第49章 平成18年 3本の高速バス新路線でさいたま・つくば・ 土浦・水戸をさまよう | ごんたのつれづれ旅日記

ごんたのつれづれ旅日記

このブログへようこそお出で下さいました。
バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

【主な乗り物:高速バス「さいたま・つくば」号、「TMライナー」、「ベイライナー水戸・横浜号」、京浜東北線快速電車】

 

 

開業後、たった3ヶ月で消えた高速バス路線がある。

多客期やイベントでの臨時運行を除く定期路線では、おそらく、我が国の高速バス史上における最短の運行期間ではないかと推察する。

余程乗らなかったのだな、と思うけれど、起終点の都市を見ると、この区間はそんなに不人気だろうか、と意外に感じないでもない。

 

その愛称は「さいたま・つくば」号、さいたま新都心駅・大宮駅とつくばセンターを結んでいたJRバス関東の高速バスである。

開業が平成17年12月22日で、平成18年3月23日に廃止された。

 

平成17年と言えば、8月に秋葉原とつくばを結ぶ首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが開通している。

つくば研究学園都市に向かう高速バスでは、東京駅を発着する「つくば」号が知られているけれども、つくばエクスプレスの完成により、それまでは1日80往復を超える頻回の運行本数を誇っていた「つくば」号の利用客数が7割も減少した。

そのため、つくばエクスプレスと直接競合しない路線を開拓する一環として4ヶ月後に登場したのが、「さいたま・つくば」号であったと言われている。

 


確かに、さいたまからつくばへ行こうとしても、鉄道の経路が直ぐには思い浮かばない。

ネットで探索してみると、

 

・大宮-(京浜東北線)-南浦和-(武蔵野線)-南流山-(つくばエクスプレス)-つくば

・大宮-(東武野田線)-流山おおたかの森-(つくばエクスプレス)-つくば

・大宮-(東北本線・湘南新宿ライン・京浜東北線)-赤羽-(京浜東北線)-(地下鉄千代田線)-北千住-(つくばエクスプレス)-つくば

・大宮-(東北本線・京浜東北線)-上野-(常磐線)-北千住-(つくばエクスプレス)-つくば

 

と、どの選択肢も乗り換えが必要で、所要時間は最短で1時間20分程度、乗り換えが1回で済む2つ目の方法ならば1時間半を要するが、何れも都市圏の路線であるので運転間隔が短く、時刻を気にする必要性は殆どない。

 

高速バスは1日8往復と鉄道に比べれば本数は少なくなるけれども、もちろん乗り換えは不要で、所要1時間20分であった。

 

 

東京駅を発着する「つくば」号は、昭和62年の開業当初こそ、初めての「常磐高速バス」という物珍しさに惹かれ、気晴らしにドライブに出掛けるような感覚で何回も乗りに行ったものだった。

つくばエクスプレスが開業する前は、都心とつくば研究学園都市を直結する唯一の交通機関であったために、混雑が激しく、続いて開業した他方面の「常磐高速バス」に乗れば常磐道の車窓が楽しめることから、幾分食傷気味になり、平成10年代にはすっかり御無沙汰していた。

 

「さいたま・つくば」号の登場を知り、おお、つくばに行く新路線が出来たのか、ならば久しぶりに訪ねてみるか、と嬉しくなった。

いそいそと出掛けたのは、平成18年2月の日曜日のことである。

 
 

当時、品川区大井町に住んでいた僕にとって、大宮駅まで足を運ぶのはひと苦労である。

京浜東北線ならば乗り換えなく直通してくれるけれども、52分と冗長な所要時間になる。

 

ただ、京浜東北線は、昭和63年から日中の10時30分~15時30分の間は、田町駅と田端駅の間で快速運転を実施するようになっていた。

後に浜松町や神田にも停車するようになったものの、快速運転開始当初は、田町を出ると、東京、秋葉原、上野、田端だけに停車するスピード感は、同線沿線に住む者としては胸のすくような爽快感を感じて、JR東日本も乙なことをするではないか、と小躍りしたものだった。

京浜東北線の電車を利用する時に、今の時間帯ならば快速運転中だからツイてるな、この時間は各駅停車か、残念、などと常に気にするようになった。

 

ただし、これだけ駅を飛ばしても、僕が最も頻繁に利用した大井町駅と東京駅の間の短縮時間は僅か2分程度に過ぎず、ホームの支柱に貼られた所要時間表を見ながら、3駅も通過してたったそれだけなのか、と意外に感じたことも昨日のようである。

 

 

平成13年に運転を開始したばかりの湘南新宿ラインや、平成14年に大崎まで延伸された埼京線と直通運転している東京臨海高速鉄道を利用する手もあるが、この方法は、東京臨海高速鉄道の運賃とJRの運賃が加算されるために割高になり、京浜東北線と山手線を品川で乗り換えれば220円で済む大井町-新宿間が400円も掛かるのか、と驚愕した記憶がある。

 

京浜東北線の快速運転を全区間乗り通すなど、なかなか出来る経験ではないから、この機会に大井町から乗り通したのかもしれない。

 

 

さて、大宮についてばかり述べて来たけれども、目指す「さいたま・つくば」ライナーの起終点は、京浜東北線大宮駅の1つ手前のさいたま新都心駅であり、僕が乗車したのも同駅である。

さいたま新都心駅に降り立つのは、2度目になる。

首都を補完し地域の中核となるべき「業務核都市」に、埼玉県浦和市と大宮市が指定され、昭和59年に営業を終了した国鉄大宮操車場の跡地に、両市と与野市に跨る「さいたま新都心」が政府主導で開発され、平成12年5月に街開きが行われたのである。

その年の7月に羽田空港からのリムジンバスが開業し、その乗車中に、僕はさいたま新都心駅に立ち寄った。

 

さいたま新都心駅は、それに先立つ同年4月に開業し、埼玉県内有数のビジネス拠点となった地区の玄関として機能している。

構内のレールは多いものの、京浜東北線と、上野発着の東北本線普通列車用の2本の島式ホームと4本の線路が配置された構造は案外こぢんまりとしていて、湘南新宿ライン及び上野発着の東北本線快速列車「ラビット」と高崎線快速「アーバン」、通勤快速は全て通過するという控えめな運転形態である。

ホームは設けられていないものの、貨物線の大宮操車場に隣接しているため、この日も真っ赤な電気機関車に牽かれた貨物列車が待機していた。

ただし橋上にコンコースや改札を有する駅舎の外観は、前衛彫刻か、と度肝を抜かれる程に壮麗である。

 

 

この駅のバス乗り場は、西口への跨線橋と繋がる建物の1階に設けられている。

太い柱が何本も列を成し、階上に何があるのか定かではないけれど、冬晴れの陽光が眼に眩しい日であったので、乗り場の暗さが一層際立っていた。

 

12時10分発のつくばセンター行き「さいたま・つくば」号は定刻に乗り場を離れた。

 

さいたま新都心駅から乗り込んだのは僕1人で、いささか面映ゆい心持ちでありながら、景色が存分に眺められる最前列左側の席を占めることが出来た。

混雑が激しかった東京発の「つくば」号では、1度も体験できなかった席であるから、運転手の視線が多少気になるものの、やっぱり嬉しくなる。

この席で、運転手との会話を楽しんだ経験もあったから、今日はどのような人なのか、と様子を窺う。

運転手は、真っ直ぐ前方に眼を向けたまま実直にハンドルを握り、出発間際に、

 

「発車します」

 

と、短くありきたりの言葉を発しただけであった。

 

 

すぐ前を、専用塗装をまとった成田空港行き「ONライナー」が先行している。

 

昭和53年の開港当初は東京都内を結ぶリムジンバスばかりだった成田空港に、平成元年に登場した大宮発着の「ONライナー」は好評を博し、関東各地へのリムジンバスが次々と開業するきっかけを作ったパイオニアである。

当時の成田空港は検問があり、路線バスの車内にも警備員が乗り込むような厳戒態勢を敷いていたことから、僕のような、航空機を利用せずバスだけに乗りたい、という人間には大変に敷居が高く、「ONライナー」は現在に到るまで利用したことがない。

 

 

少しばかり羨望の眼差しで、前を進む「ONライナー」の後部を眺めているうちに、「さいたま・つくば」号は線路沿いを北上して、隣り駅の大宮駅西口に到着した。

大宮駅での乗り場は「ONライナー」と共通で、停留所に十数人の乗客が列を作って待っていたが、殆どが「ONライナー」の乗降口に足を向け、「さいたま・つくば」号の利用は2人に過ぎなかった。

そうか、大宮では、つくば研究学園都市よりも海外に行く人の方が多いのか、と独り合点かもしれないけれども感心する。

 

「つくば行きです。御利用のお客様はいらっしゃいませんか」

 

と、マイクで案内していた運転手は、これ以上の利用者がいないと見て取ったのか、乗車する客が多く手間取っている「ONライナー」を待ち切れなくなったのか、しびれを切らしたように扉を閉めると、大きくハンドルを回して、「ONライナー」より先にバスを発車させた。

 

 

曲がりくねった街路で少々の渋滞に巻き込まれたものの、大きく弧を描く与野ランプから高架の首都高速道路埼玉大宮線に駆け上がった「さいたま・つくば」号は、一気に速度を上げた。

 

首都高速埼玉大宮線が平成10年に開通したばかりの頃は、それまで千葉や神奈川方面だけに伸びていた首都高速が、初めて埼玉への門戸を開いたことが嬉しくて、当時バイクに乗っていた僕は、開通当初に何度か利用したものだった。

 

 

「さいたま・つくば」号は美女木JCTの手前で減速して、首都高速埼玉大宮線と外環自動車道を繋ぐ、信号機のある接続路に差し掛かった。

 

「さいたま・つくば」号は、さいたま市から首都高速埼玉大宮線、外環道、常磐自動車道とU字を描くようにつくば市へと向かう。

つくばエクスプレス開通による東京駅発着「つくば」号の著しい乗客減少に危機感を抱いたJRバス関東が、僅か4ヶ月で「さいたま・つくば」号の開業に漕ぎ着けられたのは、大宮から首都高速と外環道の路線免許を「ONライナー」で、常磐道の免許を「つくば」号で、それぞれ取得していたからと言われている。

 

僕は、この旅の少し前に、前橋・高崎と池袋を結ぶ「関越高速バス」前橋線に乗車して、関越自動車道と接続する大泉JCTから美女木JCTまでの外環道を利用していた。

 

 

「さいたま・つくば」号で、当時大泉-三郷間の部分開通だった外環道全線を、高速バスで体験することになるので、心が躍るけれども、外環道は人口密集地帯を貫いているため、ほぼ全区間が背の高い防音壁に囲まれている。

所々に透明な防音壁もあるのだが、残りの区間では、なるほど、これが外環道か、と道路ばかりを見つめながら頷いているより仕方がない。

 

与野ランプから美女木JCTまではおよそ9km、美女木JCTから三郷JCTまでは22km、そして三郷JCTから谷田部ICまでは36kmと、「さいたま・つくば」号の高速道路の走行距離は70km近くに及ぶ。

この頃の外環道は、首都圏では珍しく滅多に渋滞も起きず、走りやすい道路だった。

首都高速都心環状線宝町ランプから谷田部ICまでを走る「つくば」号の高速区間53kmよりも長く、初めてのハイウェイで存分に高速バスの乗り心地を堪能できるのは、やはり嬉しいことだった。

 

谷田部ICを降りて、整然と並木が生え揃う道路を、下広岡、並木三丁目、並木大橋、並木二丁目、並木一丁目、千現一丁目、竹園二丁目とつくば市内の停留所を通過しながら、終点のつくばセンターに到着したのは、13時20分を少しばかり過ぎていた。

 

 

久方ぶりにつくばに行くぞ、と意気込んで来たものの、あくまで目的は高速バスの新路線であるから、特につくばに思い入れがある訳ではなく、着いてしまえば暇を持て余す。

 

次に乗車するのは、つくばセンター発水戸駅行きの急行「TMライナー」である。

理由は自分でもよく分からないのであるが、豊かな地方色や普段着の乗り物の雰囲気に惹かれるのであろうか、僕は、同一県内を結ぶローカルな高速バスが無性に気になる質で、「TMライナー」にも平成10年3月に登場した時から注目していた。

 

 

開業当初はつくばと水戸を結ぶだけの単純な路線で、1日7往復が運行されていたが、平成11年に、つくばから土浦駅を経由して水戸に向かう経路に変更され、平成15年には1日2往復に減便されてしまったので、利用者数が思わしくないのだな、と推察していた。

早く乗りに行かねば廃止されてしまうぞ、と思ったが、つくばや水戸よりも色々と行きたい所が多く、なかなか機会を編み出せなかった。

 

ところが、つくばエクスプレスの開通に合わせて、平成17年に一気に9往復に増便されたので、おやおや、と愁眉を開いたのである。

 

 

僕が乗車したのはつくばセンターを15時10分に発車する便である。

 

羽田空港行きのリムジンバスが、ネクタイ姿の男性客ばかりを十数人乗せて同じ乗り場から発車するのと入れ替わりに、姿を現した「TMライナー」には、10人ほどの客が乗り込んだ。

我が国随一の研究学園都市と県都を結ぶ唯一の交通機関は、どのような人々が利用するのだろうか、都心を行き来する「つくば」号のような背広姿の用務客ばかりなのであろうか、と興味津々であったが、休日だったこともあり、「TMライナー」の車内は普段着の地元客ばかりで、他県の県内高速バスと何ら変わりはない。

 

 

この路線の新鮮さは、土浦駅を経由することである。

初めて「つくば」号でつくばセンターを訪れた時には、路線バスで土浦駅に抜けてから常磐線に乗り換えて東京に帰ったのだが、ほぼ同じ道路を使うのだろうな、と思いながらも、20年近くも前のことであるから、はっきりと車窓を覚えているわけではない。


つくばセンター周辺の人工的な街並みを抜ければ、田園の中に緩やかな孤を描く1本道の県道24号線を、「TMライナー」は東へ進む。

何も植えられていない湿った田畑は、一面に黒々とした地肌を露出している。

この土が、春になれば作物を育てる豊穣さを秘めていることが嘘のような、素寒貧とした光景が続く。

谷田部ICからつくばセンターへ向かう整然とした街並みと対照的な、鄙びた優しい車窓は、如何にもローカル路線の味わいである。

10kmほどを走り、桜川を渡っていきなり住宅が増えたな、と思えば、土浦市街だった。

 

土浦駅と水戸駅は常磐線1本で結ばれていて、特急列車も停車するから、大して利用者はいないのだろうな、と予想はしていたものの、わざわざ寄り道をしたにも関わらず、土浦駅東口から乗る乗客は1人もいなかった。

以前につくばセンターから一般路線バスに乗車した時は、駅ビルが建つ西口に降りた記憶があるのだが、東口は跨線橋が口を開けているだけの簡素な佇まいであるから、ますます侘しさが募る。

 

 

国道6号線を北上して土浦一高、つくば国際大学の各停留所を経由した「TMライナー」は、土浦北ICから常磐道に入れば、昭和63年に東京駅と水戸駅を結ぶ高速バス「みと」号に初めて乗車した時以来の馴染みの区間である。

「みと」号では、谷田部ICから水戸ICまで40分ほど、終点の水戸駅南口までは更に30分が加わったと記憶している。

谷田部ICから水戸ICまでの高速道路の区間も、また幾つもの停留所に停まっていく水戸市内の区間も冗長に感じられたものだったが、今回のような途中からの利用では、むしろ呆気なく、物足りなく感じてしまうのではないかと思っていた。

 

僕は、池袋と新潟を結ぶ「関越高速バス」の、谷川岳連峰を越えて魚沼平野に抜ける車窓の変化が好きなのだが、東京寄りの関東平野の区間は退屈だった。

ところが、前橋・高崎と新潟を結ぶ高速バスに乗車した時は、関東平野の区間が短すぎて、拍子抜けした記憶がある。

冗長に感じられても、その先の景色が変化に富んでいればいるほど、手前の平板な区間が重要な旅の序曲になっていることを思い知らされた。

 

 

「TMライナー」でも似たような感想を抱くのかも知れない、と思いつつも、窓外を過ぎていく山河の佇まいは、どこまでも眼に優しい。

東京に留まっているより遥かに心潤うひとときではないか、と自らを慰めながらぼんやりと過ごしていると、バスが不意に減速を始めた。

もう水戸ICなのか、と身を乗り出すと、「TMライナー」は手前の友部JCTで流出路に逸れてしまい、平成12年に友部JCTと水戸南ICの間が開通したばかりの北関東自動車道に針路を変えたのである。

僅か10km程度とは言え、新しい高速道路を走るのは、スキーで全く踏み跡のない新雪を滑っているような清涼感がある。

 

このルートは、開業後に新設された「みと」号の県庁系統も使っていて、茨城町東ICを降り、県自動車学校、米沢中央、県庁、昭和自動車学校、みなみ団地入口、千波中学校入口と停車していく経路は、水戸IC経由よりも短く感じられた。

用務客の需要を見込んでいるのだろう、何処の県内高速バスも県都側では県庁に停車することが定番で、「TMライナー」もきちんと則っていることは、我が意を得た気分である。

 

 

定刻16時50分に終点の水戸駅北口に到着すれば、次に乗るのは、19時10分発の横浜行き高速バス「ベイライナー水戸・横浜」号である。

この旅の直前である平成18年1月に開業したばかりの新路線で、今回の旅は未乗の高速バスを3本も体験できるので、ささやかだけれども収穫は大きいな、と1人ほくそ笑んだ。

 

つくばから水戸へ来た乗客が横浜行きの高速バスに乗り継ぐことなど、まずあり得ないことだから、やむを得ないことと思うけれど、この便の1つ前は「TMライナー」号が着く10分前の16時40分に発車したばかりである。

1日9往復で開業した割には、2時間半も運行間隔があいていて、まるで乗り遅れたかのような情けない心持ちにさせられる。

 

 

水戸駅の高速バス乗り場は、現在こそ、南口に集約されているけれども、水戸における最初の高速バスだった「みと」号は、昭和63年の開業当初から、しばらく北口を発着していた。

駅ビルの軒先に横付けされる乗り場は便利であったけれども、何となく手狭な印象があり、余裕のある広さのロータリーを持つ南口バスターミナルが整備されたのは、平成14年に「みと」号の一部の便が南口を経由するようになった前後ではないかと思われる。

 

後の話になるが、平成27年に水戸と仙台を結ぶ高速バスを利用した際に、水戸駅の北口と南口の両方を経由することを知って、仰天したものだった。

15分の時間を費やして同じ駅に2度も寄る意味が理解できなかったのだが、この時は東京からの特急列車の到着時間がぎりぎりで、北口を発車する時刻には間に合わず、南口で滑り込むことが出来たのだから、文句は言えない。

 

 

 東海道線三島駅のように、北口と南口を繋ぐ連絡通路がなく、路線バスや高速バスが双方を経由する例もない訳ではないけれど、橋上駅となっている水戸駅は、北口と南口を自由に行き来できる。

ただし、1番線から8番線まで4本のホームを持ち、更に貨物列車用の8本の側線がある構内を横断するのは距離があり、「みと」号の一部の系統が今でも北口と南口に停車しているのだから、バリアフリーの観点からも、北口にはきちんとした需要があるのだろう。

 

 

2時間近くの待ち時間をどのように過ごしたのかは覚えていないけれど、「ベイライナー横浜・水戸」号の乗り場は南口で、足を踏み入れるのは初めてだったから、乗り場を探すだけでかなりの時間を費やした覚えがある。


僕がバス旅に誘われるのは、時刻表に掲載された新しい高速バス路線を目にしたことがきっかけである場合が多いが、乗り場に関して入念に下調べする習慣を持ち合わせていないので、現地で迷うことが少なくない。

駅から離れたバスターミナルや路上の停留所を使う場合は、地図などで確認するのだが、鉄道の駅の場合は、それだけで安心してしまって細かく調べはしない。

それでも、乗り遅れた経験がないので、何とかなるだろう、と楽観的に考えて出掛けてきてしまうことを繰り返している。

人生の全てについて当てはまる杜撰さだと痛感するのだが、人の性格とは心底痛い目に合わないと変わらないのだと思う。

 

水戸駅と言えば、紀行作家宮脇俊三氏の「最長片道切符の旅」の印象深い一節を思い出す。

 

『水戸駅は早起きだ。

午前4時すこし前から電気機関車の警笛や発車合図のブザーが、駅前ビジネスホテルの窓ガラスの中まで聞こえてくる。

上野に朝早く着こうとする寝台列車が次々に着発しているのである。

5時を過ぎると、今度は電車が頻繁に発車していく。

7時半から9時にかけて上野へ続々と到着する通勤電車群である。

水戸駅は、上野までの所要時間分だけ早起きなのだ』

 

寝台特急が健在だった、古き良き時代が眼に浮かぶ。

それだけでなく、東京在住の人間が近郊の水戸で1泊するという行為が、読んでいて無性に羨ましく感じた記憶がある。

 

 

今回の僕の水戸駅からの出発は、反対に、冬の短い日が暮れた後だった。

 

すっかり暗くなった水戸駅南口バス乗り場の一角に、「ベイライナー水戸・横浜」号を担当する京浜急行バスが待機している。

何もすることがないから、バスと一緒に乗り場でぼんやり待っていると、東京行きの「みと」号が、多くの利用客を乗せて発車していく。

「みと」号で早く自宅に帰りたいな、と正常な考えも浮かんで来たけれども、新路線に乗る楽しみを上回る誘惑ではない。

やがて運転手が席につくのが見え、ヘッドライトが灯されると、「ベイライナー水戸・横浜」号はゆっくりと乗り場に近づいて来た。

前方の7列・28席はヘッドレストに黄色のカバーが掛かっている予約席になっており、予約していない僕は8列目以降の席に腰を落ち着けた。



この路線も「TMライナー」と同じく県庁前を通って茨城町西ICから北関東道・常磐道を走る。

 

窓外は漆黒の闇に塗り潰され、水銀灯の明かりだけが断続的に車内を照らし出す。

乗っているのは数人に過ぎず、予約席に座っている人影は見えない。

東京行き「みと」号が予約不要の自由席であるため、飛び乗りで利用できると考えている客が多いのかもしれない。

低いエンジン音を除けば、車内は静寂が支配している。

 
 

茫然と過ごす車中では時間の感覚が狂ってしまうのか、あっという間に常磐道を走り切って三郷JCTを過ぎ、首都高速三郷線の堀切JCTで、「ベイライナー水戸・横浜」号はそのまま中川の堤の高架となっている首都高速中央環状線に進む。

車窓右側の中川越しに見える都心の夜景が、眼に眩しい。

 

葛西JCTで首都高速湾岸線西行きに針路を変え、台場、東京港トンネル、鶴見つばさ橋、そしてベイブリッジと、「ベイライナー」の愛称に違わず、6号向島線で東京駅に向かう「みと」号に比べても、煌びやかな都市景観がたっぷりと楽しめた。

ランドマークタワーをはじめとするみなとみらいの眺望を見遣りながら、ベイブリッジを渡った「ベイライナー水戸・横浜」号は、みなとみらいランプで首都高速を出て、横浜駅東口のYCATバスターミナルに滑り込んだ。

 

 

折しも、21時30分発の弘前行き夜行高速バス「ノクターン」号が乗車扱いをしている真っ最中であったから、こちらは定刻21時40分よりも早着したのだろう。

 

近距離でありながら充実したバス旅だったが、北国へ向かう夜行高速バスに乗り込む人々を眺めていると、湧き上がって来る旅心を抑えるのが難しかった。

 

 

「さいたま・つくば」号が短命であったことは冒頭で触れたが、年2回、7月と12月前後に発行される交通新聞社の「高速バス時刻表」には、1度も掲載されることはなかった。

平成18年10月に、関東鉄道と茨城交通が土浦駅からつくばを経由して大宮駅を結ぶ高速バスを開業し、同年の冬・春号と平成19年夏・秋号の時刻表に掲載されたが、こちらも1年程度で廃止となったらしく、平成19年冬・春号からは姿を消している。

 

 

つくばエクスプレスの開通に合わせて増便された「TMライナー」号は、翌年の平成18年に再び4往復に減便、更に平成19年には2往復、平成28年には土休日運休という寥々たる有様となったが、令和元年には平日8往復、土休日4往復に増便され、令和2年には平日10往復まで増便と、波乱万丈の歩みを経て、現在も走り続けている。


「ベイライナー水戸・横浜」号は、平成19年に1日6往復に減便となった上で、運行開始後2年を待たずして廃止された。

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

↑よろしければclickをお願いします<(_ _)>