午前中に施主の父親の33回忌と母親の7回忌の併修法要を行った。

法要の意義は種々あるが、一番は何より故人に対する報恩感謝の思いをもって修する事だろう。

 

33回忌の法要は祀る故人が若くして亡くなるか、施主が高齢になっているとかの時間的問題がある。誰でもが33回忌法要が出来るとは限らない。私の父の33回忌は、9年後であるが、母は22年後になる。ともに施主になる私の年齢からして、父はともかくとして、母の33回忌は私は100歳を超えている。終忌と言われるように、回忌法要としては最後になるが、全ての人が出来るわけではない。

ときには、孫が施主となって33回忌法要をする檀家さんも居る。

それぞれの回忌には守り本尊がいるが、33回忌は虚空蔵菩薩である。

 

                

左、平安時代・神護寺蔵。      右、平安時代後期、東京国立博物館。

 

そもそも虚空蔵菩薩とは、虚空破壊(こくうはえ)すべからざるが如く、虚空辺際なきが如く、虚空一切の諸物を蔵するが如く、虚空一切の諸宝に雨降らしむるが如し。

故にその名を得る。福徳最勝の尊主、末世能救の薩埵なり。

故に大悲化用門(だいひげゆうもん)には不思議の自在力を恣(ほしいまま)にし、福徳宝珠の床には大神通の最勝威を振るう。宝剣蝕るところ煩悩痴暗を断滅し宝珠雨降るところ万徳荘厳を流現す。茲をもって十三佛曼陀羅主尊となり末世無福の衆生を引導す。

 

三十三回回向追善の終忌にあたりこの尊を礼するも亦故なきに非ざるなり。

 

このような虚空蔵菩薩に導かれ、故人の霊は、OO家の命の大きな流れに虚空の中に溶け込んでいく。

天空から、遺された娘家族を仏さまとして見守って下さる。施主の子ども達、故人の孫たちも焼香されていた。孫たちは33年前なので生前の祖父である方は知らないが、繫がりのあることは実感しているだろう。

 

法要が済んでから、午後1時半からの分梅第一自治会(会長 小澤進氏)の総会に出席のために第一自治会公会堂に向かった。会長挨拶の後、前年の活動報告・会計報告、令和6年度の活動計画・会計予算の審議があり全て了承。その後懇親会でビールをいただく。何人かとお話した。新規に越してこられた方が、新会員として紹介された。その方が、私の席に来られてお話した。若く、感じの良い方。お子さんは?とお聞きしたら小学生の男の子が2人とのこと。

 

全員で片付け掃除をして、4時に散会。つまみも食べずにビールだけ飲んだので酩酊。

戻って、少し横になった。知らない間に寝ていた。