鉄ヲタですけど何か?

更新復活します(`・ω・´)

大井川鉄道の長距離鈍行にのってみた その1

2020-03-21 17:23:55 | 中小私鉄・専用線

会社員なら誰もが、「このままどっかいきてぇな…」とか思ったことがあると思います。

意味もなくよくわからない名前の終点までいってみたり、無限にこのまま往復しててぇみたいな

どんだけ出社したくないんだっていう。

毎日そんなことばかり考えているダメ社員とは誰なのか? 

 

そう、わたしです。

 

前置き長くなりましたが、去年大井川鉄道の長距離鈍行ツアーに当選したのでいってきました。

何を隠そうこのツアー、朝から夕方まで、12時間、同じ路線を無限に往復する奴です。

 

SL運行で使ってる旧型客車と、電気機関車だけを使って

新幹線とかができる前の古き良き長距離鈍行を再現した奴ですね。

SLをあえて使わないのがポイントです。

 

毎年趣向は違うんですが、今回は福島の原ノ町発ー青森行き風だとか。

青函連絡船に乗る奴風ってことですかね。

 

「鈍行、12時間、青森行き」で何か既視感しかない旅程だったのでつい、申し込んじゃいました。 そのままはまなす乗れそう

割と高倍率の激戦だったらしいんですが、何とか無事に当選。

 

というわけで早速始発の新金谷駅へ。 あっ、原ノ町って設定だった。原ノ町駅へ。

着くと早速、旧客がどーんと。今日の相棒です。

機関車は当日まで発表されなかったんですが、

奥で機関車がごそごそし始めたので、これかなっと

 

 

 

牽引するのは機関車、E101。

1950年代製のデッキ付きのレトロな奴です。

いつもはSL観光列車のヘルプ要因として、後ろから押してますが、

今日は先頭で12時間ひたはしってくれます。

 

なんか、隣に、E31withトーマス用客車が出来上がってて、

えっ乗るのこれなのでは?とか結構焦ってたんですが、勘違いでよかったよかった。

 

 

 

参加証をもらいいそいそと室内へ。

座席は先着順とはいえ、一人1ボックス席可能。

 

堂々と一人で荷物とか置き放題って、労働者の夢じゃないですか?

な、なんて贅沢なんだ…(意味不明)

 

しばらくすると、ハイケンスのセレナーデと共に、青森行きは走りました。

僕たちは乗り始めたばかりなんだ、

この果てしなく長い、長距離鈍行をよ…

 

 

続く

 






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アルゼンチンから帰ってきた、丸の内線500形

2017-11-26 18:33:10 | 大手私鉄(東日本)

帝都高速度交通営団、通称:営団。
なんかメッチャカッコいい名前ですが、
数年前まで、東京の地下鉄は国営のこんな名前の組織の手で運営されていました。
今の東京メトロの前身ですね。


そんな営団は、そういう企業方針だったのか、
設備もに割と先進的な物を多く採用し、
鉄道車両においても「日本でも最先端なんじゃね?」みたいな
名車を結構送りだしたりしてるんですが、

そんな中でも最初に作られた部類の車両が
かつて丸の内線で活躍していた500形です。

当時最高レベルの車両性能は去ることながら、
真っ赤に塗られた車体に、銀色のサインウエーブと、
外観においても50年代の鉄道車両の中で、ひと際輝く電車でした。

作るに当たっては、アメリカの地下鉄車両を参考にしたんですが、
いざ見てみると、あまりの技術の違いに日本の人が驚いたってのは有名なお話しだそうです…。

ただそんな名車500形も
老朽化には抗えず、1996年に引退。


まぁアメリカの地下鉄を参考にしただけあって
「規格が似てるじゃん?」ってことで
なんだかんだ遥か地球の向こう側、
アルゼンチンのブエノスアイレス地下鉄に譲渡され
今日も元気に活躍している訳ですが、



何か、東京メトロがそれを保存するとかで
船で再び日本に戻してきてたんです。
しかも4両。



前置きがめちゃくちゃ長くなりましたが。
今日は2016年にそんなアルゼンチン帰りの、
水揚げ500形を見に行ったお話です。


はい
ということで
Aくんに連れられ、
バスで大黒ふ頭を彷徨うこと数十分。




「正直居ないやろなぁ」とか思ってたんですが、

いたー。
ほんとに居ました。
500形です


実はもう既に前日に2両が運ばれちゃってまして、
妻面しか見えないのがちょっと残念ですが。
輸送の都合上、仕方ないですね…。




見たところ、ちょうど最後の1両が
ちょうどクレーンからの搬入を終えた直後のようでした。

ボディに鈍く輝く、サインウエーブがとてもオシャレでいい感じです。
もうアルゼンチンでは結構現地オリジナルの塗装に塗り替えられてる車両も多いようなんですが、
この車両は譲渡後も丸の内線塗装のまま活躍していたようです。


で、
そんなこんなの内にクレーンは外れされ、
車体はトレーラーへとセットアップされました。


ボディをズームする感じ。
なんか色々凄いことになっちゃってます。




ドア上にある「Metorovias」というのは500形が走っていた
ブエノスアイレス地下鉄地下鉄を運営している会社名ですね。

車体各所の落書き、「グラフィティ」が何ともな海外帰り感を醸し出してて
「こんな状態で走るなんて、海外は凄いなぁ」とか勝手に思ってたんですが
どうやら譲渡前の保管中にやられちゃったというのが真相のようです。
前日に運ばれた2両にはFU●Kとか書かれてたレベルでした。
ひどいw




この辺も綺麗になって…保存されるんですかね?
めっちゃ大変そうです。(小学生並みのかんそう)




んで、暫くすると、
500形を乗せたトラックは奥へと移動していってしまいました。






何か2両とも奥に引っ込んでしまってので
あーとか思ってると

間髪入れずに来たのは怪しい物体…
というか台車を載せたトラック。

どうやらこれは別のトレーラーに乗せて運ぶようです。
まぁ台車とはいえ、でかいもんね…





もう見た所、
流石に踏面というか車輪全体がサビサビでした。
台車の側面に刻まれていたのはFS-349…という文字。
どうやら500形初期の物を、少し改良した台車の用です。

それにしてもこんな角度で
台車を眺められる場面なんて中々ないんじゃないでしょうか。
陸送ならではの醍醐味ですね。


係員の人の手ほどきで
2つの台車はあっという間にクレーンに載せ換えられると、
すぐにフレーム外へ。





流石にもう動きはなさそうだったので
横から見学してみろことにしました。

そんな分けで
回りを散策してみると…

じゃーん



何かいい感じで見えるところがありました。
やったぜ。




ズームで見るとこんな感じ。
先ほどは隠れていた前面もなんとか見えます。

何かもうお顔も真っ黒でボロボロですが、
それが逆に萌えますね。



最後は折角なので、近くにあった
出荷待ちのスバルBRZとも合わせて撮ってみました。




じゃーん 謎並び。
何とも埠頭らしい光景な気がします。


結局、この2両はこの日の深夜に
中野にある車両基地まで運ばれたようで。
たぶんいつの日かぴかぴかになって戻ってくるんじゃないかと。

車両数的に一応編成は組めるはずなんですが、
動態保存とかで…復活するんですかね?

鉄オタ的には元気に走ってるのがみたいなぁなんて 


どうなるのか個人的に楽しみです。








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急行はまなすにサヨナラを 最終回 ポラリスの陽のもとに

2017-11-23 17:24:39 | 鉄道旅行(北海道)


はまなすに乗るのがメインだった、
北海道旅行記の最終回です。


あの後、真駒内から戻った我々は、
なんか新千歳空港の近くでぶらぶらできる所を考えた挙句、
札幌市電を撮って時間をつぶすことを思いついたのでした。


何かAくん曰く、お目当ては
旧塗装で一両だけ残った、札幌市電最古の車両、M101だそうで。





まぁいつも通り、すすきので何回か撮った後、
来るわけないんだよなぁとか思いながら、
運用観察を兼ねて、すすきののビルで、ジュースのんでたんですが…




え、きたよ、マジで来たよ、
まさかのM101です。


泡くって、飯食ってる場合じゃねぇと
急いで、追いかけたはいいんですが、
どうやら運用的にさっきのが車庫言って終わる運用だった様子。

いつも通りの展開に流石にちょっと草が生えてたんですが、
何かAくんが、「電車乗って車庫に行くわ・・・・撮りにいくわ・・・・。」
とか突如、真顔で語りだしたので、色々と察して、その間は別行動にすることに。
彼にも心の休息が必要なようです。


そんなわけで、適当にぶらぶら市電を撮りつぶすことにしました。


撮り始めた直後に来たのは、ミクの痛電と化した3300形。
個人的にはとっておきたかったんですが、車にかぶられてしまって撃沈…。





まぁ路面あるあるなので、仕方ないんですが、
結構悔しかったので、戻ってくるのを待つことに。
車庫に消えたM101よりも、ミク電の方が、至上命題になりました。←


それまでは来る電車を撮り続けるマンと化したので、
ざっくりと来た電車を紹介していきます。ざっくりと。







札幌市電で今でも、バリバリ主力なのが、210-240系位の、
札幌スタイルとか呼ばれる、60年代製の電車群です。

札幌綜合鉄工共同組合って北海道の車両メーカーが作ってたんですって、
ちょっととぼけたような結構独自路線なデザインですが、
個人的には可愛らしくて結構お気に入りです。




こちらが、3300形。
昔の330形って電車を車体更新して今風の電車にした奴ですね。
ミク電の奴もこれです。




んで、A1200形、通称:ポラリスです。
市電のループ化の為に投入された最新形ですね。
グッドデザイン賞受賞のありそうでなかった、直線基調のデザインが
スタイリッシュで、素直にカッコいいと思います。



んで、そんなこんなの内に、
さっきのミク電が戻ってきました。



迫るタクシーに冷や汗だったんですが、
奇跡的に車も回避して、まぁさっきよりは満足できる結果になりました。


で、このミク電を回収した辺りで、
もういい時間になってので、新千歳空港へと戻ることに。

はまなすに乗りたいがために企画したガバガバ旅行でしたが、
何だかんだ結構充実した感じで幕を閉じたのでした。
モアイも見れたし…


おわり


いやぁそれにしても、行ったのは去年でしたが、
まさか、このシリーズを翌年末まで書いてるとは…思いもしませんでした…。










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急行はまなすにサヨナラを その13 伝説の珍スポ 真駒内滝野霊園へ

2017-11-20 21:38:04 | 鉄道旅行(北海道)

ようやっとフィナーレが見えてきた、
グダグダ北海道旅行の続きです。

もう前回ではまなすには乗り納めをして、
旅行としてはミッションコンプリートって感じだったんですが、
まぁ夜の便まで時間があるので、なんかしようじゃないかと。

そんな訳で前からずっと気になっていた、
珍スポオブ珍スポ、真駒内滝野霊園へ行ってみることにしました。
もう、微塵も鉄道関係ないですね!



そんなわけで、地下鉄、バスと乗り継いで
移動すること数十分…





つきましたー!
憧れの珍スポ、真駒内滝野霊園です。

この門構えからも分かる通り、ここは東京ドーム数十個分と、
北海道でも指折りの広さを誇る、れっきとした霊園なんですが、

何というか、置いてある展示というか、
園内のモニュメントが混沌としてて、一部では有名
なんですよね…。



もう、隠しようがなくて、ちらっと見えちゃってるので、
書いちゃいますけど、





ここの名物はモアイです。

なぜ北海道の霊園に作ってしまったのか?
なぜここまで沢山作ってしまったのか。
それはもう、突っ込み所が満載ですけど、




雪に埋もれて、謎の趣を醸し出す、イースター島とは何だったのか感全開の
雄大な光景を眺めていると、そんな些細なことはどうでもよく思えてきます。
これもまたモアイ…



・・・・・・。
まぁでもぶっちゃけモアイだけなら、
日本だけでも、他にもまだ幾つかあるじゃないですか?

でも、これで留まらないのが、
真駒内滝野霊園の凄さなんですよ。
例えば、こんなのもあるんです。




はい、ストーンヘッジです。
謎の巨石建築として有名な、イギリスのアレですね…。

教科書でおなじみの古代遺産も、割と再現度高く作ってしまう。
これが真駒内滝野霊園クオリティ。
「もう石の奴なら、何でも作ってやるぜ!」という熱い思いさえ感じます。


別に北海道で見れるストーンヘッジがあったっていいじゃないですか、
ねぇ?





はい、次。
鎌倉大仏です。



この真駒内滝野霊園の外国だけじゃなくて、ちゃんと日本にも目を向けていくスタイル、流石ですよね。
見事に雪に埋もれて、頭だけがちょびっと、お見えになられていました。
もう真駒内にある時点で、鎌倉大仏じゃないような気もしてきますが、
そんな些細なことは気にしてはいけません






看板によると、今後鎌倉大仏は、「頭大仏」へと進化するそうです。

流石に、入園してから思考を放棄し続けてきた自分も、
「頭大仏is何?」と疑問を感じ、HPの特設ページを見たのですが、
何も分かりませんでした。

おそらく、これも魂で感じろということなのでしょう。
まぁ鎌倉大仏改め、頭大仏なら、北海道にあっても何の問題もありませんね。

因みに訪れた当時は、2016年でしたが、
そんな些細なことは気にしてはいけません。





とまぁこんなあたりで、
意外とバスの本数がなくぎりぎりだったので、
この後は取急ぎ、札幌へ戻ることにしました。

真駒内滝野霊園で、有名な名物は、主にこの3つなんですが、
他にもモアイベンチとかモアイ噴水とか
エジプトの神とか色々取り揃えてるみたいです。
この日は雪に埋もれて見えないのが、少々残念でしたね…。

元々、懇願して連れてって貰っただけに
Aくんは完全にお通夜でしたが、僕はこのノリ結構好きでした。
夏とかに来ると、もっと楽しいのかもしれませんね。

「俺は北海道でモアイとかストーンヘッジが見たいんだ」って方とか、
「頭大仏」というワードに惹かれた方は是非!
ハードコアな北海道観光としては請け合いの、個人的おすすめスポットです。



さて、グダグダと更新し続けた北海道シリーズも
次回で最終回です。長かったですね。








続く











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急行はまなすにサヨナラを その12 急行はまなすフォーエバー

2017-11-05 10:57:24 | JR

グダグダシリーズも最後のメイン。


はまなす最後の乗車タイムです。
この為にこの旅行企画したって感じですしね…。
旅行の集大成感あります。

いやぁ
この列車には…本当にお世話になりました。



そんな訳で、人の山に紛れ、
待つこと数十分。




エスコート役のDE10に引かれて、
灯りをともしたはまなすが入線してきました。





よくお世話になった、青い森の鉄道701の並び。
本当にお世話になった車両同士の並びも、これで見納めです…



B寝台の三つ星に
青いボディー…






駅銘板までも新しくなっている時代にあって、
はまなすだけが取り残されてしまった印象さえ受けます。
よくここまで走ってくれたよなぁってしみじみ。





無き北斗星と比べるとあれですけど、
やっぱり本州で札幌行の表記が見れるってこと自体が
ちょっと不思議な感じがします。






もう最後というだけあって、
青森駅では撮影用サービスとして、
普段は立ち入れない、先頭側も解放されていました。
ここ、いつもだと、黄色い柵みたいなので通れないんですよ…





そんなわけで普段は意外と見れなかった、
はまなすマークを誇らしげに掲げる、ED79の晴れ姿です。

かつて、要らない子扱いをされ
新幹線までの繋ぎとして改造されたこの機関車は、
それから想定を軽く超えた30年近くもの間走り続け、
計画通り新幹線に後を託し、このはまなすともに引退することになりました。

もしかしたら、はまなすの存続で、
一番の功労者だったのは、この小柄な機関車なのかもしれません。





錆でボロボロになった、「函」の区名札は、青函トンネルの専用機として、
高温多湿な環境を走りぬいてきた証です。





青森駅へのホームには、
はまなすとの別れを惜しむ人で溢れていました。

シーズンに偏りがあるとはいえ、乗る人も沢山居たのに、
無くなってしまうのが本当に悲しいですね。
乗っても残せなかったよ…。


もう引退間際ということもあり、
寝台の方は勿論満席。

冬シーズンにも関わらず、
お馴染みの「21号車」も発動していました。





こんなちょっとした、国鉄の時から続いてきたこんな表記も、
思えば、はまなすが最後だったのかもしれません。




結局自分たちが最後に乗ったのは、一番後ろの自由席のスハフ。
なんだかんだで一番お世話になった、思い入れたっぷりの車両でした。


豪華な指定席車、ドリームカーでも、寝台車でもない、
はまなすでは一番、安いグレードの座席ですが、
この時勢を考えると「はまなす」という列車でしか体験できなかった
ある意味、一番贅沢な車両だったような気がします。

いつも通り、相変わらず、ガラガラの車内で
シート端を陣取って、くつろいでいると、
はまなすはゆっくりと走り出しました。





暫くすると聞こえてくるチャイムは、
お馴染み、ハイケンスのセレナーデ。

増結の案内や、自販機の号車案内等、
車掌の長いアナウンスが終わると、
車内は消灯され、再び、静寂に包まれます。





こんな、トイレの小窓ごしに感じる、外の冷気。
デッキの配電盤にぼんやりと燈る、動作ランプ。

こんな、ちょっとした光景一つ一つでさえ、
平成生まれの僕にとっては、新鮮で不思議で、
今の鉄道じゃ到底体験できないような、この独特な車内の雰囲気が、
急行はまなすという列車の一番の魅力だったように思えます。

自分でも、それなりに、
色んな列車には乗ってきたつもりなんですけど、
はまなすに相当する列車って本当にないんですよね…。

ブルートレインでも、特急でもない、
かといって、ムーンライトシリーズみたいな夜行快速の雰囲気でもない…
21世紀にあって「夜行急行」を味わせてくれる貴重な列車でした。



青森駅を出て暫くすると、「ピッ」という警笛の後に、
走行音がゴーっという音に代わりました。

とうとう、青森県を超え、
海底に、青函トンネルへと進入したのです。




スハフの一番後ろからは、こんな風に青函トンネルの
遠く続く入口までを一望できます。

こんな小窓越しに青函トンネルを眺められる列車って、
他にあるのかなぁ…

この区間の走行中の、
トンネルのランプに照らされ、チカチカと点滅する車内は
いつも思うのですが、どこか幻想的です。





車内の一番手前の広告枠には、
新幹線の開通を祝福する、3.26改正のものが刺さっていました。

まぁ、ユーザー的にも順当な広告なんでしょうけど、
入れ替わりで、この日を待たずして消えてしまう、
この列車で宣伝されてるっていうのは、

ちょっと悲しいというか…皮肉ですね。



暫くすると、はまなすは、
トンネルを抜け、
道南の拠点、函館駅へと到着しました。






元々人気だった機関車交換は
もう黒山の人だかり。

実感ないんですけど、
本当に無くなっちゃうんですね…。






DDとかEDのスナップショット…
ホームで編成を見る旅に思い出が頭をよぎります。




停車場所を探してうろうろした時のこととか




ミニラウンジでトランプやったり、
満席で持たれかかって寝たときのこととか…




なんでだろう、こんなボロボロの車両だけど、
本当に楽しくて、確かに思い出が詰まってたんですよね…
管理人の青春が、はまなすにはありました…。





ホームや車内から、名残惜し気に写真を撮り、
車内に戻ると、札幌までの最後の一時を楽しむことにしました。


いつも通り、DDの警笛を尻目に
ウトウトしている内に、ふと目覚めると、もう札幌直前。


忘れ物に気をつけるようにって車掌の放送でしんみりすると、
とうとう、はまなすとお別れの時間がやってきました。





もう、ずっと乗っててもよかったんですけどね。
時の流れは残酷です…。本当に。




はまなすが到着した後の札幌駅はいつもこんな感じ。
旅行客、ビジネス客で溢れているんです。

本当に最後まで、地元の人にも、
観光客の人にも支持され、利用されていた、不思議な列車でした。
こういう列車って、普通は利用者低迷とかで終わるのが常ですもんね…。

折角最後なので、
この後は、小樽方面の電車に飛び乗り、先回りして、
最後の回送を撮影することにしました。
はまなす見るのはこれが本当に最後ですかね…。


んで、例によって、前にいい感じで撮れたから…って
浅慮の上、琴似駅へと到着したはいいんですが、




何か知らない内に、撮影位置に看板ができてまして
やべぇ詰んだとか言ってる間に





走ってきて、横をすーっと通過していきました。


・・・・・・・・・・・。
最後までグダグダな辺りが、俺らクオリティです。
まぁでも…らしいっちゃらしいのかな…。





この日のちょうど一か月後、
急行はまなすは、北海道新幹線の開業に先行して廃止され、
鉄路の彼方へと消えていったのでした。


サヨナラ…はまなす。


実はこのちょうど、一年後、思わぬ形で再開を果たすんですが、
それはまた別のお話です。





つづく



*おまけ*




はまなすの最終列車では、
到着直前に、こんな特別な放送が為されたようで…

あ… 
あれ…目からリボリンナポリンが…







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