昨日のテーマ。
「自身の弔辞で何と言われたいか」。
…ちょっと誤解もありそうなので、注釈しておくと。
「人にどう思われるか」が質問の中心ではない。
中心にあるのは、「事実の自分が、どう在りたいのか」。
それを聞きたかった。
…。
…弔辞として何と言われたいかは、あくまで自分の基準を見つめ返すためだけで、人の目にどう映るかは中心になり得ない。
…これ、日本人あるあるだと感じるけど。
…他人の目を、気にしすぎなんだよね。
自分以外の他人が何と言おうと、その人は自分の人生ではないんだよ。
他人にどうこう言われて決めてちゃ、後から後悔残ったりするんだ。
自分の決断なら、自分が責任を取れる。
取るしかない。
…。
…本当にこれだと思うものを見つけたなら、絶対に離しちゃダメなんだぜ?
…。
…他人に嫌われないよう嫌われないようにし続けて、人生終わる段階になって「あなたの人生は、何のためにありましたか?」という問いに、「他人に嫌われないように嫌われないように気をつけてました」じゃ、あまりに寂しくないか??
…もちろん、他人に迷惑をかけちゃダメだぜ。
他人に迷惑をかけない前提で、何をしたか。
事実どういう人間であったか。
それを考える。
すると。
…。
「自分の基準」が見つかる。
「自分の生き方」が見つかる。
そこが、重要じゃんか。
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