一休み(終) | 35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

【夫】台湾人 × 【妻】日本人

国際結婚? いえ、惑際結婚ですから!

気がつけば2男1女。

あの男を見ていると、とても同じ人類だとは思えない。
漢方薬を水なしで飲めるなんて
一体どんな味覚をしてるんだ、あのおっさんは。

 

 

 

 

「ああ。もう秋だねえ」

 

 

 

毎年、この時分になると

師匠の言葉を思い出す。

 

 

 

今年は8月8日に

立秋を迎えた。

 

 

 

日本列島は

残暑の真っ只中。

 

今年は災害級の

酷暑だという。

 

 

こんな中、暦の上では

秋だと言われても

ピンとこない気もするが。

 

 

 

それでも、やっぱり。

秋は着実に訪れている。

 

 

 

朝見上げる

空の雲の様子に。

 

空を舞う連れ立った

トンボたちの姿に。

 

 

そして、何より。

 

夜中、網戸を通して

部屋を吹き抜けていく

涼しい風の中に。

 

 

 

我が家の裏は山手で、

真夏でも、夜になると

寒いくらいの、ひんやりとした

風が吹き抜ける。

 

それこそ。

 

網戸を全開にして寝ていると、

風邪を引いてしまうくらいの。

 

 

 

 

ところが。

今年は様子が違った。

 

 

まったく

風が吹かないのだ。

 

 

寝苦しいこと

この上ない。

 

 

 

山の神様が

休暇でも取ったのか。

 

それとも。

 

毎晩、夜遊びに出かけて

フィーバーだったのか。

 

 

 

長年、現在の家に

住まわっているが、

こんな年は初めてだ。

 

 

 

でも、ようやく。

 

天然のクーラーが

復活の兆しを見せ始めた。

 

 

 

 

 

「ああ。もう秋やね」

 

 

 

 

お盆の暑さの中、

秋の訪れを口にする師匠を

遠目で見るだけだった私が。

 

今では、師匠と同じ時期に

同じような言葉を発している。

 

 

 

 

 

こんなとき。

 

先生は、今も私の心の中で

ちゃんと生きていると感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

少し前の朝。

 

玄関先に立って

太陽を見上げたとき。

 

秋口の爽やかな風が

体を撫でていくのを感じた。

 

 

 

 

このとき。

ふと思った。

 

 

 

 

 

私にも、ようやく。

 

一休みの時期が

来ているのだろうと。

 

 

 

 

 

暑くてやり切れない日々は、

いつまでも続かない。

 

心地よい風の吹く日が

必ずやって来る。

 

 

すべては移ろうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

一休みをするのは、何も

人の心と体だけではない。

 

 

今ある状況も

きっと同じこと。

 

 

 

 

 

生来。

 

臆病者で小心者で

心配性。

 

悩み事があると、

そこにばかり囚われてしまう。

 

だから、せっかち。

 

目の前に置かれた状況に、

すぐさま白黒つけたがる。

 

言い換えれば、

決着をつけたがる。

 

早く楽に

なりたいから。

 

 

 

これが私だ。

 

 

 

 

 

なんて余裕のない

人間だろう。

 

自分でも嫌になる。

少しは大人になれよ。

 

 

 

 

昨年、父が入退院した後、

高齢者住宅に入居してから

今日まで。

 

 

私の心は、絶叫マシーン級の

ジェットコースターに乗ったまま

揺さぶられっぱなしようなの状態だった。

 

 

上に下に。

左に右に。

 

時には、

真っ逆さまに。

 

 

それに伴い、

体もガタガタと

煽られ続けてきた。

 

 

 

 

 

現在、父は落ち着いた状態で、

身の回りのことも自分でできる。

 

目下のところ、

現状維持でいいのだろう。

 

 

 

 

だから、そう。

一休み。

 

 

 

 

 

これから先のことは

分からない。

 

何がどうなるのか。

 

 

 

やらなければ

いけないこと。

 

片付けなければ

ならないこと。

 

まだまだ

たくさんある。

 

 

 

 

父が祖父から

譲り受けた土地の売却。

 

父の退院後、父が元気なうちに

売ろうという話になっていた。

 

 

先日、不動産屋さん数社に

見積もりを出してもらった。

 

近日中に、売りに出す

ことになるだろう。

 

 

 

 

 

父が面倒を見ていた

叔父のこと。

 

知り合いの行政書士さんに

後見人をお願いしていたのだが。

 

その方の家族が病気になったことと、

地域包括センターの担当者が

長期休暇を取っているのが重なって、

ずっと棚上げ状態のままだ。

 

 

 

 

 

もうひとりいた

叔父が7月に急逝。

 

その叔父が暮らしていた

父の実家でもある家の名義が

亡くなった祖父のままだったものだから、

父と叔父が相続人になってしまった。

 

 

今後、誰も住まうことのない

家をどうするのか。

 

 

有難いことに、

親戚のおばちゃんが

みんなで話し合おうと

言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

「なんで、きちんとしておいて

くれんかったんかねえ」

 

 

 

 

 

 

本当に

その通りだ。

 

おばちゃんに

激しく同意。

 

 

名義を叔父に変更しておけば、

相続放棄で済んだものを。

 

 

 

父も、亡くなった

父のきょうだいも。

 

一体何をしていたんだ。

 

いや。

なぜ何もしなかったんだ。

 

祖父が亡くなってから

20数年もの時間があったのに。

 

 

どいつもこいつも

極楽とんぼなのか。

 

というより。

 

端から当事者意識が

なかったのだろう。

 

 

 

亡くなった叔父は、

若い頃からずっと

精神疾患を抱えていた。

 

自分が暮らしている

家の名義のことにまで

考えが及ばなかったとしても

無理はない。

 

 

 

 

まったく。

 

父に関わることだけでも

色々とあるのに。

 

どうして二人の叔父がらみの

ことまで私に回ってくるんだ。

 

 

 

一体、何の因果なんだろう。

 

 

 

まあ、それでも。

 

逃げ出すわけには

いかない。

 

 

 

 

 

 

なかなか思うように

運ばないことは、

一旦そのままにして

棚に上げておくといい。

 

 

 

 

 

 

若い頃読んだ本に

こんなようなことが

書いてあった。

 

 

当時の私は、

 

 

 

 

 

「ふうん。そんなものなのかなあ」

 

 

 

 

 

こう思っていたが。

 

 

今なら分かる。

 

 

一休みの精神が

肝要なのだと。

 

 

 

 

生きていれば。

 

自分の努力だけでは

どうにもならないことに

遭遇する。

 

 

即座には、

解決しないことにも。

 

 

 

 

この世で生きる

鉄則のひとつが恐らく。

 

「時間」による制約だろう。

 

あの世では、

行きたいと思った瞬間に

その場所へと移動できるという。

 

 

 

 

 

この世には、

「時間」がある。

 

少なくとも、

その概念はある。

 

 

 

考えてみれば。

 

花一輪だって、

きれいに咲くまでには

一定の時間が必要だ。

 

 

種を植えた次の瞬間には

芽が出て膨らんで、花まで見事に

咲きましたなんてことは

この世の常では考えられない。

 

トトロじゃあるまいし。

 

 

 

 

 

私は生来。

 

臆病者で小心者で

心配性。

 

悩み事があると、

そこにばかり囚われてしまう。

 

だから、せっかち。

 

目の前に置かれた状況に、

すぐさま白黒つけたがる。

 

言い換えれば、

決着をつけたがる。

 

早く楽に

なりたいから。

 

 

 

 

 

昨年から続く一連の出来事は、

私の側から見てみれば、きっと。

 

大切なレッスンなのだろう。

 

 

 

何かの成就や解決に

時間を要するからこそ。

 

人は信じる心を育むし、

未来に希望を抱く。

 

努力もする。

 

忍耐が教えてくれる

こともある。

 

 

 



 

待てば海路の日和あり

 

 

 

 

この言葉の意味を

身をもって学べ。

 

 

 

人生が、こうお膳立てして

くれたのかもしれない。

 

 

 

 

 

きっと。

焦りと怒りは同根。

 

根っこの部分で

繋がっている。

 

 

 

 

 

怒りは敵と思え

 

 

 

 

 

徳川家康の

言葉だそうだが。

 

であれば、

焦りも敵ということか。

 

 

 

 

 

 

急いては事を仕損じる

 

 

 

 

 

 

これも、肝に銘じて

おかなければならない。

 

 

 

 

 

きっと、

まだこの先。

 

色々なことが手ぐすねを

引いて、私を待っている。

 

 

 

でも。

 

 

 

 

 

あわてない

あわてない

 

ひとやすみ

ひとやすみ

 

 

 

 

 

心の片隅に、この言葉を

忍ばせておこう。

 

必要な場面で

唱えるために。

 

 

 

 

 

助けが必要な時には、

お願いできる人を頼り。

 

時機が来るのを

待ちながら。

 

ひとつひとつ

乗り越えていこう。

 

 

 

 

 

 

 

さて。

〆に余談を。

 

 

昨年の秋。

 

入院中の父が

そろそろ退院となった頃。

 

退院後の生活をどうするのか、

父と話し合わなければならなかった。

 

 

 

父は帰宅したかった。

 

でも、私はそれは

無理だと考えていた。

 

私一人で、子供たちと

自分の生活に加え、父の生活にまで

責任が負えるとは思えなかった。

 

 

 

コロナ禍で面会禁止だったため、

ZOOMでの面会と相成ったのだが。

 

 

 

案の定。

 

父は高齢者住宅に入居することを

頑なに拒んだ。

 

しかし。

 

私も譲るわけには

いかなかった。

 

 

 

結局。

 

その日の面会は、

物別れに終わったのだが。

 

 

 

面会日の前の晩。

 

布団の中で寝返りを打って、

うつ伏せになったとき。

 

何かが私の背中に

乗ってくるような感覚を覚えた。

 

でも、決して

嫌な感じはしなかった。

 

 

 

 

 

もしかしたら。

もしかすると。

 

あれは師匠だったんじゃ

ないだろうか。

 

 

それとも。

 

亡くなった

母だったのか...

 

 

 

他には誰も何も

思い浮かばない。

 

 

 

ひょっとすると。

 

面会での展開を

予め見通していて、

励ましに来てくれたのか。

 

 

あるいは。

 

あなたはひとりではないと

告げに来てくれたのか。

 

 

それとも。

 

ただの気の迷いか、

勘違いなのか。

 

 

 

 

あれが一体何だったのか、

今も分からないが。

 

 

きっと、あれは。

 

私を心配してくれている

夫だったということにしておこう。

 

 

 

 

なぜならば。

 

そう解釈しておけば、

私に都合がいいからだ。
 

 

 

 

 

 

ああ。

それにつけても。

 

温泉が恋しい。

 

 

 

 

 

 

 

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