もこ太郎の平成阿房列車

もこ太郎の平成阿房列車

No Train,No Life!
生粋の「乗り鉄」がブログを書くとこうなる!!
私が行った鉄道の旅をレポートさせて頂いています!
私のブログをお読み頂いて、鉄道の旅に興味を持って頂けたら幸いです!

「あの列車にとびこめたら、どれだけ楽になれるだろうか」


と考えていた、ある36歳の男が、ひょんなことから


「鉄道が無いと生きて行けない!!」


と考えるようになる鉄道マニアに変貌する過程を、

そして、誰も思いつかないような鉄道旅のレポートを、

このブログで綴らせて頂いております。



少しでもこのブログに興味をお持ちいただけた場合は、

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新津駅からは羽越本線に乗り換え、秋田までの全線完乗に挑む。
しかし、羽越本線を完乗するには、少々厄介な事がある。


羽越本線の起点は、ここ新津駅である。
しかし、新津駅から、途中の新発田(しばた)駅の間のダイヤは、極端に薄い。
新発田より乗り換えなしに先に向かう列車となると、さらにその半数以下となる。

新発田から秋田方面に向かう列車は、新潟駅を出発し、白新線経由で羽越本線に直通する列車が大半を占める。
特急「いなほ」も、全て新潟を始発とし、白新線を経由している。
新潟~新発田間と、新発田以北の区間は別の路線なのであるが、鉄道に詳しくない人は、そのような認識を持っていないかもしれない。

ただ単に、羽越本線を利用して秋田に向かうのであれば、私も長岡から新潟まで行き、そこから白新線を経由する。
その方が便が良いからである。
しかし羽越本線を完乗するのであれば、ここ新津で乗り換えなければならないのである。


今回の旅に出る前に、このことを前提に今回の旅程を考えていたら、一つ壁にぶち当たった。
新津から新発田で下車し、そこから羽越本線の列車に乗ろうとすると、如何せん接続が悪すぎるのである。
普通に鈍行列車に乗り継いでいると、秋田に到着するのは深夜になってしまう。
さらに宿泊は、秋田からさらに列車で1時間程移動したところに予約を取っている。
日付が変わる前に宿泊地までたどり着けるかどうかもあやしい。

何とかならないかと、時刻表を凝視していると、解決の糸口は簡単に見つかった。
結局なんてことは無い、短区間だけ特急「いなほ」に乗れば、事なきを得そうだ。


話を戻し、新発田行きの列車に乗り込もうとすると、そこにはキハ110系が待ち構えていた。
羽越本線は全線電化されている筈なのに、なぜ気動車が宛がわれているのか?
少々疑問に思いつつ、疑惑のキハ110系は、新津を定刻通り出発した。


新津~新発田間の車窓は、殆ど田園風景しか映し出さないような印象だった。


新津から30分程で、新発田に到着した。






ここで、村上までの乗車券と自由席特急券を購入する。



さてここで、「羽越本線の楽しみ方」について考えてみたい。

羽越本線の魅力とは?
車窓から望む名勝「笹川流れ」や、鳥海山の雄大な姿?
週末に運行されるジョイフルトレイン「きらきらうえつ」?

しかし私は、それらとは全く異なる点に視線を向ける。

羽越本線は、全国でも類を見ないくらい、単線と複線が入り乱れる路線である。
今までも、いくつかの単複両線を合わせ持つ路線に乗車して来たが、羽越本線はそれらの比ではない。

JTB時刻表2014年1月号に
「JR線 電化区間と複線区間」
という題目で、全国のJRの路線図が記載されているが、羽越本線の項目は特記扱いとなっている。
(画像の太線が複線、細線が単線)



最初は、その単複の移り変わりを、ぜひかぶりつきで見届けたいとも思ったが、
新津から秋田まで、鈍行でおおむね5時間以上は掛かってしまう。
5時間も立ちっぱなしでいたいとは、さすがに思えなかった。
今回のかぶりつき計画は破棄。
体力と根性を持ち合わせる鉄道ファンには、ぜひ試みて頂きたい。


12時54分
定刻通り新発田に到着した「いなほ5号」に乗り込み、自由席に腰を掛ける。
自由席の2人掛けシートは空席が目立った。乗車率は5割にも満たないようだ。


新発田から村上までは、あっという間に到着した。



ホームには、「きらきらうえつ」用の駅名標が立っていた。
隣駅が「桑川」とある。つまり桑川に停車するということだが、そこで下車する乗客の大半は「笹川流れ」目当てなのだろう。



約15分という、非常に条件の良い接続で、酒田行の鈍行に乗り換える。



出迎えてくれたのは、キハ47系。
またもや気動車の御出ましだ。
村上を出てすぐに、交直区分のデッドセクションが設けられているため、気動車が割り当てられているのは明確だ。
大好きな旧国鉄型の気動車に乗れるとあり、私は何の文句も無いが。

かぶりつきを放棄した私は、進行方向左側のクロスシートに陣取る。
悪天候の日本海でも見てやろうかという勢いだ。

この列車も、乗車率は5割に満たなかったと思われる。
定刻通り村上を出たキハ47系は、ディーゼルエンジンを震わせながら間もなく、日本海の姿を映し出す。
村上から隣駅の間島までは複線区間。しかし、上りの線路が見当たらない。
実は、上りの線路はトンネルの中に身を隠していた。
このように、複線区間だが、山沿いを走る上りの線路はトンネルの中、という区間がこの羽越本線にはいくつか存在する。
秋田から新潟方面に向かう列車に乗ると、日本海の景色があまり見られないという不公平な事例が発生してしまうのでご注意いただきたい。



黒に近い灰色の日本海を臨みつつ、2時間20分かけて、終点の酒田に到着した。







ここから秋田行きの列車に乗り換える。
秋田まで誘ってくれるのは、何の面白味も無い全席ロングシートの701系。
仕方なくドア付近に腰かけ、701系は発車した。

このままこの701系に乗っかっていれば、羽越本線の乗り潰しが達成できる。
しかし、私は一つ寄り道していきたいところがあった。







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私の勤める会社では、消費電力削減の一環として、毎年7月の平日の2日間程度を休業日としている。
2015年の今年も、例年通り平日の休業が決定した。
私は2012年以降、その休日を使用して18きっぷで阿房列車を走らせている。

2か月ほど前から、私は計画を練り始めた。
今年は、久しぶりに宿泊を伴った阿房列車を走らせようと思う。

しかし、今の私には「駅寝」ができない。

家庭を持ち、会社でも労働組合の役員という立場の私が、駅寝をするのはさすがに気がひける。
駅寝によるトラブルなぞに巻き込まれてしまったら、いろんな面で不安や迷惑をかけてしまうことになるから。

今の私は、身の安全を確保する為に、宿泊施設で寝泊りする必要がある。
かといって、極力宿泊に金はかけたくない。
私の旅の目的は、あくまで「乗る」ことであり、観光や美味しいものを食す事は眼中に無い。
雨風をしのげて寝れるのであれば、それ以上は何も望まない。

今回の阿房列車の旅は、宿泊施設の選定から行うことになった。

素泊まり5千円以下の格安の宿泊施設にこだわり、旅の計画を練ったのだが、これがなかなか難航した。

最初は、初めての旅 で乗車した、飯田線の6大秘境駅(千代、金野、田本、為栗、小和田、中井侍)巡りなど良いのではないか?と思っていた。
小和田駅 の今の状況も見てみたい事もある。
しかし飯田線沿線は観光地が多く、その近くの宿泊施設は結構値段が張る。
今回、飯田線は泣く泣く諦める事にした。

観光地には泊まり辛い。
かといって、ターミナル駅近辺のホテルも、決して安くは無い。
カプセルホテルと言っても、意外と割安なものが見つからない。

北陸、東海、近畿…
宿探しに少々疲れを感じてきたころだった。
東北のあるターミナル駅のすぐ側に、
「素泊まり1泊2,980円」
というビジネスホテルを見つけた。

予約は迷わず入れたが、今度はその宿を拠点にして、阿房列車の行程を立てなければいけない。
しかし、うまい具合に未乗車区間の乗り潰しが出来そうだ。

今回は、新潟から羽越本線に乗り、
山形、秋田、岩手、宮城、福島
と、東北を循環するルートになりそうだ。
しかも、羽越本線の気になる駅にも下車できそうだ。

我ながら、満足のいく運行予定ができた。



2015年7月23日
台風12号の影響により、天候は生憎の雨模様。

早朝の本庄駅。
今日も上り1番線ホームには、通勤のサラリーマンの姿が並ぶ。
本来であれば、このサラリーマンの列に私も含まれるのであるが、今日は下り3番線ホームで優雅に列車を待つ。

高崎線高崎行き列車に乗り込んでみると、18きっぷシーズンは開始されているのにもかかわらず、人はまばらであった。
平日・悪天候・学生は夏休み中という、いろんな要因が重なった結果かもしれない。


高崎駅からは馴染みの、湘南色115系、上越線水上行き列車に乗り込む。
その「1番前の車両」に乗るのはお約束である。

乗車率は6~7割程度で高崎を発車。
上越線の高崎~水上間の車窓、特に利根川の流れや、赤城の山々は見慣れているつもりである。
しかし今日は終始薄靄に包まれた状態で、これはこれで別の趣を感じ取れた。

水上から先、新潟方面に向かうには、水上で長岡行き列車へ乗り換えなければいけない。
私の乗っている車両は、水上駅1番線に到着する。
そして、水上から長岡へ向かう列車は、2番線から発車する。
1番線⇔2番線間の移動は、跨線橋を使う必要がある。
1番線の跨線橋は、停車する列車の一番先頭に位置する。
水上駅で乗り換える際は、一番前の車両に乗っていた方が乗り換えがスムーズにいく。
しかし、「長岡行きの列車で確実にシートに座る」には、それだけでは安心できない。
安心して席を取るには、跨線橋を、走って移動する事になる。
いわゆる「水上ダッシュ」だ。

もちろん私も、「水上ダッシュ」を敢行する。
水上の一つ手前の「上牧」で、私はシートから立ち上がり、1両目一番前の左側のドア前で、軽くストレッチを始める。
既に一人、私より早くドアの前でスタンバっている。

水上に着いた途端、私は手動式のドアを全開にして、右手に向かってダッシュする。
既にスタンバっていた先ほどの男に遅れを取りながらも、私はその男にくらい付いて行く。

結局2番手で、2番線に到着した。
まあ、この日は乗車率も高くなかったので、ダッシュを敢行する必要は必ずしも無かったのだが…
それを分かっていながらも、ダッシュを敢行してしまう私がいる。

こういう光景は、18きっぷシーズン、日本のいたるところで目にすることであろう。
例を挙げると、「大垣ダッシュ」「黒磯ダッシュ」「米原ダッシュ」といったところであろうか。
乗り鉄をする上での醍醐味のひとつではあるが、
くれぐれも、怪我と、周りの人に迷惑をかけないよう、注意して頂きたい。



本庄を発ってから約4時間半、曇天模様は一度も解かれることなく新津に到着した。





ここから、羽越本線の車両に乗り換える。



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こんにちは!

本日も「もこ太郎の平成阿房列車」にご乗車頂きまして、誠にありがとうございます!


大変ご無沙汰しております。
ブログ更新が完全に滞っております、申し訳ございません。

体調はすこぶる良好なのですが、私昨年から、会社の労働組合の役員を務めさせていただいており、
組合業務が多忙な為、ブログを執筆している暇がなかなかございません…


しかし鉄活は、少ない暇を見つけては、頑張って継続しています!
先日も、18きっぷを利用して、1泊2日の乗り鉄旅行を敢行してきたところです。


その旅の途中で気になった事を、今回書いてみようと思います。


みなさん、電車の時刻って、普段何を使って調べてますか?
殆どの方は、スマホ・携帯・PC等で「乗換案内」アプリを使用されていることと思われます。
私も、7割~8割がたは、スマホを使って調べております。
そのほうが、いちいち時刻表を開くよりも手間がかからないし、調べる時間も短時間で済みます。

あと、今いる駅から、あと何分で次の電車が来るかを教えてくれるアプリなどは、大変重宝しています。


しかし、乗り鉄の行程を考える上で、乗換案内アプリを使っていては、かえって効率が悪くなることもあります。



今回の私の旅を例にとってみましょう。


今回の私の旅の目的の一つは、新潟県の「新津」駅から、「秋田」駅を繋ぐ「羽越本線」の全線乗り潰しでした。
しかし、羽越本線乗り潰しには、一つ難点がありました。
羽越本線を走る列車は、「新潟」駅を始発として、白新線を経由して「新発田」駅から羽越本線に入り込む列車が多数を占めています。
そして、「新津」駅から「新発田」駅を通る、正規の羽越本線ルートを通る列車は、1~2時間に1本くらいの割合でしか走っていません。

私は「新津」~「新発田」間の乗車を熱望しました。
そのルートを通らないと、羽越本線を乗り潰したことにならないからです。

ちょっと、「時刻表」に目を通してみましょう。



(JTB時刻表 2015年3月号より)

私が乗りたい列車は、新津12:12発、新発田12:40着の127D。
新発田から次の下り普通列車に乗ろうとすると、14:21発の村上行き935Mしかありません。
村上に14:57に到着して、次の下り列車が、(写真には載っていませんが)16:03発。

こんなのに乗ってたら、秋田に到着するのは深夜になってしまう!!
途中、下車したい駅もあることだし、なおさら!!

乗換案内アプリで、「新幹線・特急に乗らない」設定で「新津~新発田~秋田」のルートを検索すると、必ず上記のタイムテーブルになると思います。


しかし、時刻表をよく見てみると…
127Dの列車の右隣に、特急「いなほ5号」が走っています。
新発田からいなほ5号に乗って、村上で降りれば…

村上13:35発の827Dに乗れて、非常に効率的!!
新発田~村上間を特急で移動すると、もちろん18きっぷが使えませんが、距離も大したことありませんので、決して痛い出費ではないでしょう!

まあ、上記のような「同じ路線の短区間だけ特急に乗って、あとは全部鈍行」という乗り方は、18きっぱーしかやらないでしょうが…
でも乗換案内アプリしか使っていなければ、このルートには気づかない可能性もあるのです。

というわけで、18きっぷの旅には、かならず時刻表を携帯しましょう!!


次の阿房列車の旅のリポートは、ちょっと順番を変えて、この時の旅をご紹介しようかと思っています!


暑い日が続いております。
皆様、水分を十分お取りになり、体調には気を付けて乗り鉄に励んでくださいませ!!

本日も最後までお読み頂き、誠にありがとうございました!

またのご乗車をお待ちしております!






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※以下の時刻は、2011年12月の時刻表に基づきます。
 なお、遅延のあった列車は、実際に駅を発着した時刻を記載しています。



2011年12月23日

本庄 発   6:37
 ↓
 ↓  高崎線:821M
 ↓
高崎 着   6:55

高崎 発   7:10
 ↓
 ↓  上越線:723M
 ↓
水上 着   8:13

水上 発   8:24
 ↓
 ↓  上越線:1731M
 ↓
宮内 着  10:14

宮内 発  10:24
 ↓
 ↓  信越本線:1334M
 ↓
直江津 着 12:00(遅れ)

直江津 発 12:08
 ↓
 ↓  北陸本線:550M
 ↓
筒石 着  12:26

筒石 発  13:53
 ↓
 ↓  北陸本線:543M
 ↓
直江津 着 14:12

直江津 発 14:18
 ↓
 ↓  北越急行ほくほく線:841M
 ↓
美佐島 着 15:14

美佐島 発 16:19
 ↓
 ↓  北越急行ほくほく線:843M
 ↓
六日町 着 16:29

六日町 発 17:26
 ↓
 ↓  上越線:1744M
 ↓
水上 着  18:33

水上 発  18:37
 ↓
 ↓  上越線:752M
 ↓
高崎 着  19:39

高崎 発  19:56
 ↓
 ↓  高崎線:974M
 ↓
本庄 着  20:15


※この旅で初めて乗車した区間


 北陸本線(筒石~直江津 間)

 北越急行ほくほく線(犀潟~六日町 間:全線完乗達成)




この旅の詳細は、こちら



JR東日本新潟支社 オフィシャルHP

http://www.jrniigata.co.jp/


北越急行 オフィシャルHP

http://www.hokuhoku.co.jp/


















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今更だが、今回の旅の目的は、雪景色を見る事と、新潟県内にある2つのトンネル駅へ訪問する事である。
そのうちの1つ、筒石への訪問が叶い、次の目的地へ向かうべく、直江津行きの列車に乗り込んだ。

筒石から20分程で、直江津に到着。
ここから、初乗車となる列車に乗り込む。


北越急行ほくほく線


1997年開業の、六日町~犀潟(さいがた)を結ぶ第3セクター路線。
日本最速(160km)の在来線特急「はくたか」は、この路線上を走り抜ける。
2004年の新潟中越地震で、路線に甚大な被害を受け、全線運休を余儀なくされたが、年内に全線復旧を成し遂げている。

第3セクターということで、もちろん18きっぷは使用できない。
その旨は、ほくほく線の車両内の広告にも掲げられている。
しかし次の目的地がこの路線上にある為、わざわざ切符を購入する。

白いボディに赤と青の細い帯をまとった、1両編成の越後湯沢行き単行電車は乗客もまばらに、定刻通り直江津駅を発った。

犀潟までは信越本線の線路上を走り、犀潟を過ぎてすぐに、列車は右へ旋回する。
列車は雪原と化した田園を眼下に従え、スピードに乗って高架上の線路をひた走る。

大池いこいの森駅を過ぎると、列車は殆どトンネルの中しか走らなくなる。
トンネルを抜けると駅、駅を発車するとトンネル、の繰り返しになる。
残念ながら、しばらく車窓は楽しめない。


直江津から50分程で、十日町に到着した。
この駅は、ほくほく線と飯山線が乗り入れる。
第6旅 で下車した駅だ。

旅の記憶を回想する私をよそに、列車は十日町を発った。


十日町の隣駅、しんざを発車すると、列車は当たり前のようにまたトンネルに入った。
そしてトンネル内で減速。
少し明るみのある箇所で停車し、ドアが開いた。
私はワンマン列車の運転手に切符を渡し、下車した。


「美佐島駅」




新潟県内にある2つのトンネル駅の、「もう一つ」の方だ。
1面1線の単式ホームは筒石 と同様、やはり薄暗い。
ここで下車した人間は私一人。
ここから乗車した人間はいなかった。

ホームに降りると、まず目に付くのが、鋼鉄の扉。
ホームと出口に通じる通路は、頑丈な扉で遮られているようだ。



通路を抜け、地上に出てみようと思う。
地上に架かる階段は、筒石の階段に比べれば随分段数が少ない。



駅舎から出てみると、そこは私が期待していた以上の、素晴らしい雪景色であった。



民家の姿もほとんど見えず、山奥の中に、ポツンと佇む駅舎。



線路の姿も無く、ここまで鉄道でやってきたことを忘れてしまいそうだ。
筒石もそうだが、駅舎を見ただけでは、にわかにここが駅だとは信じられないであろう。

雪景色も十分に堪能したところで、駅舎の中に戻る。
小綺麗な駅舎の中には、畳張りの広い休憩室が設置されていた。



まるで公民館か集会所のような感じだ。
この休憩室、午後6時には入り口の自動ロックがかかるらしく、駅寝はできそうにない。

そしていよいよ、地下に続く階段を下って、駅探索を開始する。

階段を降りきった突き当りには待合室がある。



今現在、ホームへつながる鋼鉄の扉が固く閉ざされている。
この扉が開くのは、普通列車がこの駅に停車した時に限られるようだ。



扉に閉ざされた空間は、まさにシェルターそのものだった。

暫く待合室にいると、耳がキーンとする感覚が伝わってきた。
おそらくトンネルに列車が侵入してきたために、気圧の変化が起きたということであろう。

と思っていると、待合室に、あまりにも不気味な警告音と、緊迫感あふれるアナウンスが鳴り響く…


「まもなく、列車が高速で通過します。大変危険です、ホームには絶対に出ないでください!」


軽く混乱していると、目の前を、在来線最速を誇る特急「はくたか」が、時速160㎞で通過する!!
その瞬間!!!


!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

この世のものとは思えないほどの衝撃が、三半規管に走った!
身体や心臓の弱い人は、特急が近づいたら、迷わずここから逃げて頂きたい。

「はくたか」が去った後、自身の身の上に異常がないことを確認した。
しかしあまりの衝撃で、今まで見た雪景色や日本海の絶景は、「はくたか」と一緒に、時速160kmでふっ飛んでしまったかのようだ。

新潟ではこの日、沢山の方がスキー等を楽しんでいたことであろう。
そんな中、私は美佐島駅で一人、こんなふざけたことをやっていた。


これぞ、阿房列車の極致。


余談だが、ここ美佐島では、
電車から降りるときも、
駅に滞在中も、
次の電車に乗る時も、
私一人だった。

駅を完全に独り占めできたわけだ。
私の阿房列車史上、初めてかもしれない。

この年最後の阿房列車の旅も、得るものが非常に大きかった。
優越感を存分に感じながら、美佐島駅を後にする。






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列車は直江津駅に、20分の遅れで到着した。
その影響で、北陸本線への乗り換え時間は殆ど残されていなかった。
急いで渡る跨線橋の途中で、私はあるものに目を留めた。

出張販売の駅弁。

私は駅弁には全くと言って良いほど興味が無い。
味の割には、妙に高額に感じる事がしばしばで、購入をためらうことが多い。
私は何も駅弁を食べる為に旅をしている訳ではなく、乗り鉄活動に駅弁は必要無いと考えている。
車内で駅弁を食べるよりかは、限られた乗り換え時間の間に、ホームで駅そばを胃袋に掻き込んだほうが鉄活として相応しい行為だ。
そして今の時代、車内で簡単な食事を取りたいのであれば、NEWDAYS等でおにぎりかサンドイッチを買ってしまえば、それで事が足りてしまうのだ。

そんな私が、今までの旅で購入した駅弁と言えば、横川駅の「峠の釜めし」くらいだ。
しかしこの時の、おばちゃんが簡易テーブルの上に乗せた駅弁を売っている光景は、なぜか私の目に印象深く映り込んできた。
列車遅延の緊張感から解き放たれた影響からなのか、この時は不思議に駅弁に魅かれてしまった。
僅かな乗り換え時間の間に、私は直江津名物と書かれた「さけめし」を購入、それをおもむろにリュックに入れた。



青い帯をまとった115系の福井行き列車は、直江津を出発してから程なくして、トンネルに突入した。
トンネルを抜けたと思ったらまたトンネル、という感じで、期待したほど日本海の景色は望めなかった。

名立駅を発つと、列車は長いトンネルに入る。
そのトンネルの中で、次の駅を告げる車内放送が入り、列車がスピードダウン。
僅かに明るみのある箇所に、列車は停止した。
ドアが開き、私は下車した。


「筒石(つついし)」



まず気になったのは駅名標。
いつもの見慣れた緑の帯のものとは違い、青い帯をまとっている。
この駅は、JR西日本所属という証だ。

次に気になったのは、ホームの湿度と照度。
普通の地下鉄のホームよりも遥かに湿っぽくて暗い。

相対式ホーム2面2線を構えるこの駅は、ホームがトンネルの中に作られているのだ。



トンネル駅と言えば土合 だが、土合は下りホームのみが、深いトンネルの中に作られている。
一方この筒石は、複線の上り下りの両ホームがトンネルの中にある。
その2面のホームは向かい合わせではなく、互い違いに造られている。

薄暗いホームから出てみると、そこは待合室になっていた。



しばらく進んでみると、上りの階段が表れた。



階段を上ると、上り下りの各ホームへの分かれ道があった。
通路の側面や天井には、苔のようなものがへばり付いている。



さらに進むと、遥か彼方に続く上り階段がそびえ立っていた。
土合の階段がリンクする。



私は一歩一歩、段数を数えながら上り進む。
階段を上りきると、段数は2百数十段あったようだ。
土合の486段に比べれば大したこと無さそうだが、それでも200段の階段を上るのは容易なことではない。

階段を上りきったところで、地上に出てみるとそこには…





駅員がいた。
てっきり無人駅と思い込んでいたので、私は慌ててリュックから18きっぷを取りだした。

そういえばホームにも、駅員らしき人物がいたのを思い出した。
彼はまさか、列車が到着する時間に合わせて毎回、あの階段を駆使して、地上とホームを行き来しているのであろうか?



地上の待合室には窓口もあった。
どうやら駅員は委託らしい。

私と同じくこの駅で下車した、鉄と思われる人が窓口氏に、18きっぷについて尋ねていた。
赤い18きっぷの残数について、聞いていたのであろう。

駅の外に出て、振り返って駅舎を見てみると、何とも殺風景なプレハブ小屋のような佇まいだ。
到底駅には見えない。
駅名標が一応掲げられているが、「これが駅だ」といった説得力は無いに等しい。



期待していた雪景色はそこには無かった。
新潟県全域が、雪に覆われるという観念は誤りであった事がこれでわかった。

折り返しの列車まで時間がある。
私は地上の待合室で、「さけめし」を食する。



食事の後、少し散歩に出かけてみることにした。



駅から少し歩くと、上空に道路が掛けられているのが見えた。
北陸道だ。



さらに歩くと日本海が見えてきた。
ここでも冬の海は荒れ狂っていた。



灰色の空と荒れる日本海。
雪景色とは異なるが、これはこれで、いかにも冬らしい光景であろう。



駅に戻り、直江津方面のホームまで階段を下る。
外から入ってきて気付いたが、ホームは外気より遥かに暖かく感じる。

トンネルの中は寒い、という印象が強いが、良く考えるとトンネルの中というものは、年間通じてあまり気温の差が無いのだ。
だから夏は寒く、冬は暖かく感じられる。


しばらくホームで待っていると、直江津行きの列車が、トンネルの向こうから這いずりこむようにやってきた。
私は列車に乗り込み、次の目的地に向かう。


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人間は、生まれ育った土地に無い環境に、甚く憧れを抱く傾向にあるのではないか、と私は思う。


例えば「海」という童謡。
この唄の作詞者・作曲者は共に、海無し県である群馬の出身である。
海が身近に存在しなかった二人の海に対する憧れが、この唄を創ったと言っても過言ではないだろう。

かく言う私は、和歌山県の出身。
実家から15分程車を走らせば、一面の海が見渡せる場所に辿り着く、といった環境で生まれ育った為、海に対する憧れはあまり無い。
海無し県の埼玉に移住してからは、たまには海が見てみたいと思う事はあるが、やはり強い憧れは抱けない。

しかし、雪景色に対する憧れは強い。
和歌山は温暖な気候で、冬は雪が降る事は少なく、積雪となると滅多に無い事である。
何年かに一度、積雪を伴う雪が降ることがあるが、積雪と言ってもほんの2,3センチ程度のものである。
それでも和歌山県内で発行される新聞では、微量な積雪を一面トップ記事として扱う程である。
そして子供たちは、ここぞとばかりに雪だるま作りや雪合戦にいそしむ。

それほど雪には縁のない土地に私は生まれた。
そんな私は、こんな年齢になっても雪景色に人一倍憧れを持っている。





2011年12月、冬の18きっぷが解禁になったある日。


~なんにも用事がないけれど、列車に乗って雪景色を見て来ようと思う~


雪国、雪景色と言えば新潟。
無理なく日帰りで帰って来れる、という観点からも、迷うことなく私は新潟に阿房列車を走らせることにした。
しかし、雪景色を見るだけとなると、何とも味気ない運行になりそうだ。
少しアクセントを加え、幾つか目的地を選定することにした。




12月23日早朝

いかにも冬らしい、灰色の雲が空一面を覆い尽くす天候である。
18きっぷを握りしめ、高崎線経由で高崎駅まで向かい、そこから上越線水上行きに乗り換える。
今まで何度か乗車している上越線だが、やはりこの路線は趣がある。
渋川を過ぎてからは、国道17号とともに、利根川に沿って北上を続ける。
蛇行を続ける利根川の流れを幾度か鉄橋で跨ぎつつ、沼田まで来ると車窓はうっすらと雪化粧が施され始める。
湘南色の115系のクロスシートに陣取っていた私は、既にこの時点で車窓に釘付けになる。

高崎から約1時間で、水上駅1番線に到着。
ここから狭い跨線橋を渡り、2番線に停車中の長岡行きに乗り換える。

グリーンの帯をまとった115系は、雪の中定刻通りに水上を発った。
間もなく新清水トンネルに入り、そのトンネル内にホームのある湯檜曽、土合 をやり過ごす。


10分以上かけて新清水トンネルを抜けると、見事なまでの雪景色が広がった。
私は思わず息をのみ込む。

初めての旅
では、真夏の炎天下の中、深緑に包まれていた車窓だったがそれが一変、今は真っ白な世界が広がっている。
越後中里と、岩原スキー場の間にある大カーブを通過するときなど、自分が今何処の国いるのか分からなくなる程の錯覚を感じた。

私は白い車窓を終始堪能しつつ、宮内駅で下車した。
わりと広い印象のホームを持つ宮内から、直江津行きの信越本線に乗り換える。

柏崎を過ぎた辺りから、進行方向右側に、一面の日本海の景色が広がる。
しかし、冬の日本海は荒れ放題だ。



私はここで、少々不安を感じた。


日本海からの強風。そして高潮。
列車の運行に影響は出ないのか…?


不安はすぐに的中してしまった。


車内放送が流れる。
「現在高潮による塩害の影響で、列車の車輪に空転が発生しており、スピードが出しづらい状況にあります。よって列車に少々の遅れが発生する見込みです。お急ぎのところ、列車が遅れましてご迷惑をお掛け致します」


そんなことって、あるんだな…
でも、少々の遅れなら、直江津以降の行程に影響はないだろう…


しかし再び車内放送が…
「無線連絡が入りました、現在風速が危険領域に達したため、これから列車は時速25キロメートルの徐行運転に入ります。列車には大幅な遅れが見込まれます」


それはマズい!


このままだと、今日のプランは御破算になってしまう…
何とか強風だけでも納まってくれないものか…



暫く徐行運転が行われた後、私の願いが通じたのか、三度目の車内放送が入った。


「強風が納まりましたので、これから徐行運転を解除致します」


私は胸をなで下ろした。
それにしても、海沿いを走る路線は、過酷な環境に置かれているという事を改めて知らされた。


20分程度の遅れを伴って、列車は直江津に到着した。
ここで、さらに福井行きの北陸本線に乗り換える。
一つ目の目的地は目前だ。





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※以下の時刻は、2015年3月の時刻表に基づきます。



2015年3月20日


本庄 発  21:49
 ↓
 ↓  高崎線:854M
 ↓
大宮 着  22:50


大宮 発  23:00
 ↓
 ↓  埼京線:2330K
 ↓
新宿 着  23:41


新宿 発  23:54

 ↓

 ↓  ムーンライト信州81号:8421M

 ↓


2015年3月21日


 ↓

白馬 着   5:40








白馬 発   6:11

 ↓

 ↓  大糸線:5330M

 ↓

神城 着   6:18






神城 発:   6:44

 ↓

 ↓  大糸線:5321M

 ↓

南小谷 着  7:15






南小谷 発  7:39

 ↓

 ↓  大糸線:423D

 ↓

糸魚川 着  8:35








糸魚川 発  8:58

 ↓

 ↓  えちごトキメキ鉄道日本海ひすいライン:1629D

 ↓

直江津 着  9:40


直江津 発  9:45

 ↓

 ↓  信越本線:1329M

 ↓

柏崎 着  10:28


柏崎 発  10:34

 ↓

 ↓  越後線:139M

 ↓

吉田 着  11:40

 

 ↓  (徒歩)








弥彦 発  13:18

 ↓

 ↓  弥彦線:271M

 ↓

吉田 着  13:28


吉田 発  13:32

 ↓

 ↓  弥彦線:237M

 ↓

東三条 着 13:51






東三条 発 14:09

 ↓

 ↓  信越本線:441M

 ↓

田上 着  14:26






田上 発  14:39

 ↓

 ↓  信越本線/上越線:1742M/8742M

 ↓

水上 着  17:25


水上 発  17:41

 ↓

 ↓  上越線:750M

 ↓

高崎 着  18:44


高崎 発  18:47

 ↓

 ↓  上野東京ライン:1939E

 ↓

本庄 着  19:06



※この旅で初めて乗車した区間


 大糸線(白馬~糸魚川 間:全区間完乗達成)
 えちごトキメキ鉄道日本海ひすいライン(糸魚川~直江津 間)
 弥彦線(東三条~弥彦 間:全区間完乗達成)






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和歌山駅は、5面8線のホームを構える、県下最大のターミナル駅。
特急「くろしお」以外の列車は全て、和歌山駅が始発駅、或いは終着駅となる。
阪和線、紀勢本線、和歌山線といったJRの各路線が、東西南北から乗り入れている。
そのため、和歌山駅のホームは1番線から8番線(6番線は欠番)まで、線路が途切れることなく南北に伸びる形になっている。
各ホーム間の移動は、北側に地下道、南側に跨線橋が設置されており、2通りの移動手段がある。

例外は9番線ホームである。

9番線の線路は北側に車止めが施され、途中で切られている。
跨線橋は9番線ホームには架けられておらず、地下道を利用しないと移動できない。


その異彩を放っている9番線ホームこそ、次に乗車する路線、

和歌山電鐵貴志川線

のホームとなっている。


貴志川線はおよそ10年前まで、南海電鉄が経営する路線であった。
利用者の減少に伴い、2006年4月に経営を和歌山電鐵に譲渡した。

全国的に「和歌山電鐵」という名前が知れ渡っているが、私を含む地元の住人は、昔からの「貴志川線」という言い回しの方がしっくりくる。
よって、以降は「貴志川線」と呼ばせて頂く。



和歌山駅構内へ戻り、中央改札口で、改札氏に貴志川線に乗車する旨を伝えて、切符を持たずに改札を通してもらう。
県を代表する駅にしては、あまり整備された形跡のない、すすけた感じの地下道を抜け、問題の9番線に駆け上がる。



階段を上がりきったところに中間改札があり、そこで1日フリー切符を購入。



スクラッチを削る事により、乗車年月日を記録すると言う、珍しい形態の乗車券だ。

ホームには、既に貴志行きの列車が入線していた。



猫の顔をかたどった、ジョイフルトレインとも呼べそうな列車。
車内も凝った作りになっている。



貴志川線は、このような列車が常時運行されているようだ。


車内に乗り込んで間もなく、猫型電車は貴志に向けて出発した。


和歌山から2つ目の駅「日前宮」が、私の出身高校の最寄り駅となる。
しかし私は、自宅から高校まで自転車で通っていたので、電車通学というものを一度も経験した事が無い。

日前宮駅を過ぎて、列車は大きく右にカーブ。
90度旋回した後、田園と住宅が織り交ざる真ん中を、しばらく真っ直ぐ走ってゆく。

南海電鉄時代の貴志川線に、私は学生時代に1度だけ乗った事がある。
沿線に免許センターがあり、免許更新の手続きに行ったときの事だ。
今でこそ、「交通センター前」という駅が、免許センターに隣接されているが、当時はその駅がまだ無く、隣の「岡崎前」から相当の距離を歩いて免許センターに行った覚えがある。
当時の車両も、何の変哲の無い、普通の南海電鉄の車両であった。

その交通センター前駅、岡崎前駅を過ぎて、「伊太祁曽」という駅で列車の交換が行われる。

伊太祁曽駅を過ぎると、車窓はだんだん山間の様相を呈してくる。

列車は和歌山市から紀の川市に入った。
この紀の川市は、貴志川町を含む5つの町が合併してできた、比較的新しい市である。
言わずもがな、貴志川線の名前は、旧貴志川町に由来する。

その紀の川市に入って間もなく、「大池遊園」という駅に着いた。
駅名の通り、大きな池を有する公園の最寄り駅である。
幼少の頃、親に連れられてここに遊びに来た記憶がある(ただしその時は、車での訪問であった)。
この駅、及び公園の読みは、「おおいけゆうえん」ではなく、「おいけゆうえん」である。
これは地元の住民が、この公園を呼ぶときの読みであり、私も幼少の頃から、この呼び方を定着させている。
ちなみにこの大池は、幽霊が出るという噂があった。
あくまで噂(しかも、相当古い)なので、真に受けないでいただきたい。


記憶をいろいろ呼び起こしながら、列車は約30分の運行を経て、終点「貴志」に到着した。



降りたのは、何の変哲も無い1面1線の単式ホーム。
しかし駅舎は真新しく、駅舎と呼ぶよりも、何かのミュージアムと言った方がしっくり来るような印象だ。
人だかりもそれなりにできている。








駅舎には、カフェまで併設されている。

そして、通路を挟んでそのカフェの反対側に、ガラス張りされた展示室のような小さなスペースがある。
いよいよ、貴志川線のシンボルとのご対面だ。



貴志駅の駅長、三毛猫の「たま」。
今乗ってきた猫型電車はもちろん、貴志駅の駅舎のつくりも、このたまをモチーフにしている。
ここにいる人たちの大半は、たま見たさにやって来ている。
人だかりは、この展示室の周りに集中している。

たまのお陰で、貴志川線は廃線の危機を逃れたと言っても過言ではないだろう。
それどころか、この貴志川線を一躍全国区に押し上げたのだ。
まさにたまは、貴志川線の、そして和歌山の救世主なのである。

私は、生まれ故郷が活性化し、貴志川線の存続を喜ぶ反面、あのひなびた感じの、昔の貴志川線からすっかり変わってしまった現状を、少々寂しく感じてしまった。

複雑な思いが交錯したまま、私は和歌山に戻った。






和歌山駅で、父の出迎えを受けた。
父と兄は、私の帰郷を歓迎してくれた。
しかし離婚の件 については、当然の如く咎められた。
肉親の信頼を失う結果となったのだから、ある程度覚悟していたが、やはりキツかった。
特に、私が小さいころから、特に私のことを攻めたりしなかった兄の言葉がかなりしみた。

そのときは分からなかったが、今となって、叱ってくれる家族がいるという事は、自分はまだ恵まれているのだ、有難い事なのだと思う。

やはり家族は大切にしなければいけない

素直にそう思える。



翌11月27日
母親の十三回忌法要は、滞りなく行われた。
その夜、夜行バスで生まれ故郷を後にした。



※今回の旅の軌跡は、省略させて頂きます。



※この旅で初めて乗車した区間

 南海本線(なんば~岸里玉出 間)

 南海高野線(岸里玉出~極楽橋 間)

 南海鋼索線(極楽橋~高野山 間:全区間完乗達成)

 和歌山線(橋本~和歌山 間)

 和歌山電鉄貴志川線(和歌山~貴志 間:全区間完乗達成)


 

 





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紀伊細川駅 から勾配を下り続ける。
途中やり過ごしてゆく駅はそれぞれ、紀伊神谷 や紀伊細川と同じような、情緒ある木造の駅舎を構えていた。
願わくばもう1駅か2駅、下車して駅舎観察をしてみたかったものだが、あまり時間に余裕が無い為、それは諦めざるを得なかった。

そうこうしているうちに、紀ノ川を越えて橋本駅まで戻ってきた。



同名の駅が国内にいくつか存在するが、ここは和歌山県橋本市を代表する駅である。

JR和歌山線のホームと、南海高野線のホームを合わせ持つ、比較的大きな印象の駅。
その割には、駅前に人影があまり見えず、休日の昼にしては随分閑散としている。

駅前広場をよく見てみると、そこには漫画「まことちゃん」の主人公の像が立っている。



まことちゃんの作者、楳図かずお氏が、この駅付近で生まれ育ったという所以らしい。
私は小さいころ、楳図氏の作品はギャグ漫画ばかりだと思っていた。
しかし、氏の得意とする分野はホラー漫画だという事は、成人した後に初めて知った事であった。
しかも、氏の出身地が和歌山県だったという事は、さらに後に知った。

駅周辺のコンビニで昼食のおにぎり2個を買い、ホームのベンチで平らげた。

1番線ホームで待っていると、私が幼少から知っている、クリームのボディに朱色のラインが入った、2両編成の和歌山行き下り列車が入線してきた。
列車に乗り込むと、駅前同様、車内も閑散とした様子で、その中でもやや学生の姿が目立った。


和歌山線は、王寺駅から和歌山駅を結ぶ、全線単線の地方交通線。
そして私の生家は、和歌山線の線路に隣接されている。
列車が通過する度に、家には走行音が響き、振動が伝わる。
私は、この世に生を受ける前から、鉄道の走行音に慣れ親しんでいた。
だから生まれつきというより、生まれる前から鉄道マニアになる素質を持っていたのかもしれない。

私が小学生の時、和歌山線は全線電化された。
パンタグラフをひし形に広げた、今まで見たことも無いような車両が、「試運転」というサボを表示して走っているのを見たときは、私はあまりにも興奮して、狂喜乱舞したものだ。


橋本駅を発ったワンマン運転の列車は、田園風景と住宅街の車窓を交互に映しつつ、国道24号線と並走しながら進んでゆく。
紀ノ川をトラス鉄橋にて渡り、終点の一駅手前、田井ノ瀬駅を出発すると、私の感情が高揚してくる。

阪和自動車道の高架の下を潜ると、右手に和歌山機関区が見えてくる。
私の幼少時代には見なかった、青いボディに白い帯を巻いた車両が、何両か留置されていた。

和歌山機関区が途切れたところで、車内から私の生家を見ることができるのだ。
私はその瞬間、じっと目を凝らした。

幼少時代、生家の裏を走り去る列車を、私は毎日のように見ていた。
その列車に、私は今乗っている。

生家から見た列車は、随分離れた距離を走っているかのような感覚だったが、今の私から見た生家は、随分近距離に位置するように感じた。

生家を過ぎた途端、列車は左に大きくカーブし、約90度旋回したところで直線に戻る。
間もなく、紀勢線の線路と合流し、右手に阪和線の線路が近づいてくる。


橋本から1時間余りで、終点の和歌山駅に到着した。

ついにここに帰ってきてしまった。

見覚えのある改札を抜け、駅前広場に出てみた。
昔は無かった、立派なバスターミナルの出迎えを受けた。
橋本駅とは違い、駅前には人が多数いた。



さて、約束の時間までまだ少し余裕がある。
最後に、もう1路線を完乗すべく、駅構内に戻る。


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