暫くか゛随分長くお休みしてしまいました。


私が「うつ病」になって7.8年になります。


事の始まりは、15年飼っていた「じろうちゃん」と「すみれちゃん」が

相次いで亡くなり毎日私の腕枕で寝ていたのに居なくなり寂しさで

毎日泣いて居ました。


最初に飼ったみみちゃんのお骨を共同墓地に入れて後悔したので

今度は、お骨入れを買い家で供養する事にしました。


毎朝、神棚と母とじろうちゃんとすみれちゃんにローソクとお線香を灯し

今居る子達を見守って下さいと手を合わせる、これが一日の始まりです。


じろうちゃん

  「じろうちゃん」                 


  「すみれちゃん」


何日も何日も泣く日が続きました。 左の腕が二人の顔がない。寂しい。


この頃息子が帰ってこない。 電話したら「一緒に居たい人が居る。」

「お母さんに言ったら絶対反対するから」 頭を金槌で叩かれた様なショックでした。

反対される理由は、バツイチの子供二人居る人でした。

それは反対するに決まってる。


私は、行きたい学校あったけれど父が居ないのにそれは無理と独学で

機械編みと手編みの講師免許を手にしました。

お蔭様で息子も大学へやる事が出来ました。


姉達は「金もないのに大学へやらないで就職させれば」と批判を受けました。

長い人生四年頑張れば良いのだから、「授業料はお母さんが何とかするから

お小使いはアルバイトする約束でした。

高校から、色んなアルバイトし、悪い遊びや酒、たばこもしない真面目な子なのに・・・


それから私の病気が始まりました。


嗜好も変わり好きだったコーヒーも全く飲めなくなり、太陽も嫌で昼も部屋は

遮光のカーテンで暗くしテレビも見ない音楽も駄目、車の運転もしたくない。

頑張って運転しようと思っても手が震えめまいもする。


これは治療しないと思い近くの診療内科へ行きました。


事の成り行きを聞かれました。

まず゛短気な夫に何十年と言いたい事も言えず我慢の日々、

息子が家を出た事等


帰って来た言葉は「そんな人と別れればいいんじゃない」何と覚めた言い方。

心の中で「そう簡単に済む事でないよ」 言うだけ無駄と思い薬を貰って帰る。

3日分の薬は全く効果なし。


夜は眠れない。頭がパニック状態。其の事を話すと薬だけ増える。

めまいもする、手も震えるで車の運転も出来なくなりました。


家から出た息子から一年振りに電話がきました。

「お母さん、今入院していて腸閉塞で手術をするので「承諾書」を書いて

欲しいとの事、場所を確認し早速行きました。

一年振りなので息子でもドキドキして居ました。


この子は、一見温厚な性格で親に対して怒鳴るとかした事有りませんでした。

なのに、何で親を捨て他人の子供を育てるのか疑問です。

その女が余程良い人とも思われません。一年たつのに

私に一度も会いにも来ませんし電話もない。

何処に住んでるのかも教えてないです。


多分息子も私を見て驚いたと思います。

以前は、体重40k程だったのに10K太り、ぼーとし、

歩き方まで変だよ。娘に「ちょっと、足りない人みたい」と言われてました。


息子が「お母さん、ここの先生凄くいい人だから病院変えてみれば」

私も今行ってる所の先生は全く信頼出来ない<、カウンセリング等も無し

ある日、家で「ガタガタ振るえて止まらず」近くなので歩いて行きました。

注射とかも無くまた、薬を出し「これを飲み寝てると収まる」だって。


翌日息子が居る病院へ行きました。凄く混んでいました。

暫くして診察室に入ると先生は、「にこっ」と爽やかな笑顔でした。


「この薬こんなに飲んだら太るに決まってるよ!!」

「今日は採血して、点滴し元の体にしないと」

どんなに、混んでいても話す事何でも聞いてくれました。

私は暫く振りに心が穏やかになりました。


「とよあき先生」                 


    「診療方針」


一週間位点滴を続け、内服薬も全部変わりました。

心に思っている事、何を言っても答えてくれ重かった心が一日一日軽くなる。


ホームドクターとして、とよあき先生とのお付き合いも7年になります。

其の間に色んな事も有りました。


何時も母に会いたい。死んだら会えるかも知れない。

との思いが頭から消すことが出来ず娘に色々言われ

もっと高齢になったら・・・・。言いたい事遠慮も無く言う娘。


其の夜、睡眠導入剤を100錠以上や血圧下げる薬等大量に飲み

「じゃ、皆さようならね!!」と何の躊躇もなく布団に入りました。


誰が気ずき先生の所へ連れて行ったか分かりませんが

気が付いたら先生の顔が見え、また眠り続け5日程

点滴に通い目も覚めてきて先生に「間山さん、お母さんに会いたくても

お母さんも向うで忙しく簡単に合えないんだから今度しては駄目だよ」

皆、楽しい事ばかりで無くても頑張って生きているんだからね

と諭されました。



話はがらっと変わります。

今年の2月末娘が遊びに来ていたのですが夜の「夜行バス」で

帰る事になって居たので7時40分家を出て私とうららが

手を振り「またねー。」と帰ってきて、其の後シャワーに入った

そこ迄は覚えて居るのですが、シャワーから立って部屋に入る

筈なのに、どうしてもたつ事が出来なくなり、這いずって隣の

トイレの便器に頭をぶつけ痛かった思いは記憶として有りました。


何時の事か、体温が39.7c゜あったのは覚えて居ます。

風邪もひいて咳をしていた。

食欲も全く無く3日位みかんより食べて居なかった。


翌朝、夫が部屋のチャイムを鳴らしたけれど、音は聞こえるけれど

立つ事も話すことも出来ません。

鍵が掛かってるので夫は息子を呼び「不動産屋」で合鍵を借り

中に入り、驚いたようでした。


裸ではなく玄関の前でうつ伏せになり、手も冷たくなっていた。


ここは、狭くどうしようもないから、とにかく、実家へ連れ

て行く事にし、動物達も連れて行った。

恥ずかしい話「おしっこも垂れて居た」ので

息子がドラックへ行って必要な物買って布団を敷いて

寝かせてくれた様です。


病院へ連絡しこの様な状態なので先生が何時ころ

直ぐ診てもらえるか時間を聞き着る物が何処に有るか

分からないのでその辺に有る者着せて二人で引きずって

連れて行ったとの事でした。


先生が「良く今日来てくれた明日になったら駄目だったかも」

早速点滴し原因は栄養失調だって。結局みかんより食べて

ないので血液が頭迄上がって行かないからで脳はかなりの

栄養が必要な所らしいです。

約一週間この状態で記憶もなく、色々息子に聞いて知りました。


暫く脳外科へも紹介状を書いて貰いCTを撮って頂きましたが

異常は無いとのことで一安心しました。



ここにあるお花を先生始めご迷惑を、お掛けしました皆様に捧げます。