縁の下の眠り猫 ~寝言は寝て言う~

縁の下の眠り猫こと中野泰祐の小休止ブログ
只今フィリピン赴任中!!

乙武氏とトリコロール

2015-11-17 11:24:18 | 日記
世界を震撼させたフランスの同時多発テロ

犠牲となられた方々に深い哀悼の意を表します。

個人的にも卑劣なテロ行為に怒りを覚えます

ただ、それと同時に改めて世界のあり方に疑問を感じます

そして、手段や結論は違っても同じように感じている人は少なくないようです。

その中で作家の乙武氏の発言がヤリ玉に挙げられているようです

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151116-00000003-jct-soci

詳しくは知りませんが、記事を見る限り乙武氏の発言に対し概ね批判的な意見が多いようです

確かに、私個人としても現段階での手段と結論に対しては意見が異なるため賛同はできませんが、

捉えている問題の根本と、姿は違えど望んでいる最終結果の効果は同じなのではないだろうかと感じます。

少なくとも「薄っぺらい理想論」などと軽薄そうな言葉で非難する人よりもずっと意見を交わしたい発言です

そして、乙武氏と私の意見の分岐点であり、共通しているであろう違和感は

「犯行グループも含めて"国際社会"なのではないだろうか」

この乙武氏の発言に表されていると考えます。

乙武氏はなぜ「国際社会」と言っておきながらその一部を無視するのか?といった意見だと思いますが、

私は「国際社会」などという枠組みを使うから問題が大きくなっていると考えています。

「国際社会」に限らず「自由」や「正義」などという言葉を安易に大義名分として使う行動自体が、

逆にこれらの言葉を闘争の引き金にしてしまっているのだと思います。

なぜなら、これらの言葉は包括的であり、比較し非難することに使える言葉ではないからです。

ましてや戦争という究極的な暴力の行使に使うなど不可能です。

今回の件に関して、私はフランスがISに報復攻撃を行うことに賛成です。

なぜなら、私の立ち位置(価値観)はフランス側だからです。

決して正義のためなどではありません。

私の価値観を守りたいと言う我欲です。

いかなる力も行使する側は、それが我欲によるものであることを認識すべきです。

それを「国際社会」などという枠組みで隠すから、相手の殲滅か泥沼に陥るかになるのです。

ではどうすればいいのか?

そんな壮大な問題の問を私が持っているわけありません。

しかし、今の問題点くらいは指摘できます。

今のあり方は例えて言うのなら

「突然、村のあらゆる垣根を排除し、一つの価値観をもとに共同生活を始める」ようなものです。

しかも、この価値観は村の一部の人間だけが決めることを許され、従わない者は排除されるのです。

この様な組織が正常に機能するわけがありません。機能するとしたら

①圧倒的なカリスマが存在する
②長い時間をかけて洗脳される

こんな特異な環境のみです。

ではどうすればいいのか?

これは既に人類が長い時間をかけて既に実行しています。

つまり「組織」「契約」「慣習」など垣根を築くことです。

家族で一つの家に住む行為は決して阻害ではありません

塀で囲うのも区別を明確にするためです

だから、他者は家に入る際「お邪魔します」という心構えになるのです。

垣根とはこの様な安定を自然に作り維持するために必要であり

それこそ闘争の起こりにくい環境を作り出しているのではないでしょうか?
※日本人独自の「建前と本音」もこの垣根の一種ではないでしょうか

家⇒町⇒国⇒世界

この様な様々な段階で、それぞれに合った垣根を築く。

そして、その垣根ごとに「自由」「平等」「権利」が存在する。

例えば、町の多くの人が米しか食べないからといって、パンを食べる家族を非難する行為は

家の垣根(自由)を無視して町の垣根(ルール)を押し付けてしまっています。

そして、この垣根で忘れてはいけないことは、

垣根の外に違う組織(文化文明)が存在しないと成立しないということです
※世界征服でも実現すれば別ですが

そんな垣根を忘れて「国際社会では」「世界では」などと他者の垣根を越える行為は

誤解を恐れず言ってしまえば強盗と同じです


最初の話題に戻りますが

以上のことから

「国際社会」などという垣根に押し込めず、

摩擦はなくならないまでも、地域や国の垣根を尊重し暴力に頼ることが少なくなる世界を目指すべきだと考えています

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1 コメント

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Unknown (アノニマス)
2015-11-17 13:14:18
乙武より支離滅裂な文章

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