまひろは多くの死を体験します)、「倚りかからず」の精神はまひろそのもの。最後に「自分の感受性くらい」からまひろが言い放ちそうな1フレーズを。「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」 茨木のり子その人もタイプ7。文学の世界を自力で切り開いたまひろ。経済的にも社会的にも「自立」が厳しい時代の制約にとらわれずに。「自律」を果たして懸命に生きました。まひろは7ではありません、念のため。

 

 

えにあひろ

 

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物議を醸す外交マナー

APEC首脳会議に出席中の石破茂首相の外交場面での振る舞いやマナーが国内外で議論を呼んでいます。ある場面ではその慎重さが評価される一方で、他方では「配慮が足りない」と批判されることも。

これらの評価の分かれ目はどこにあるのでしょうか?

一般には、こうした批判は「個人の資質」や「配慮不足」と説明されがちです。しかし、性格論の観点から見ると、別の切り口が浮かび上がります。実は、「ソーシャル本能の盲点」こそが、この議論の本質を説明できるかもしれません。

 

 

性格論の基礎と「本能」の役割

人間の性格は大きく3つの本能――自己保存ソーシャルセクシャル――に基づいています。これらは私たちの行動や価値観を無意識に方向付けるものであり、どれかが強く(優勢本能)、またどれかが「盲点」となる場合があります。

 

例えば、

  • 自己保存型:自分の健康や身近な環境での快適さを守ることが最優先。慎重さや現実的な視点が強み。サバイバー。
  • ソーシャル型:集団や社会との関係性を重視。他者への配慮や調和を保つ力がある。適応本能とも。
  • セクシャル型:主に一対一の親密な関係や情熱的な表現が得意。情熱を注ぐ対象を追い求める。生殖本能。

盲点になった本能は、無意識にその領域での感度が薄く、子供の頃からスキルが低下し(育たない)、結果的に他者や集団内での齟齬を生む可能性があります。

 

石破茂首相の「ソーシャル本能の盲点」とは?

石破首相は、どちらかといえば自己保存型が強い性格とされています。緻密な理論や細部へのこだわりが評価される一方で、大規模な集団や場の空気感を読む能力が課題とされることがあります。(恐らく彼の自民党内での不人気はそのことと関連していると思われます。)

 

国益が掛かる外交の場では、相手国の文化や儀礼への配慮が重要視されます。これがソーシャル本能の強い人(例えば故・安倍元首相)にとっては自然な対応ですが、盲点がある人にとっては無意識に見落としがちです(そもそも関心が薄い)。

石破首相のケースでは、例えば次のような場面で課題が指摘されています:

  • 相手国首脳との儀礼的な場面での過不足な反応
  • タイミングを見計らった表情や姿勢の難しさ

これらは本人の意図がどうであれ、「冷淡」や「不適切」と解釈される可能性があります。

 

批判の背後にある社会的な偏見

この問題の背景には、日本社会特有の「空気を読む文化」があるとも言えます。ソーシャル本能が強い人々が優位とされる環境では、この特性が盲点になる人々が過剰に批判される傾向があります。

特に、石破首相のように慎重でデータ重視型のリーダーシップを持つ人が評価されるべき場面と、場の空気を読む必要が高い場面のギャップが、こうした議論を生んでいると考えられます。

 

 

性格論的アプローチで見えてくる解決策

 

この問題を改善するには、個人の努力だけでなく、周囲の理解とサポートが重要です。具体的には:

  1. 本人の特性を知ること:石破首相が自身の盲点を認識し、他者の助けを借りること。
  2. チームでの補完関係を強化:外交場面でソーシャル本能が強いメンバーがフォローする体制を整える。
  3. 多様性への寛容を高める社会風土:性格の違いを許容し、それぞれの強みを活かす文化を醸成する。

 

盲点を超えたリーダーシップへ

性格には誰しも得手不得手があり、リーダーにも「盲点」が存在します。石破首相の外交マナーの問題は、彼自身の弱点であると同時に、私たち社会全体が抱える「人の性格の多様性への理解不足」を反映しているのではないでしょうか?

これを機に、性格論を活用してリーダーシップや人間関係をより深く理解することが、寛容さと多様性を活かした社会を築く第一歩になるかもしれません。

 

 

えにあひろ

 

 

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         Bunkamura ル・シネマにて

 

妻と渋谷に「ナミビアの砂漠」を観に行く。早めに着いたので、コーヒーを飲んでいると、前の回を観終わった観客達が立ち去るのが名残惜しいのかフロアーに屯している。まるで今自分達が観たものがなんだったのか?答えを探すヒントでも見つかるかのように。

 

「仏・リベラシオン紙の評価」:

「日本映画で決して見たことのない女性像(ポートレート)」という海外の批評は誇張ではない(仏・リベラシオン紙)。3年ほど前にまだ無名時代の河合優実の主演で1本撮る企画がこの映画の出発点で、山中遥子監督のオリジナル脚本だという。つまり河合優実に「当て」て描かれたモノのようなのだ。彼女の演技を通してカナというキャラクターの心の深層を炙り出している。いや、より正確を期すなら、炙り出そうと奮闘している映画というべきか。

 

カナはイジワルで・嘘つきで・暴力的:

河合優実演じるカナの視点と世界観を、私達は同時に体験させられるわけだが、20過ぎのカナの自我は「イジワルで、嘘つきで、暴力的」。行き場のない攻撃性を持て余しているようにも見える。かつとてもセンシティヴで(冒頭から死とジェンダーバイアスに敏感らしいと示唆される。あるいは気分障害の前兆?)、性と生命に関わるある種の価値観には潔癖症で頑固。自己肯定感が低く、融通の効かない気質ゆえにサバイバーとして生きざるを得ないのか。(私達はエニアグラム・タイプ8の複雑な女性像を連想した。)

 

予め社会的に去勢された男性キャラ:

カナの恋人として登場する2人の男達(ハヤシ=金子大地、ホンダ=寛一郎)は、偶々男性に生まれたがゆえの社会的な特権(既得権)を予め奪われているかのようだ。男の監督が撮った男性主演映画のヒロインか脇役の恋人のような立ち位置にいる。つまり男女の主客の構図が逆転している。その事がとても爽快に感じられる。ハヤシもホンダも「愚かしい存在」としてデフォルメされすぎているとする、男性目線の評を読んだが、私は嫌な感じはしなかった。そうそう、こういう性格の人いるよね、と感じただけ。(エニアグラムを知っている人なら、ハヤシは5寄りのタイプ6にみえるし、ホンダはタイプ2の典型。)

 

自己言及性(メタフィクション):

山中遥子は映画の話法や手法に通じたとても知的な監督だと思う。「自己言及性」を知っている(=「映画とは何か?」という問いを内包する映画のこと)。ホンダもハヤシも自身の言明を一度相対化せざるを得ないメタ言語の遣い手だ。なので自省的で優しい、つまりマッチョでないキャラなのだと思う(脱・男根化)。名前の表記からして記号的だし。

 

メタ映画:

下記追伸の「ナミビアの砂漠」定点観測動画は、この映画自体のメタファーでもある。カメラの視点が私達観客の視点でもあるのはその一つで。カナは「ナミビアの砂漠」動画を観るのが趣味らしく、その「カナの日常」を私達は覗き見している。お金を出して。安全で快適な場所から。

「映画なんか観て何になるの?」(カナの台詞)

 オーラス近くでの唐田えりか演じる隣りの住人の台詞は、唐田が巻き込まれたスキャンダルとバッシングへの自己言及とも取れるし。恐らく(出自に関わる)河合優実自身への、そしてクリエーターである監督自身への自己言及性(批評性)もある。因みに監督の山中遥子はタイプ7と診断。日本映画では珍しいかも。小津安二郎がおそらくタイプ7(私の研究による)。

 

癒着を拒むゆえに甘えられない?:

カナ「何をするか(しないかは)私が決める!」(お前が決めるな!) 争う2人の姿は見えない。カナの声だけを際立たせるシーンが秀悦で。そのもっと前のシーンだったか、ハヤシと喧嘩してカナが外へ飛び出した後、階段から転げ落ちるシーンでは不覚にも涙した。河合優実の演技が体当たりで、カナの生き方が余りに純粋すぎて。余談だが、観終わった妻いわく「昔の自分を見るようだった。」

 

自分軸だが、空回り:

カナはなにと戦っているのか?「あなたはどうなの?」「どう生きてるの?」と語りかけてくる。観る者の主体性を問う台詞やシーンはいくつもあった。

私達が惰性で生きているだけで(あるいは生きていけるという温ぬくとした根拠なき共同幻想で)、世界的な視野で見れば、世界はとっくにサバイバルで、この島国だけが例外的にお花畑だっただけなのか? 明日のウクライナは、明日のパレスチナはどこになる? カナはなにを焦っているのだろう?カナはなにと繋がっているのだろう?

 

追伸:

この映画で「ナミビアの砂漠」ライブ配信動画の存在を初めて知った。たぶん私達夫婦が「情弱」ゆえなのか? アフリカの砂漠のど真ん中に人口のオアシスを築いて、そこへ集まる野生の動物達を、世界中の人々が観察しているのだという。カナはその動画を観るのが日課のようなのだ。

河合優実さんのエニアグラム・タイプは複雑で?見当が付いてきましたが、しばらく保留にしておきましょう。稿をあらためていつか。

 

 


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1999年、NHK特集「フジコ〜あるピアニストの軌跡」

 

 

フジコ・ヘミング:奇跡の再起と世界への飛翔

 

1999年2月、NHKの特集番組放映をきっかけに、フジコ・ヘミングは一躍時の人となりました。  

デビューCD「奇蹟のカンパネラ」は大ヒットを記録し、発売3ヶ月で30万枚という異例のセールスを達成。その年の日本ゴールドディスク大賞を受賞しました。  

 

さらに10月には東京オペラシティで復活リサイタルを行い、2001年6月にはニューヨーク・カーネギーホールでの公演を実現。ついに世界デビューを果たしたのです。  

 

 

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駆け抜けた25年

 

それからの25年間、彼女は文字通り駆け抜けました。  

失われた30年を埋め合わせるかのように、常に止まることなく。  

 

死の約3年前、彼女は雑誌インタビューで赤裸々に内面を語っています。  

(出典:2021年2月9日、婦人公論.jp)  

 

 元来、自分は恥ずかしがり屋である。  

 人からどう見えるかを常に気にしている。  

 惚れっぽく、苦労したことが多かった。  

 悪い男に貢ぎ、騙された経験もあるが、見放すのは早い。  

 男に依存しない理由は、スウェーデン人の血を受け継ぎ、 孤独を愛するから。  

 

彼女にとって、独りの時間は絶対に必要でした。  

 

 

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セクシャルエネルギーと演奏への刻印

 

本能がセクシャル優位な人々には、どこかタイプ4的な芸術家気質が見られることが多い。(いわゆる自意識過剰なメンヘラ気質と言えます)  

 

セクシャルエネルギーとは、人を魅了し、惹きつける力そのものです。  

フジコ・ヘミングのようなタイプ8では、このエネルギーが圧倒的に大きい。  

 

相手を試したり、悪ぶったり、挑発したりして、相手のエネルギーを引き寄せます。  

この特徴が、彼女の演奏スタイルに決定的な影響を与えていると考えられるのです。  

 

 

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フジコ・ヘミング:タイプ8のセクシャル

 

私の研究では、フジコ・ヘミングはタイプ8(詳細はこちら)のセクシャルタイプ。その性格描写は以下の通りです。

*リソ&ハドソンによる

 

魅惑的な領域において、欲望の強さをコントロールすることが人生のテーマとなる。  

カリスマ的で感情が強烈である。  

外から見ると、内面でマグマが燻っているように映る。  

人生の浮き沈みを人間関係を通じて捉える傾向がある。  

 

 

父の不在は、彼女の人生の出発点における最初の躓きでした。  

一方で、ピアノの指導や宗教的な祈りを教えてくれた母――その厳しさは、彼女の子供時代と青春を奪ったともいえる存在だったのです。  

 

タイプ8にとって、愛着の対象は母親であり、この複雑な愛憎がその後の人間関係の基盤となります。  

 

 

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晩年の旅路と魂の遺産

 

晩年、彼女は演奏旅行を重ねながら、リストやショパンが生きた足跡を辿る旅に生きました。  

タイプ8の特徴として、自分の爪痕を愛する人々に残したい――生きた証を刻みたいという強烈な願望があります。  

 

天国に行ったらリストやショパンに会い、自分の演奏を評価してもらいたい。  

彼女は晩年の映像でこう答えています。  

「あれで良かったのか?」

「あれでいい。よくやったと褒めてくれると思いますよ。」

 

その言葉には確信が宿っていました。  

 

 

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ピアノと猫、そして慈愛の人

 

あるインタビューで、質問者に「ピアノとは何か?」と聞かれたとき、彼女はこう答えました。  

「猫達を食わせていくための道具ね。」

この言葉は彼女のユーモアと挑発的なスタイルを物語るが、同時に真実でもあります。  

 

聴力を失いながらも魂でピアノを弾き続けたフジコ・ヘミング。  

彼女は動物愛護にも尽力し、保護猫を多数引き取り、チャリティコンサートを積極的に行いました。  

その姿は、慈愛に満ちた生涯そのものでした。  

(公式サイトの訃報挨拶文より)  

 

 

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タイプ8の本質

 

タイプ8は「挑戦する人」。  

特徴としては、パワフルで仕切る力、決断力、強情さ、対決的な性格が挙げられる。  

また、過度の情動を伴い、攻撃的なエネルギーを外に向ける自己拡張性を持つ。  

 

主な動機:  

自らを頼みにし、自分の力を証明したい。  

弱さに抗い、重要な存在であり続けたい。  

周囲を支配し、状況をコントロールしたい。  

 

囚われ:  

力に頼りすぎ、すべてを押し通そうとする傾向。  

 

 

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追記:タイプ8の芸術家たち

 

私の研究では、「月光」で有名な歌手・鬼束ちひろはタイプ8のセクシャル-自己保存(ソーシャル盲点)の典型です。曲中の歌詞「どこにも居場所なんて無い」は、タイプ8が語る「居場所の欠如」の共通点を物語ります。  

 

その源は前述したように、幼児期の母親から切り離されたという感覚(拒絶体験の痛み)から来ています。 記憶が曖昧ですが、オノ・ヨーコや草間彌生の評伝に「(日本の)どこにも居場所を見つけられなかった」心象風景を語った箇所があった気がします。

 

フジコ・ヘミングも例外ではなく、母国日本への印象は愛憎入り混じっています。戦後のドイツ留学時には、同胞であるはずの日本人から差別を受けた経験も語られています。  

 

 

えにあひろ(リアルラブ)

 

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NHKスペシャル 追悼 フジコ・ヘミング

 

 

 

フジコ・ヘミング――魂のピアニスト

 

ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ。  

この長い名前が、フジコ・ヘミングさんの本名です。  

 

ベルリン生まれ。父はスウェーデン人、母は日本人。5歳で日本に移り住んだ彼女の人生は、初めから嵐に満ちていました。戦争の影響で父は母国へ強制送還され、それきり姿を見せることはありませんでした。

 

2024年4月21日未明、彼女は92歳の生涯に幕を閉じました。その最後の4カ月間――不慮の事故から始まる過酷な日々――を追ったNHKスペシャル「魂のピアニスト、逝く〜フジコ・ヘミング その壮絶な人生」(2024年5月26日放送)は、深い余韻を残しました。

 

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再びピアノに向かうも…

 

リハビリの合間、彼女は小さなオルガンのようなピアノに触れ、ある事実に気づきました。  

――聴覚が、完全に失われている。  

 

その瞬間、彼女は静かに息を吐きました。  

「ふっー!」

短いが、胸をえぐるようなその音。それは彼女特有の、自嘲とも冷笑ともつかない吐息。「フン」と似ているけれど、もっと深い響きを持つ。

 

 

「ピアノ弾きたくない」

 

職員が「本当ですか?」と問い返す。二度、三度。  

彼女はつぶやくように答えました。  

「たぶんもう弾きたくない。わかんない。」

 

その瞳――それは、魂が絶望という闇に沈み込む瞬間を映していました。人の「眼」にこそ魂が宿り、また消えていくのだと、私は初めて知った気がしました。

 

 

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「ラ・カンパネラ」と、彼女自身の再生

 

1999年、NHK特集「フジコ〜あるピアニストの軌跡」による再発見が、67歳の彼女の運命を変えました。その演奏で人々の心を貫いたのは、リストの「ラ・カンパネラ」。彼女自身もこう語っています。

 

 

「私は自分の「カンパネラ」(リスト作曲)が一番気に入っていて、他の人の弾き方 嫌いなのよ。」

 

「一つ一つに魂が入っているようなさ。ぶっ壊れそうな「カンパネラ」だっていいじゃない」(鍵盤を叩くマネ)

 

「私はぶっ壊れそうな、繊細なピアニスト、芸術家のほうが好きだもん。」

 

「あまり完全でさ 機械みたいなのは嫌い」

 

(間)「そう それがいいわよ。少しは間違っていてもかまやしない。機械じゃあるまいしさ!」

 

 

「カンパネラ」はイタリア語で「鐘」の意味。鐘の音のように、人生の節目に響く象徴。

 

彼女が弾き出す、その旋律は、精密な機械のようではなく、生命そのものの震えを宿していました。  

 

 

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二度の挫折と長い沈黙

 

しかし、彼女がそこに辿り着くまでの道のりは平坦ではありませんでした。16歳、彼女は中耳炎の悪化で右耳の聴力を失いました。そして38歳、左耳も大きなダメージを受けます。それは、バーンスタインらに見出され、ウィーンでの世界デビューを目前に控えた頃のことでした。

 

貧困と困窮の中、暖房も使えない生活が追い打ちをかけた結果でした。

 

「涙が枯れるまで泣いた」と彼女は後に語っています。それからの30年間、ピアニストとしての彼女は表舞台から消え去りました。

 

 

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孤独の中で、座り続けた彼女

 

けれども、彼女はピアノを捨てませんでした。  

孤独の中で、彼女はただ、座り続けたのです。  

 

「只管打坐(しかんたざ)」。  

 

禅の教えによれば、座禅そのものが悟りの形だといいます。「悟り」とは一瞬の出来事ではなく、一生を通じて続く行(ぎょう)そのものだと。フジコ・ヘミングにとってのピアノとは、まさにそれでした。座ることが救いであり、人生そのものだったのです。

 

彼女はこう言いました。  

「神様は私を見捨てたりはしないって、思い続けた。」

 

 

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ピアノに捧げた生涯

 

フジコ・ヘミングにとって、ピアノはただの道具ではありませんでした。人生のためにピアノがあったのではない。ピアノのために、彼女の人生がありました。  

 

愛したリストやショパン。  

敬愛する父母、そして信じた神。  

彼女はそのすべてと対話するために、ピアノの前に座り続けたのです。  

 

その姿は、人間の可能性と強さ、そして儚さを私たちに教えてくれます。

 

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後編へ続く。

 

えにあひろ(リアルラブ)

 

 

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そう。

わかりやすい対応が嫌なだけだった、のだと思う。

誰にでもわかる対応をし、誰もが求めている要求に応えるのは嫌だ。

凡庸さが死ぬほど嫌いな性格が一つだけある(エニアグラム)。

 

もう終了してしまったが、今年春のクールで俄然面白かったのがドラマ「アンメット ある脳外科医の日記」(カンテレ)。

主演の杉咲花の演技力の高さに驚かされた。

婚約者を演じた若葉竜也の演技にはもっと驚いた。

ふたりの絡みが深まるにつれ、先の回へ進むのが愉しみだった。

若葉は、アメリカ帰りの「変わり者」の脳外科医という重要な役どころだった。

 

 

それはさておき、若葉竜也さんの性格タイプは何番か。

調べていたらネットで拾った記事の見出し「沢尻エリカ」の文字に釘付けになった。

 

 令和の沢尻エリカ事件か!番宣出演の若葉竜也に苦言殺到

 「態度が悪すぎ」「朝から不快」(2024/4/18アサジョ)

 

これは徳間書店の情報サイトの過去記事。

この記事を書いたライターは多分、エニアグラムを知らないはずだが。

なかなか観察眼が鋭い。

 

私が、俳優若葉竜也の存在を認めたのはNHKのドラマ10「群青領域」(2021)。

シム・ウンギョンとの共演だった。

媚びない演技というのがピッタリくる。

見た目の印象が、この性格タイプによくあるエキセントリックな印象が皆無で。

一見、どこにでもいる「普通」の人を思わせる風貌なのだが。

演技に入ると、繊細な、虚無的な感覚がとてもリアルだし鋭さもある。

綾野剛のいやらしさや、松田龍平の艶っぽさとはまた違う個性の魅力が光る俳優さん。(このふたりとの対比の理由は後述する)

 

 

さて、なぜ沢尻エリカ騒動か?

今から思えば、騒動自体は本当に子供じみていて。

主演映画の舞台挨拶で、司会者の常套句の質問に彼女が「別に」と塩対応を繰り返したのが発端。

激しいバッシングの集中砲火を浴びて謝罪文を書かされ、その後数年間も干されてしまったというもの(2007年)。

20歳そこそこの女性に対して、芸能マスコミとTVのワイドショーが「世間」の反発を煽った結果だった。

 

望まれる場の空気を読み、同調圧力にしっかり応えないと叩かれる。

今も昔もそれほど変わっていないようだ。

紋切り型の稚拙な質問を繰り返す「プロ」のアナウンサーの方は叩かれない。

この社会は、思考停止に陥っているとしか思えない。

 

 

洋の東西や人種の違いに関わらず、ヒトには9つの異なる動機に基づく9つの性格タイプがある。

タイプ4は気分が顔に出る性格タイプ。

内なる喜怒哀楽に人一倍正直でありたい人達。

「これは自分には合わない」

合うか合わないか。

これがネガな感情表出の分水嶺だし鍵となる。

 

朝眠くて、人前で無愛想になったっていいじゃない。

生身の人間らしくて。

人前でホンネを出すことへの拒否反応のフレームを、そろそろ超えた方が良くないか。

稚拙なものは稚拙だとちゃんと言おう。

「善い子」のフリの方が人として浅薄に決まっている。

 

一体どちらが視聴者を信頼していることになるのだろう。

正直な自分を見せるのと、善い人を演じるのと。

 

 

タイプ4の定義はこうだ(リソ&ハドソン)。

個性的な人

繊細で引っ込みがちなタイプ:表現力豊か。ドラマティック。自己陶酔的。気まぐれ

創造性と直感力のお手本となる。

もしくは、むらっけや自意識に足を引っ張られる。

 

特徴は:主観性。

あらゆることを主観に置き換える。(自分のこととして受け取り共感する能力)

→ここからタイプ4独特の味わい深い演技が。

弱点(囚われ)は:妬み。(自分には、なにか根本的なものが欠けているというパッションに根ざしている)

 

そして、肝心のタイプ4固有の主な動機はというと。

自分自身、そして個性を表現したい。

美しいものを生み出したり、囲まれていたい。

特定のムードや気持ちを維持したい。

自己イメージを守るために引きたい(引きこもる)。

他のことに対応する前に、自分の気持ちのケアをしたい(優先する)。

「救ってくれる人」を惹きつけたい。

 

 

補記:

 

私の研究では、

沢尻エリカさん、松田龍平さん、綾野剛さんはタイプ4だと思われる。

本能の順番が異なる。

 

沢尻エリカさんは性的本能優先型(社会性本能が盲点)。

松田龍平さん、綾野剛さんはちょっと自信がない。

性的というほど蠱惑的には見えないが。

男性なら、たとえばジョニー・デップが4の性的優先型。

綾野剛さんは可能性があるかも。

おふたりとも社会性が一番でないのは確かな気がする。

自己保存優先型かも。

 

若葉竜也さんは優先が自己保存本能、次が性的本能の順番だと思う。

社会性盲点と推測される沢尻さん、若葉竜也さんのマスコミ対応をめぐる騒動は、実はそのことと深く関係している。

 

 

えにあひろ(リアルラブ)

 

 

赤いきつねが蓮舫さん

緑のたぬきは小池百合子さん

 

「赤いきつねと緑のたぬきの戦い」

このネーミングはネット上で使われだしたものらしい。

誰が創ったのかは今のところ不明なようだ。

 

それにしても上手だと思う。

風刺が効いてるのと、キャラの特徴をよく捉えている。

そして鋭い!

 

なぜかというと。

私の分析では、小池百合子さんと蓮舫さん、それぞれのエニアグラムタイプをぴたりと言い当てているからだ。

 

そのこころは?

タイプ7はペテン師的、タイプ3は詐欺師的。

欧米の研究者の間でそう呼ばれることがある。(*)

もちろん不健全になった場合のニックネームだ。

 

 

人種の違いに関わらず、ヒトには生まれながらにして9つの異なる動機に基づく9つの性格タイプがある。

 

私の分析では、蓮舫さん恐らくタイプ3

小池百合子さんは恐らくタイプ7だと思われる。

 

タイプ3の主な定義はこうだ。

愛称は「達成する人」(リソ&ハドソン)

 

成功志向で、実際的なタイプ:適応力がある。卓越している。駆り立てられる。イメージを意識する。

(健全から不健全までの健全度を表している)

 

主な動機は、肯定されたい。自分と他者を区別したい。関心を惹きたい。誉められたい。人を印象づけたい。

できるだけ大勢の人を、と付け足した方が良いかもしれない。

 

弱点は、虚栄心。

欺きともいう(世間だけでなく、自らをも欺く。)

要は目標志向で、中身に欠けること。

 

 

タイプ7の主な定義はこうだ。

愛称は「熱中する人」(同)

 

快楽主義的で、多忙なタイプ:自然体。多才。欲しがり。散漫になる。

 

主な動機は、自由と幸福を維持したい。価値ある体験を逃したくない。自分を興奮させ、夢中にさせておきたい。痛みを避け、騒ぐ(躁うつ気質)。

 

弱点は、どん欲さ。

体験によって「自分を満たしたい」飽くなき欲求を指す。

(エゴの絶えざる欲求不満に陥る。)

 

 

さて、読者の皆さんの見立てはどうでしょう?

都知事選も中盤を過ぎ、もうひとりの「赤いきつね」が注目されているようです。

石丸伸二氏

この方も恐らくタイプ3でしょうね。

 

 

 

*欧米では、タイプ7の女性は、利に敏いところから女狐に喩えられる。

 

えにあひろ(リアルラブ)

 

エニアグラムの教えでは、タイプ2はヘルパー(助ける人)の愛称を持つ。

私の分析では、水原一平被告はタイプ2だと思われる。

 

タイプ2は、全9タイプの中で最も親密さを求め、不健全だと中毒する。

その一方で他人に対する思いやりに満ちている。

それは紛れもなく真実だ。

 

それを自認しているのもまたこのタイプの特徴となる。

つまりプライドがある。

不健全に落ちると尊大にもなる。

 

タイプ2は他者を助けると、強い満足感を覚える。

タイプ9も他人のニーズを優先する。

だが、そのことで能動的に自分を満たしたいとは思わない。

つまり真の動機ではない。

 

どちらのタイプも自己犠牲にはまりやすい。

タイプ2はそこにプライドが介在し、タイプ9の真の動機はそこにはない。

タイプ9は自己主張をすることで起こる対立や争いを避けたい。

葛藤を嫌うからだ。

(タイプ9の愛称は「平和をもたらす人」リソ&ハドソン)

 

 

ここでもやはり問題は健全度だ。

タイプ2の名誉のために言っておく。

イネーブラー気質の不健全からくる誤用・悪用というものがある。

 

健全なタイプ2は他者をサポートする能力が高く、ポジティブな支援につなげられる。

大切な誰かやボス(権威)が成功し、幸福を感じるために必要なサポートを提供できると純粋な喜びを感じる。

 

イネーブラー気質のポジティブな一面、有能な秘書気質、執事気質とも言える。

 

その反面、不健全に落ちると、過度な介入で相手を困らせる。

自己犠牲にハマって不幸な結果を招きかねない。

(*追記)

 

水原一平被告の場合は、信頼関係を悪用し大谷翔平から搾取した。

正邪のコントロールを喪失し、自他の境界の欠如が観られる。

違法賭博のマフィアから追い詰められて、大谷の口座が自分の口座のように感じてしまったのか。

 

或いは相当以前から、自己犠牲が過ぎて疲弊し、不満が溜まっていた故なのか。

 

いずれにせよ、野球の天才・大谷の唯一の泣き所、英語ができない弱点を突いて、大谷を依存させ、自立を妨げた。

妨げたばかりか、人の善さに付け込み、利用し、信頼を裏切り、犯罪に手を染める結果になった。

 

大谷翔平もまた性善説の人柄かも知れない。

それは次回以降でまた。

(この項終わり)

 

 

 

えにあひろ(リアルラブ)

 

 

 

*追記

以下の記述は、人にレッテルを貼ったり、ジャッジしたいためではない。

読者が、ご自分の、あるいは、このタイプの人達を理解する上での参考になると思われるので。

 

私の分析では、

タレントの磯野貴理子さん、松居一代さん、さいきんだと福原愛さんの事例(結婚と離婚)を思い浮かべてしまう。

3人ともタイプ2だと思われる。

 

他にすぐに思い浮かぶのは、宮沢りえさん、華原朋美さん、小林麻耶さん。この方達も恐らくタイプ2。

大体のキャラクター像が、イメージが掴めただろうか。

 

水原一平容疑者は、単なる人の善い性格でも、人に忠実な性格でもない。

天性の「人たらし」で、社交的で、人を魅了する性格であろうことは疑いがない。

前述したように多くのジャーナリストや関係者の証言がある。

 

その論拠を私なりに説明する。

彼の中の「イネーブラー」気質に注目したい。

 

*enabler :直訳は可能にする(人・こと)。転じて助ける人、救済者、後援者

 

 

「人たらし」には2つの意味がある。

1つは、有能さとフレンドリーシップで多くの人から好かれる人物。

 

水原一平を知る人々は、彼が「人から好かれる好人物だ」と口を揃える。

 

「すぐに人と仲良くなれて、人のハートを掴み、人から人への輪を広げるのが得意な人。」

 

「相手が必要とすることを瞬時に見抜き、相手の気もちを考えて行動できる。」

(岡島秀樹の証言)

 

「一平は持ち前の気遣いと、器用さで、なんでもこなしてしまう。」

(米スポーツ専門誌の記者の証言)

 

 

「言葉にできない関係性が、(大谷と水原一平)2人の間で築かれてきたことがよくわかる。」

そう評価する記者が多い。

 

2024年3月20日。

「水原一平 ドジャースを電撃解雇」

あの忌まわしいニュースの一報が報道される直前までは。

 

 

「人たらし」のもう一つの意味は、(人をよい気分にさせて)人を騙す人物だ。

イネーブラー気質こそ、「人たらし」が最も得意とする武器なのだ。

 

心理学でいうイネーブラーとは、相手に依存させて、その相手に依存する人達のこと。

その関係性自体に依存するわけだ。

 

水原一平=性善説が、海千山千の記者達の目を曇らせたのか。

その人物の裏に見え隠れしたはずの性悪説=イネーブラー気質を誰も見抜けなかった。

 

エニアグラムの教えでは、タイプ2は「ヘルパー(助ける人)」の愛称を持つ。

(この項つづく)

 

 

えにあひろ(リアルラブ)

 

 

 

追伸

日本の歴史上、最も有名な「人たらし」は豊臣秀吉と、昭和の今太閤・田中角栄だろう。

秀吉はタイプ3-2なのか、タイプ2-3なのか自信がない。

いつの日か真剣に考察してみようと思う。

 

角栄はタイプ8で揺るぎない。

つまり「人たらし」にも2通りあるということ。

ただし動機が異なる。

 

動機が異なれば、得意とするスキルも異なるだろう。

今回はタイプ2的「人たらし」を、イネーブラー的観点から考察して観たことになる。

 

因みに2023年のNHK大河「どうする家康」で秀吉を演じたのはムロツヨシさん。

彼は私の分析ではタイプ2-3だと思われる。

本物の秀吉がどうだったのか。

参考にはなると思うが。

本能の問題もある。

 

タイプ2のストレスの方向(分裂の方向)がタイプ8。

タイプ8の統合の方向がタイプ2。

その辺からも異なったアプローチの仕方があるかと。

角栄的人たらしと、秀吉的人たらしと。

(秀吉タイプ2説と決まったわけではない)