■回復途中の当事者にわりと多い傾向
STOP!ABUSE 廣渡麗子です
当事者が回復するには、いろんな経験を積むことが重要です。
成功体験ばかりじゃなく、失敗も絶対的に必要な経験
ところが当事者の多くは、どういう現れ方であれ、失敗を非常に恐れます
失敗は許されないという強迫概念だったり、失敗するくらいならやらないという極端さだったり、私の場合だと失敗したときの言い訳(誰のせいにするか)を無意識に準備してたり。
長年暴力という環境の中にいて、いろんな意味で理不尽に失敗が許されない経験が圧倒的なので、失敗が非常にコワイわけですね。
その反面では、周りがちょっとビックリするくらい理想が高かったりします
たとえばパンなんて作ったこともないのに、奮起して作ってみようと思ったとするでしょ?
頭の中で描いているのは、まるでプロ並みの仕上がりだったりするんですよね
で、想像通りに出来上がらないと、やっぱり自分は何をやってもダメなんだ・・・と落ち込む
そしてパン作りそのものがこわくなって、もう一度チャレンジしようという気にならなかったりもする
できるまで何度でもやってみよう、という気持ちになかなかなれないし、また失敗するのが怖いので【どうせ】という言葉で自分に対してのできない言い訳を必死に探したり。
また困ったことに、最初からうまくできなくて当たり前だよ~と言われても、全然励みにならないこともすごく多いです
なぜなら、当たり前だよ~と言った人からすれば【たかが一度のパン作りの失敗】。
でも本人にとっては、これまでの人生で起きたあらゆる失敗に直結しているのですね。
そしてそれを許されなかった、という経験の傷に触れているので、もうパン作りそのものなんかどうだっていいんです。
過去の傷に触れるからやりたくない、わけです
もちろん全員がそうじゃないですよ、当てはまらない人も当然います。
が、こういう傾向を持った当事者に必要な経験は、成功体験でも失敗体験でもない。
【失敗しても許される】という経験なんですよね
子どもと同じで、結果としては失敗だけど、そこまでがんばったプロセスを認めてくれる人の存在が必要になるんです。
追い打ちをかけるように「何をやってもダメねぇ」なんて言われると、ただただ傷が広がって余計に何もできなくなるのです
こんな風に回復途中の当事者の傷は、1人では癒せないんですよ