本日のテーマ 

【事実と真実の違い】

 

 

よくこんなことが言われます。

「事実は一つだが真実は人の数ほどある」

 

【事実】は、実際に起こった事柄で、誰もが認識できること。

【真実】は、うそ偽りないこと。本当のこと。仏教では真理、真如と言う。

 

真実を例えれば、ある事実を知った人が、その人の持つ価値観で捉え、判断したとします。

その人にとって自分なりに捉えたこと(自分の主観を含め)を真実という場合があります。

人それぞれに同じ事を知った場合でも、その人の捉え方で真実の表現が異なることもあります。

 

大東亜戦争では、戦争をしたことは“事実”です。

しかしその戦争は、「日本が悪い(侵略戦争であった)」という人いれば、「日本は、しかたなく戦争した(防衛のための戦争であった)」と真実が分かれるのです。

 

本来、真実は、偽りのない本当の事であると思われていますが、判断する本人の価値観が正しいと決めたら、その人にとって真実になってしまうようです。

 

ある宗教を熱心に信心している人に聞きました。

「世界には多くの宗教がありますが、一番正しいのはどの宗教ですか?」

 

その人はこう答えました。

「自分が信じている宗教です」

 

次にこう聞きました。

「では、他の宗教を調べたのですか?」

 

答えは、

「調べたことはありません」

 

 

イタリアの物理学者で天文学者だったガリレオ・ガリレイは、人類史上初めて望遠鏡を使って天文観測を行い、1632年に「地動説」を発表しました。

だが当時絶対的権力を持っていたカトリック教会が支持していたのは「天動説」でした。

その後、ガリレオは宗教裁判にかけられ“真実”を曲げられ有罪になりました。

ガリレオの死から366年後の2008年12月に、ローマ法王ベネディクト16世は「地動説」を公式に認めてガリレオ裁判が過ちだったことを謝罪したのです。

 

ガリレオが異端審問にかけられている様子を描いた絵画…

 

 

自分にとって「事実」と「真実」の定義をハッキリさせておきたいです。

そして、真実とハッキリするまでしっかりと調べて、自分の真実を決めたいものです。

 

間違ったものを真実だと捉えていたら、人生に支障をきたすこともあるので……。