「大事にしてくれない人を大事にする事をやめて」


「大事にしてくれる人を大事にしていくこと」


それは、同時に、自分が今までいかに大事な人を軽く扱っていたか(傷つけていたか)。それを知る(認識する)事にもつながります。



自分が「許せない」「汚い」「冷たい」などと思っていた他人の姿が、実は『自分自身の姿』でもあると気づく瞬間でもあります。





その時に、心の中で“絶望”にも似た何かが音をたてて崩れる。


まるで自分にだけ地震が起こった様な。
血の気が引くような思いをしたり、混乱しパニックになったりもします。


回復過程の中には、その崩壊が起きそうになると、その崩壊を必死になってくい止めようとする時期・段階があります。



今まで生きてきた中で培った自身の価値観やアイデンティティーが、根底から崩れ落ちそうになるのです。本人からすれば、それはとても大きな(ショックな)ことです。



なので、自己防衛としてそれを未然に防いだり、回避しようとします。



とても大きなエネルギーを集中させるため、頭が回らなくなったり、心が何も感じなくなる。やたらと体が疲れたり、動けなくなったり、心が不安定に(しんどく)なります。



ちょっとした衝撃でもガラガラと崩れ落ちそうになるので、それを引き起こす人や場所との接触を避けがちです。(出社拒否、ひきこもるなど)

時には人など(自分の安全を脅かす存在)への暴力に発展する場合もあります。


そうやって自分自身を守ります。


ただし、守ろうとしているのは“絶望にも似た何か”です。

守りきった後に待っているのは、激しい徒労感や(それこそ)絶望感かもしれません。


実は、回復過程の中で、一番難しいところが“この部分”なのかもしれません。



回復したい →しばらく進む→心の中に地震が起きそうになる→身を守る→落ち着いてくる→再び回復したいと望む


これを繰り返してしまうのです。


回復したいと言うのは、変化を望むということなのですが、この“変化”がいざ起きそうになると、とても怖いのです。


特に、深い絶望の中で生きてきた人ほど、それはとても怖い存在に感じます。


絶望を大事にしてきた人にとって、とても怖い存在。

それが「希望」なのです。


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