「あるがままをさがして。」

「あるがままをさがして。」

日々感じたことを書くブログ。

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コールドプレイの音楽と詞の世界観が好きです。


「A Sky Full Of Stars」

Cause you're a sky, cause you're a sky full of stars
I'm gonna give you my heart
Cause you're a sky, cause you're a sky full of stars
Cause you light up the path


君は空だから、君は満天の空だから
僕の心を君に捧げるよ
君は空だから、君は満天の空だから
君は道を照らしてくれるから


I don't care, go on and tear me apart
I don't care if you do
Cause in a sky, cause in a sky full of stars
I think I saw you


構わないで、そのまま僕を引き裂いてくれ
君なら構わないよ
空は、空は満天の星空だから
君を見た気がした


Cause you're a sky, cause you're a sky full of stars
I want to die in your arms, arms
Cause you get lighter the more it gets dark
I'm going to give you my heart


君は空だから、君は満天の空だから
あなたの腕の中で死にたい
暗闇が濃くなれば君はもっと輝くから
僕の心を君に捧げるよ


And I don't care, go on and tear me apart
And I don't care if you do
Cause in a sky, cause in a sky full of stars
I think I see you
I think I see you


構わないよ、そのまま僕を引き裂いてくれ
君だったら構わないよ
空は、空は満天の星空だから
君をみてる
君をみてる


Because you're a sky, you're a sky full of stars
Such a Heavenly view
You're such a Heavenly view


君は空だから、君は満天の星空だから
まるで天国みたいだよ
君はまるで天国みたいだよ


(訳詞はこちらから拝借させていただきました)
http://kyatamusic.seesaa.net/article/396969077.html



2001年、もう14年も前のことなんだなあ。
横浜スタジアムで観た、ミスチルのライブ。

その時に、いちばん心に響いたのがこの曲でした。

ハレルヤを口ずさんでると、なんか泣けてくる。
そしてセットの花が開いて、「花」へと続いていく。

あの時も、今も、やっぱり観ると涙が出てしまう。

心から笑えなくても、大丈夫。
心の奥にある感性は消えない。


「Hallelujah」

どんなに君を想っているか 分かってくれていない
どうやって君を笑わそうか 悩んで暮らしてるDAYS
君に逢う前はALONE きっと独りでした
霧が晴れるように 路を示してくれるよ
DON'T ASK ME この恋の行方は 神様すら知らない
DON'T LEAVE ME 捕らえ様のない不安が 影を落とす日も
信じればきっと この願は叶いますか?
奏でるメロディーは 明日に放つハレルヤ
ある時は僕の存在が 君の無限大の可能性を奪うだろう
例えば理想的な もっと官能的な 恋を見送ったりして
だけどこれだけはずっと承知していてくれ 僕は君を不幸にはしない
生きているその理由を互いに見い出すまで 迷って悩んでつかもう
いつの日か年老いていっても この視力が衰えていっても
そう 君だけは見える
もしかして地球が止まっても 人類が滅亡に向かっても
そう この想いは続く
僕は世の中を儚気に歌うだけのちっちゃな男じゃなく
太陽が一日中雲に覆われてたって 代わって君に光を射す
優秀に暮らしていこうとするよりも 君らしい不完全さを愛したい
マイナスからプラスへ 座標軸を渡って 無限の希望を
愛を 夢を 奪いに行こう 捕らえに行こう


「花」

ため息色した 通い慣れた道
人混みの中へ 吸い込まれてく
消えてった小さな夢をなんとなくね 数えて
同年代の友人達が 家族を築いてく
人生観は様々 そう誰もが知ってる
悲しみをまた優しさに変えながら 生きてく
負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう
ふと自分に 迷うときは 風を集めて空に放つよ今
恋愛観や感情論で 愛は語れない
この想いが消えぬように そっと祈るだけ
甘えぬように 寄り添うように 孤独を分け合うように
等身大の自分だって きっと愛せるから
最大限の夢描くよ たとえ無謀だと他人が笑ってもいいや
やがてすべてが散り行く運命であっても
わかってるんだよ 多少リスクを背負っても
手にしたい 愛・愛
負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう
ふと自分に 迷うときは 風を集めて空に放つよ
ラララ......
心の中に永遠なる花を咲かそう



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「妖怪あまえたいぞん」

「甘えたいけど甘えられなかった」子供の自分が
作り出したゴースト。

自分をダメにして、依存することで「甘えたい」
欲求を満たそうとする。

多くの場合、求める相手は「母」である。

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僕は今、無職で実家に引きこもっている状態です。

親と会話することもなく、現実と向き合うことから

自分と向き合うことからも逃げている状態でした。


それでもカウンセリングに参加したり、自分の

過去に入っていくことをしていくうちに、何か

いろいろとわかってきたことがありました。


「甘えたくても甘えられなかった」子供の僕がいる。

以前のブログに「スキンシップが欲しいマザコン」と

自分のことを書いていましたが、それを一言で言えば

「母親に甘えたかった」ということなんですよね。


このことに気づかないようにしていたんだな、と。

僕は「人に甘える」ということができない人間です。

「助けてください」と人に頼ることができなかった。

全部「一人でやらなければ」と頑張って、破綻して。


僕は生まれた時から、祖母に溺愛されて、母よりも

祖母といる時間の方が多かった、と聞かされました。

そのことで母と祖母は仲違いし、その時、僕の父は

母よりも祖母の味方をして一緒に母を責めていたと。


すでに、夫婦の絆は崩壊していたのかもしれません。

溺愛してくれた祖母が急にいなくなり、妹が生まれ、

甘えを許さないが過干渉の母親、無関心の父親の元、

子供の僕は、誰にも甘えられない環境にいたんだと。


それまで元気だった僕は、病弱でよく風邪で寝込む

子供になりました。全校朝礼の場で、気持ちが悪く

なっても助けを呼べず、その場に嘔吐していました。


甘えたいけど甘えられない。

それは怒りとなって、妹へのいじめになりました。

逆にその後、僕自身がいじめられる側になりました。


今にして思うと、

「自分をダメにして哀れみを買い、かまってもらう」

ことで、「甘えたい」気持ちを満たしていたのだと。

でもそれは「代替行為」だから束の間の満足だけで。


悲しい時に「悲しい」と、寂しい時に「寂しい」と

言える相手が僕にはずっといなかったなあ、僕は

誰にもそれを自ら伝えることができなかったなあ。


社会に出てからの僕は、何でも自分一人で背負って

やりきらなきゃと頑張って、自分だけで苦労して、

それに耐え切れなくなって、投げ出して逃げ出す、

どんな仕事でもずっと同じことを繰り返すだけで。


そして何もかも嫌になって、今は引きこもっている。

なぜ「実家を出てはダメになって戻ってくる」ことを

繰り返していたのか。自分でもわかりませんでした。


「甘えたくても甘えられない」感情が蓄積してくると、

自分をダメにして哀れみを買って、かまってもらう。

ずっと、親に対してそれをやってきたんだなあって。

「妖怪あまえたいぞん」が発動していたんだなあと

いうことに気づいたのでした。


今引きこもっていることも、「甘えたい」からだと。

「無職で引きこもりのダメな自分」の姿をつくって、

親にかまってもらうことで「甘えられている」自分を

感じているんだなあ、目的はこれだったんだなあって。


「あぁ、こんなに僕は親に甘えたかったんだな。」


そのことに気づくと、気持ちが少しラクになりました。

そして、こんなにも求めていたかつての僕自身のことも

いとおしく感じられるようになりました。

それとともに、

とにかく僕は自分のことが大嫌いだった。

そのことにも気づかされました。


「三つ子の魂百まで」とは、生まれる前~三歳までの

体験、感情が、死ぬまでその人のベースになるという

ことらしいです。


僕はその時のことは覚えていないけれど、「甘えたい」

「甘えられない悲しみと怒り」がその頃にできたのかも

しれないな、ということは納得できます。



「甘えられない」環境の中で、「甘えたい」がために、

自分を傷つけたり、ダメにしたり、病気にしたりする。

そこまでして、「愛されたい」と求め続けた僕がいる。




「今まで頑張ってきてくれて、ありがとう。」

「もう、頑張らなくてもいいよ。」


「妖怪あまえたいぞん」は、子供の頃の僕の姿。

甘えたくても我慢してきた、あの日の僕の姿。

邪道でも、それしかできなかった僕自身の姿。


これからは、「甘えられる人に甘える」という

体験を重ねていこう。それは逆に怖いことだけど。

その怖さも体験すれば、その先には、今までとは

違った世界が必ず迎えてくれるのだ、と信じて。


「妖怪あまえたいぞん」と一緒に笑える日まで。