亡くなった息子が世話になっていたB施設。ショートステイでの様子を撮った写真をまとめた、1冊の小さなアルバムがある。

ずっと担当してくれていた主任さんが弔問時に、「いつか持ってきます。よろしいですか?」と言ってくれていたものだ。

受け取った当時は辛くて、さっと見てすぐにしまいこんでしまったけれど、10年もたった今はもう大丈夫。

そのアルバムを、2階の収納の掃除をしていてふと手に取ったら、懐かしさで涙が出てきた。


9000枚以上あった他の紙焼き写真は、整理してからデータ化したけれど、この1冊は薄いし時々サッと見るのにいいと思ってそのままにしてあった。

 

今回のようにすぐ見たいと思ったとき、そのまま置いているものがあって良かったと思える。

 

 

 

 


めったに笑わなかった息子がスタッフさん達に見せている笑顔、距離を取りながらずんずん散歩している後ろ姿、好きなものを見てじっとしているものもあれば、視線を外しながらも懸命に苦手なことに挑戦しているものある。 

お世話にはなったが、B施設での思い出はいいことばかりじゃなかった。迷惑もさんざんおかけした。

 

でもそのアルバムを見ていると、息子にとってはこんなに良い時間も持たせてもらえたのだと思える。あらためて思える。

 
そのまま私は昼寝した。昨夜あまり眠れなくて、睡眠時間を取り返しておきたかったからだ。

そしたら息子が2階のベッドで寝ている夢を見た。あれはまだ、中学部ぐらいだ。

「バスに間に合わないから」と私が起こしにいくと、頭までかぶっていた布団をめくり、笑顔を見せた。滅多に笑わない子だけに不思議だったけど、私はとても嬉しかった。
 

リアルな夢だった。良い顔だった。

家じゅうを片付けてきて良かったと思うのはこういう瞬間だ。

 

 

 

いらないものと、いるものを、しっかり分けられた。その過程で、本当に大切にすべきことが何か自分で判断できるようになった。

物を減らすとか、使いやすく収納するとか、そういうことももちろん大事だけれど、片付けることによって何を得られるかを知っておくのも大事だと思う。

そろそろ、エッセオンラインのコラムの締め切りだ。私らしく書いて、何かひとつでもヒントにしてもらえる1本にしたい。

 

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