自分や自分の持ち物が足りていないと思う時、私たちは苦しみます。苦しみは自我の中にしかないけれど、苦しむことが悪なのではない。ただ自我は真実ではないというだけだ。
虚偽から真実に戻るには 心を変えなければならない。今まで信じていたものを信じるに値しないと理解しなければならない。それは自分一人ではできない。
愛を分かち合うことでしか目覚めることはない。
愛なしに目覚めようとすることは恐れを隠蔽することだ。
真の自己を内側に見つけ全ての人がそうであることを受け入れた時、初めて恐れる必要がなくなる。
そうならない限りは自分の内に真実を見つけても周りは敵だらけだ。
これをひと続きの真理として内側に見ない限り、虚偽を虚偽のままに温存することが目的になってしまう。
愛を見つけたつもりになって、障壁を強化することになる。
肉体にとって恐れこそが生命なのだ。
だから肉体と心をわずかでも混同していると私たちはいつのまにか恐れという神を信じている。愛を知ったつもりになっている。「私は肉体ではない」という真理を受け入れるのは「私は神の子だ」と自分に言い聞かせるよりずっと難題に見える。
正直になることだと思う。 自我まみれの自分に。そして真実はそれではないというレッスンから逃げないことだと思う。