アメリカに渡ったコンピューターの生みの親 | 伊藤正樹のサラリーマンうつ病奮闘記

伊藤正樹のサラリーマンうつ病奮闘記

このブログは、まじめなに7年間会社勤務していたサラリーマンが、
突然うつ病と診断されて会社を休職して、その後どのように立ち直って、
復職する、あるいは起業していくのかをまとめたサラリーマンうつ病奮闘記です。

1930年にナチス政権から逃れるため渡米した「ジョン・フォン・ノイマン」は、

プリンストン高等研究所の所員に選ばれました。

そのメンバーの中には「アインシュタイン」「ヘルマン・ワイル」がいました。

1946年からノイマンが書き出したレポートを基にして、

EDVACという現在のコンピューターの原形の開発が行われました。

できあがったPCは「世界中で3台売れたら御の字」と言われましたが、

2012年の現代では、

誰もが持っている必需品になりました。

それは大天才のノイマンにもわからなかったことでしょう。

彼のおもしろいエピソードを御紹介しましょう。

ノイマンは長年住んでいた家の食器の位置すら覚えられませんでした。

さらに一日前に会った人の名前も思い出せなかったといいます。

彼は独特な思考のしかたや計算能力を持っていたために、

「火星人」「1000分の1インチの精度で噛み合う歯車を持った機械」

とまで言われていたそうです。

他にもたくさん逸話があって、

電話帳をパッと開いて瞬間的に番号をすべて足し算したり、

当時のコンピューターと計算勝負をして勝ったそうです。

1957年に亡くなったコンピューターの生みの親「ジョン・フォン・ノイマン」

その大天才の残した遺産で、

私たちは日々の生活をしているということですね。