本日のテーマ 

【言葉のルーツ

~なにげなく使われていた仏教用語~】

 

 

わたしは、雑学を大切にしています。

雑学は、時として重要な学びにつながるキッカケになることもあるからです。

 

私たちが日常で使っている言葉には、意外と仏教用語が使われていて、言葉やことわざの中に仏教のルーツが潜んでいたりします。

また、言葉の語源や意味を知らずに使っている言葉もあります。

語源や意味を知ることで発見や学びがあるかもしれません。

 

 

これから紹介する用語は日頃私たちが多く使っていますが、じつは仏教用語からきていたのです。

 

安心(あんしん)

一般的に、不安や心配事がなく、安らかな心でいられることを言いますが、仏教では「あんじん」と読み、悟りの境地を表す言葉となります。信仰によって心の安らぎを得て、どんな物事にも惑わされることのない心境です。

 

なるほど!安心とは与えられるものでなく、自らつくる心の安らいだ状態を意味するのですね。

 

掃除(そうじ)

仏教では釈迦の時代から、修業として掃除が行われていました。きわめて愚鈍(ぐどん)であったといわれる釈迦の弟子、シュリハンドクは掃除で悟りを開きました。一般の人がなにげなく繰り返す毎日の生活も、仏教においてはこと細かく制限され、チェックされる厳しい修業に様変わりします。特に禅門では「一に掃除、二に観経(経を読むこと)」と言われるくらい、重視されています。

 

なるほど!仏教では掃除は重要な修業の一つになるのですね。

掃除も修行として捉えたら見方もだいぶ変わります。

物を大切に感謝してきれいにさせていただくという意味もあるように思いました。

 

馬鹿(ばか)

愚かな人、愚かなことを言う。「馬鹿」の字は、馬と鹿をまちがえるほど愚かということから当てた文字です。もとはサンスクリット語の「モハ」という言葉の音写語で、漢字では「莫訶(ばか)」「莫迦(ばか)」「婆伽(ばか)」を当てましたが、正しい語源ははっきりとはわかりません。釈迦の教えが理解できないこと、無知や迷いを意味しています。

 

仏教では無知や迷いを意味していたのですね。

知らない事からくる迷いには注意したいものです。

 

本当のルーツを知ると、なるほど思えることもあります。