童画家kanan 《小さな勇気を届けたい🌸》

世界中の誰かに勇気が届けばいいな🌸国も言葉も肌の色も家族も宗教も超えて、《自分を好きになる勇気》を子供にも大人にも届け♫

take5 日本全体が荒れてた中学生時代

2022年10月16日 | 生きる



私は1975年の早生まれです。
その年代の人たちは、中学生時代は、かなり荒れてる状況だったんじゃないかなと思います。
私の通ってた山奥の中学校でも同じ。
ビーバップ ハイスクールや
スクールウォーズ
の最盛期です。
中学1年の時、中3年にはヤンチャな先輩はもちろんたくさんいたけど、それでも穏やかだった。
中1の私たちの大きな声で歌う合唱に先生からも褒めてもらえてた。
けど、その先輩たちが卒業してから、どんどん荒れていって、中学2年生や3年生の時は、ヤンキーになってる友達多かったな〜
音楽室の中からドンガラガッシャン音がして、先輩たちが出てきた、、、、翌日、音楽室の色んな物が壊されてたーーー💦こともあった。
教室の中でクラスの男の子がタバコをわざわざ吸って、先生と追いかけごっこしたり、レスリングやってた先生にはがいじめにされてたり。
校庭の部室の屋根の上で、クラスの男の子が、同じく屋根の上に上がってる先生に石灰の団子を投げてたり。
プールは中学校にはあったけど、使ったことは一度もなかった。
プールにはたくさん物が捨てられてて、プールの更衣室は、ヤンチャな同級生に占拠されてた。
1度その中の子にプールに呼ばれた時、見させてもらったら、棚にはズラーーーッとジョージアのロング缶が並んでたー💦
登校したら、その更衣室の屋根の上にステレオが置いてあり、大音量で音楽が流れてた。
→山の中兼高台にあった学校なので、近所迷惑にはなってないと思うんです(⌒-⌒; )
卒業前の冬は、教室の中のストーブの燃えてるところに、灯油を直接入れて、教室の中に何度か大きな火柱が立ってたり。
→これで、天井が焦げてたので、卒業前に、保護者とみんなで白く塗り直しました)^o^(

運動会、全員でオクラホマミキサーを踊る時、竹刀を持った何人かの保護者に全員が囲まれてた💦

私は割と休みがちだったり、保健室にいることも多かったし、友達と2人で行動することが多かったから、みんなのことはあまりよくわからなかったところもあるんだけど、もしかしたら、中学校生活を生き抜いた!!って感じの同級生もいたのかもしれないです。

でも、私にとっては、色んなことが漫画のように起こるから、飽きない様子と、私はどちらかと言えば優等生だったけど、ヤンチャな男の子や女の子の中に、仲のいい子がいたからか、悪いことには誘われなかったんです。
お前は誘わない。
って言われてた。
だから、割と平和な中学校生活でした。
2つ上の従兄弟と実の姉の影響力も、大きかったみたいです。
あの時代は、多分、全国的に同じような中学校や高校がたくさんあったんじゃないかなと思います。

その時、私がもしヤンチャなクラスメイトに何かできてたら、彼らはもっと平和な道を進めたのかなぁ〜と、大人になってから考えたりしてきました。

高校卒業した時に、ヤンチャな子たちが多い学校を卒業した女友達が、車で迎えに来てくれて、ドライブに連れてってくれました。彼女はその先で、シンナーを吸いました。私はその時に、そんな彼女の隣に座ってたことが1度だけありました。
事の重大さに気づかず、普通に座ってた。
その1年後、あの時のシンナーの影響なんじゃないかと思うことが、彼女の人生に起こりました。
違うかもしれない。
けど、因果関係はあってもおかしくない。
シンナーを吸う現場にいながら、止めなかったこと、、、未だに引きずってる大きな後悔です。
私は自分の周りで起こってることに対して、傍観者になるクセがありました。

もう一つ、中学校時代、いじめがあったのを、私は見て見ぬ振りをしてた。
それは、本当に申し訳なかったと思っています。
彼女が生きててくれて良かった。
体を傷つけるようないじめはなく、精神的ないじめでした。
私は、ヤンチャな子たちと話せてたのに、何もしなかった。
時には、彼女が見てないところでは、周りの子に合わせるような行動もしてた。
その頃、良くないことはわかっていたけど、何をどうすればそれを無くせるのかを考えることもなかったです。
先生が話題にすることもなかった。知っていたのは明らかだけど。
1度、学校代表で学校生活か何かで作文を頼まれた時、いじめの事実について、書いたことがあります。
自分なりの訴えでした。
が、どうなったのか???その先のことは、そのことについて覚えてないなぁ、、、

take5は、日本全体が荒れてた時代の中学校生活でした。
そこで、みんなのその先の人生の向きがなんとなく決まったように感じました。
ヤンチャが悪い訳ではない。
けど、自分の心に向き合うことを教えてくれる大人が周りにいたら、自分や周りを傷つけるような行動は、なかったんじゃないかなと感じるんです。

この経験は、私が『子どもの居場所』をやりたいと思い始めた大きな理由です。
中学生や高校生の時、どんな大人と関わるか。どんな居場所を持ってるか。それがその先のその子の人生に大きく影響すると感じていたからです。
あの頃、私は友達や同級生のための何かはできなかった。けど、今なら、今の子どもたちには、何かできるかもしれない。
そう思うんです。
傍観者から、関係者になる勇気を持つことができるようになったと思います。

いつか、故郷で、クラス会があったら、参加したいな🌸
40代最後とか、50代とかでみんなに会えたら、何か新しいことをみんなでできたりしないかな🌸

今度は力を合わせて、地元や子どもたちのために、できそうな気がするんです♫🤗
妄想してみよ♫



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