軽くステップを踏みマリアはいつも通りのボクシングスタイルで試合に入る。。
マリアの最も得意とするスタイルで、歩たちも見慣れたスタイルだが、その動きはまるで別人がこなしているかのように、練習とは比べ物にならないほど洗練されている。
「あんにゃろう・・・練習ん時とまるで違うやんか。あれが試合で見せる本気か・・・」
その試合開始間近のステップをみただけで、桜子は質の違いを見抜いていた。
「なめてないわよね。それが本気なのよね?」
マリアの視線がヴィクトルをきつく射抜く。
「ああ、本気だ」
そう言うヴィクトルの構えは、サンボを主体として戦っていた頃とは大きくかけ離れている。
両足を大きく開き、重心は低く。両手は拳を作り左手はマリアとの距離を測るため軽く前に突き出され、右手は顔を守りつつもいつでもカウンターが取れるように配置されている。
それは関節技を主体として掴みにいくための構えではない、あきらかに打撃を主体として戦う者の構えだ。
ヴィクトルの構えは拳法の物だった。
「いくぞ」
言葉と同時にヴィクトルのハイキックがマリアの顔面を強襲する。
その自信は本物だった。
ヴィクトルは足技が苦手だった。それが今はどうだ。桜子が握りしめた拳の中に汗をかくほどの驚異的速度に昇り詰めている。
しかし相手は女王マリア、一瞬驚きの表情は見せたが間合いは完全に見切り、顔を少し後ろにそらしただけで見事にかわす。
攻撃が外れた後は隙ができるのが勝負の理。
強襲を仕掛けてきたヴィクトルに反撃を試みるマリア。
しかしヴィクトルは止まらない。
ヴィクトルの初撃は当たれば致命的な攻撃だったが、それ自体は次の技につなげるための回転運動の役割をしていたのだ。
振りぬかれた左足はヴィクトルの体そのものに遠心力を与える。
クルリと反回転すると今度は右足が跳ね上がり、ローリングソバットの要領でマリアを襲う。
反撃を試みていたマリアの反応が遅れる。
いや、歩たちには遅れたように見えただけだ。
その奇襲もマリアはかわしてみせた。
が、それすらも実はつなぎ技だ。
遠心力はますます強く働く。
ヴィクトルはその遠心力を利用しマリアに向かい飛んだ。
危険!!
そう直感したマリアが後ろに下がるがオクタゴンのフェンスが背中に当たり逃げ場をなくす。
しまった・・・
バスケの試合でも見せたがヴィクトルの跳躍力は異様な滞空時間だ。
その跳躍力と遠心力をいかした跳躍は、本当に空を飛ぶ鳥のようだった。
空に浮いている時間にヴィクトルは2回転。2度にわたり超高速の蹴りを放つ。
旋風脚。
拳法蹴り技の最高位がここに披露された。
圧巻だった。
その速さもさることながら、威力がすごい。
ヴィクトルの蹴りによりフェンスが千切り取られている。
ヴィクトルの足は鋭利な刃物と化している。
が、そこにマリアはいない。
避ける場所など無かったはず。
いや、一つだけ。
オクタゴンを何度も経験しているからこその、マリアの判断。
「口だけじゃなくて安心したわヴィヴィ。アンタやっぱ最高よ。勝負はやっぱこうでなくちゃ」
「本気だとわかってもらえたか?なら降りてこい。続きをしよう」
ヴィクトルは見上げた。
マリアはあの一瞬でフェンスの上に飛び乗っていたのだ。
「それになんだあの置き土産は?」
ヴィクトルが問う。
「気にいってもらえた?」
ヴィクトルの頬が切れている。一滴、血が流れ落ちる。
あの戦慄ともいえるヴィクトルの強襲をかわしただけでなく、マリアはヴィクトルの顔面に一撃加えフェンスに飛び乗っていたのだ。
ヴィクトルの背筋に冷や汗が流れる。
痛みを感じただけで、どんな攻撃をされたのかヴィクトルには見えていなかった。
「ああ、気にいったよ」
試合が始まってたった38秒。
超一流の攻防に誰もが震えていた。
フラッシュ。
そう呼ばれるマリアのジャブがヴィクトルを襲う。
フラッシュ、そう呼ばれるようにマリアのジャブはまさに閃光だ。
人間の反射速度を遥かに凌駕するまさに光の技。
当たる事が前提で放たれるその技は、さすがのヴィクトルもガードを固め受けるしかない。
そのジャブの間に動きを封じられる強烈なローキックや体力を根こそぎ奪っていくボディブローが何度も放たれる。
それを嫌がりガードを解き無理に攻撃をしかけようとすれば、そこには必殺の一撃が襲ってくる。
マリアの本気の一撃は食らったらそこで終わりだ。
以前、歩が怒りに我を忘れて見せた、地面を殴りその腕を肘まで地面に埋め込んだあの打撃、マリアはきっとあれができる。
よつんば組んだとしても、マリアとて全米柔道王だ。サンボの達人のヴィクトルとはいえ容易には倒せない。
事実、組んでも今までこのマリアに一度も勝てず、何度も組み技、寝技で苦汁を舐めてきたのだ。
さすがだ・・・このままではまずい。勝負にでるか・・・
ヴィクトルがマリアのジャブに耐え、ジリジリと間合いを詰めだした。
マリアは異変に気付いた。
ジリジリとではあるが、ヴィクトルがすり足で間合いを詰めてきているのだ。
詰められた間合い。マリアは後退を良しとせず。
そうよね、そうこなくちゃ。どんな打撃を身につけてこようと、あなたの真骨頂はやっぱりそれよ。あなたに勝つって言う事は、こういうことだもの!
竜巻のような連打は止んだ。
マリアはヴィクトルと組み合うことを選択した。
組んだ瞬間、いや、マリアの指先がヴィクトルに触れた瞬間、ヴィクトルの世界が上下反転する。
いつの間にか、投げられていた。
視線の変化からすると、これは背負い投げか?
しかも練習では絶対に出さない、頭から叩き落とす本気の背負い投げだ。
ならば着地の寸前に足を取りにいく。ヴィクトルは投げられながらも次のプランを練る。
ヴィクトルの体はまるで無重力空間のように弧を描く。
いや、本当にヴィクトルは重力から解放されていた。
「え・・・」
背負い投げと思い込んだ、ヴィクトルの読み負けだ。
マリアは手を離していた。
地に立つマリアと逆さに宙を舞うヴィクトルの視線が交差する。
ニヤリと口元を歪めるマリアの笑みは、悪魔の笑み。
マリアは歓喜していた。
全米ボクシング王者を決めるトーナメントでも、マリアは本気になれなかった。
いや、本気になってはいけなかった。
相手が良くて再起不能、悪くて死亡、そんな結果が容易に想像できてしまったから。
その圧倒的強さゆえ、地球で本気を出すことは諦めていた。
マリアは飢えていた。
しかし、ここに本気を出せる相手がいる。
いや、本気を出して、なお、敗北を喫するかもしれない相手がいる。
しかも、4人も同時にだ。
今年に限りここはただ順位を決める場所じゃない。まして何かの種目の世界一を決める場所でもない。ここは間違いなく地球一を決める場所だ。そう気付けた自分が嬉しくて、嬉しくて。
女王はついに剣を抜く。
その剣は聖剣。
かの常勝の王が待つ戦の神に愛された剣。
なればその名こそ常勝の女王マリアの必殺の一撃に相応しい。
いつの頃からか、マリアの左拳は、その聖剣の名で呼ばれていた。
常勝の女王が振るう剣の名は、エクスカリバー。
マリアはついに剣を抜く。
「シュ!」
まるでサンドバックよろしく、宙に舞うヴィクトルに、マリアを最強と呼ばれる位置に押し上げた渾身の左ストレート。
「ガハッ」
狙われた腹はなんとかガードした。それでもガードのために使用した両腕はガードの意味を持たず、腹部が突然爆発したかのような今まで味わったことのない得体の知れない感覚が強烈に襲ってきた。
ガシャンと響く金属音と「あ・・・あ・・・」と息も絶え絶えのヴィクトルの声が聞こえたのは同時だった。
その一撃で身長173cm体重50kgを越えるヴィクトルの体は4m以上後方のオクタゴンフェンスに叩きつけられていたのだ。
「何、今の・・・人ってあんな風に飛ぶの・・・」
セシリアが呟いた。
「わかんない・・・でも今見ちゃったよね・・・」
歩の声は震えていた。
マリアの左ストレートを受けた瞬間、ヴィクトルは水平に飛ばされたのだ。
水平に飛びそのまま鋼鉄製のフェンスがヴィクトルの体の形に隆起するほど叩きつけられたのだ。
ヴィクトルは宙に浮かされた逆さまの状態のまま、フェンスに貼りつけられていた。
「あ・・・あ・・・」
供給されない酸素をどうにか取り入れようとヴィクトルの肺が躍起になっている。
ズルズルとフェンスからずり落ち、オクタゴンに這いつくばるヴィクトル。
女王は民を見下ろす。
高く聳える天に近き城から、地を這う民を見下ろす。
今、マリアとヴィクトルの視線はそれほどの違いがある。
地を這うヴィクトルにマリアは攻撃を加えない。
ルール上、パウンドに行くのはOKだ。
だがマリアは攻撃を加えない。
それは女王の慈悲。
民が刃向わないのならば、女王が剣を抜く事は無い。
しかし見下ろす。
その動きから視線を外したりはしない。
この息も絶え絶えの民は、いまだ絶対王権の革命をあきらめたりはしていない。
そして分かっている。
この民は、その革命を成し遂げるだけの威力を持つ巨大な大砲をいまだ使用することなくその手に温存していると。
その大砲を受けず、そして破らず、どうして民の反乱を抑えられよう。
女王マリア。
その技も心も、宇宙闘姫に輝くに何の不足も無し。
民は己に言い聞かせる。
いまだ動かぬその体に言い聞かせる。
覆せぬ絶対王権など長き時の中に一つもなかったと。
時代は動く。
弱き民でも時代を動かす力を持つ。
一度始めた革命は、新しい時代を切り開くまで続けるのが首謀者の責務だ。
ならば立て。
這いつくばってでもいい。どんなに無様でもいい。
この手の内にある最後の槍を女王の胸に突き立ててやろう。
ヴィクトルは炎の槍を手に立ちあがる。
反逆者ヴィクトル。
絶対王権を崩壊し新女王の座へ向かい、その槍を解き放つ。
つづく。